ある人と、メンタル的な断ち切りをした。
ずいぶんお世話になったので、心の中で感謝は持ち続けるとして。

その後も話すことはあると思うので、あくまでメンタル的に。
でもね、そのメンタル的というのは、関係の健全さの土台だよね。

 

ちょっと、ずぶずぶ感があった。
相手がダブルバインドなので、そうなる。

 

(てか、なんでこんなに翻弄されるのかと思っていたけど、
 最終的に、ダブルバインドが明らかになったことがあって。
 無自覚発達障害の特質が濃厚だと、
 どうしても、そうなりがちだとよくわかり、
 無自覚なゆえに、当人に責任は取れないし、 

 言ってどうにかなるものでもないし。)

 

そこで、私が、自分の発達障害の特質の極端さを発揮して、

メンタル的に断ち切った日を、相手の命日としてみた。

なかなか粘りついて離れないエネルギーコードなので、

こういう自分だけの宣言には、その特質を使うのは有効だろうと。

 

すると、今後話すことが、まれに起こるときには、
相手は、幽体である、という視点を持って、関わってみる、
という思いつきがふと、あって。

 

そう思うと、相手とのやりとりは、交信なんだから、
交信できても、できなくても、
ダブルバインドで、矛盾満載であっても、
幽体だったら、ありだから。

 

で、しばらくして、
人は皆幽体かもなあ、などという想いが湧いてきて。
何も、体を失って彷徨っている人々だけが、幽体ではなくて。

 

そう思うと、軽くなるような感んじがしたんだよね。

 

非二元的には、この世は幻想という表現がある。

で、同じものでも、自分に合うようにするか、自分に合ったものを選択する、
つまり、カスタマイズするという視点を得たこともあって、
私的には、人々は皆幽体、と表現してみたら、
何故か、非二元の、この世は幻想、というのが、よりわかりやすいんだよね。

 

それに、今まで生きてきた時間より、これからの時間の方が、俄然少ないので、
体から離れる準備期間としても、
私も含めて人々は皆幽体という視点は、大いに私の助けになりそうでもある。


もちろん、人々は皆幽体、という視点を持って、日常を見てみるにしても、
グラウンディングしていることは、必須だから、
生きている限り、住んでるところでやる必要のあることとかは、
疎かにしてはならないけれども。

 

なので、遊び感覚で、
人々は皆幽体という視点で、
日常を少し見ていってみるかな、というところ。

 

てか、こんな視点は、遊び感覚以外に、ありようがないよね ^^;