今、読んでいる本の帯に、訳者の方の後書きの一部が書かれていて、
「・・・メンタルとスピリチャルのレベルの違いを理解することが、云々」と。
読んでみて、訳者の方の言うことは、わかった。
でも、今まで、メンタルレベルのことも、
スピリチャルの一部としていた自分としては、
甚だ、読み進むに、時間がかかる。
実際、数ページを読むと、逃げ出したくなる。
2回目だって、一気に読むことができない。
いや、できるのが良くて、できないのはダメとか、そういうことではなくて。
私には、そうなっているということ。
(ここは、メンタルが、1ミリくらい(?!)整ってきているので、
できる、できないになってない。メデタイ)
なので、数ページを読んでは、動画を見たり、
何か身の回りのことを、やったてみたりしながらで。
要するに、既存の知識(既存の信念体系)がシフトするから、
頭がいっぱいいっぱいになるので、
頭を離れて、体に落とし込む時間が、必要なようで。
日常の、取るに足りないことに戻りながら、ふと、思ったのは。
息も絶え絶えな感じのときは、この世的なことに嫌気がさすのに、
本の中のスピリチャルとメンタルの違いを見ていくとなると、
慣れ親しんでいるこの世の雑多さに、安心したりして。
ふだんこの世の雑多さが、嫌だ、嫌だと、
のたうちまわっているにもかかわらず、
よっぽど、メンタルレベルにしがみついているわ、私と。
なんせ、発達障害だから、メンタルレベルで、うまくやれなくて、
だから、メンタルを整えようと、なんとか、1ミリづつ取り組んできて、
でも、メンタルレベルは、メンタルレベルでのこと。
それでも、メンタルは、言ってみれば、内側の筋肉だと思うので、
メンタルレベルで、内側の筋肉がそれなりに整っていれば、
発達障害を持っていても、そこでいうところのスピリチャルにも、
なんとか、取り組めるような感じもしている。
てか、何にせよ、そういう流れなわけで。
自然な流れは、それというか。
余談だけど、そこでいうスピリチャルなことに取り組んでいったら、
寿命をしてこの肉体を離れる折には、スッと離れられんじゃあないか、とか、
どうなんだろうか。
あれ、それはメンタルレベルのことか。
まあ、それがメンタルレベルだと認識できたのだから、
まずは、よしとしようか。