今日の夕飯は、手巻き寿司だった。
手巻き寿司は、そんなにやりたいご飯でもなくて、
でも、気に入った具を一つ、二つだけで、やってみたら、簡単だし、
何より、今朝、偶然に手に入った、不揃いで特価だった特選のりが美味しくて。
やっぱり、手巻きは、ノリが美味しくないとね。
で、手巻きとなると、連れ合いが巻くのが苦手なので、
私が巻くから、と言ったら、いいよ、自分のはやるよって言って、譲らない。
だって、巻くの苦手でしょ。って言ったら、
後で、自分のを巻く時間がなくて、ゆっくり食べられなかった、と苦情を
言われるのが、いやなんだ。
そう、言われるくらいなら、自分でやったほうがマシ、と。
この会話、すごい進歩だ!
どこが進歩かと言うと、
以前(発達障害を自覚する前)なら、
連れ合いは、頑なに、自分が巻くと言って、
理由を決して言わないので、険悪になっていたでしょう。
(発達障害のイエスかノーしか言わない特質)
私は、どうせ、うまく巻けないんだからと言う思いを隠して、
私、巻くの好きだから、私が巻くね、とか、言っていたと思う。
挙句に、連れ合いの分を巻くのに集中してしまって、
自分の分を巻くのを忘れるという事態が発生するわけで。
(こんなところで発達障害の過集中(-。-;)
笑うことなかれ。
たった、これだけのことが、お互い、サラッと、正直に言えなくて、
大ゲンカに発展してきたんだから。
もう、一緒にやっていけないというところまでの、極端さも出てしまうしで。
(発達障害のゼロ百思考ね)
たった、これだけのことで、どんだけ修羅と化してきたことか。
発達障害を持っていると、器用なところと、不器用なところが、
極端にあったりするから、お互い、凹凸の凹のところは、解せなくて、
なんなら、見下げていたりしたし。
連れ合いは、私の凹の部分は、ストレートに見下げて、
自分の凹の部分は、なんとか、隠す、ごまかすという感じだった。
で、それを私が指摘すれば、憤怒していた。
私は私で、連れ合いの凹の部分は、隠して見下げて、
自分の凹の部分は、よく自覚できていなかった。
で、それを連れ合いに指摘されれば、私も憤怒していた。
ストレートに見下げるのも、ダメだけど、
隠して見下げるのも、それに無自覚なら、ストレートに見下げるより、ダメぽだ。
・・・そうか。でも大丈夫。私の分もちゃんと巻きながら、適当に食べるから。
と言ったら、私が巻いていいことになり。
手巻きも美味しかったけど、
手巻きで、平和にご飯が食べれたのが、一番のご馳走だったかも。
まだまだ、課題はあって、ネガもいっぱい湧くけれども、
こういうときが持てたのは、しみじみ、奇跡を感じる。
今日の夕飯時のような会話は、
定型の人々には、ふつう過ぎて、
どこが奇跡なんだ?だろうけど。
それに、発達障害の特質にさえ取り組んでいれば、
全ての諸問題が解消するかといえば、そうではないだろうし。
でも、個人をして自分を知ることが生きる課題にあるとしたら、
発達障害の特質を濃厚に持っている場合は、
発達障害の特質に取り組むのは、本当に朗報だと思う。
ということで、
発達障害の特質を発見してくれた、アスペルガーさんと
その知識を広めてくれた&広めてくれている
全ての人々に、おっきな感謝を。
ありがとう。