「感謝と学び」

 

今年度同志社大学体育会ラクロス部女子のDFリーダーを務めました、伊吹優子です。

 
まず初めに、日頃より私達の活動を支えてくださったOBOGの皆様、保護者の皆様、そして関わってくださった全ての関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。皆様のご支援とご声援は私たちの力となっていました。本当にありがとうございました。今後とも、同志社大学体育会ラクロス部女子への温かい応援をよろしくお願いいたします。
 
ついに、引退ブログを書く時がやってきました。感謝と学びに満ち溢れた私のラクロス人生を、ここで振り返りたいと思います。
 
私はいつも同期から話が長いと言われ、就活でも「短所は話が長いことです」と言っていたくらいです。一生で一度しか書けない引退ブログ。あえて簡潔に書いてみようかとも思いましたが、「ゆうこのアツいブログ楽しみにしてる」とか「誰もゆうこさんが短いなんて思ってないです」とか「むしろゆうこが短いと変」とか散々言われたので、文章の長さは気にしないことにしました。読む人は覚悟してください笑
 
もし時間のない方は「2.大切なこと」だけでも読んでいただけたら嬉しいです。きっと何か役に立つことが書いてあると思います。
 
私は、これまで挫折まみれの人生を歩んできました。だからこそ、その過程で得た学びもたくさんあります。これから綴る「大切なこと」を、あなた自身の感性で取捨選択し、ぜひ今後の人生を豊かにするヒントにしてください。
 
このブログが、読んでくださっているあなたの心を動かすきっかけになりますように。
 
0.大学の入部に至るまで
私は高校でラクロスを始めました。高校では毎年関西制覇するものの、新型コロナウィルスの影響で全国大会は2年とも中止。一度も全国大会を経験せずに引退してしまいました。一緒に頑張ってくれていた後輩に少しでも恩返しがしたくて、声を掛けてもらったコーチを引き受け、現役ばりにグラウンドに通っていました。(この時期に免許取れば良かったと後悔した瞬間もあったけど笑)
みらと一緒にコーチとして帯同した初めての全国大会は、複雑な感情もあったけれど、今となっては良い思い出です。(BBの後輩達、連れて行ってくれてありがとう!)
正直、不完全燃焼だったけれど、生まれつき運動神経も悪いし、大学で通用するほどの実力も自信もなく、大学でラクロスを続けるつもりは一切ありませんでした。(謙遜ではなく、本当に。)
 
しかし、私の決断を変える出来事が起こります。
 
それは、2021年11月の同志社大学vs日本体育大学の全学決勝。私はテスト直前にも関わらず、東京の駒沢オリンピック競技場まで行きました。理由は、姉の晴れ舞台を見届けるためでした。
私の姉は大怪我を乗り越えてスタメンとなり、周囲から史上最強の代と言われるチームの一員として、学生日本一を獲るためにラクロスに没頭していました。今思えば私が見ていた姿はほんの一部でしたが、それでも私は「日本一を取る集団はこんなに努力をし続けるんだ」と、ずっと尊敬の気持ちで見ていました。
全学決勝当日。試合開始10秒、あふらさんが先制点を取った瞬間、鳥肌が止まりませんでした。そして、勝手に同志社初の学生日本一を確信しました。けれど、気付いた時には試合終了のホイッスルが鳴っていて、同志社は崩れ落ちていました。
「あんなに努力しても、こんなに上手い人達が集まっても、日本一って届かないんだ」と衝撃を受け、呆然としてしまいました。21チーム主将のりょうさんがスタンド挨拶の時に「私達はやり切りました」と力強く言っていて、みんな悔しそうだけど、やり切ったからかどこか誇らしそうで。その姿が、グラウンドに立っていた同志社大学ラクロス部の先輩のみなさんの姿が、本当にかっこよくて。あの瞬間、私は心を動かされていました。
 
そして、大学でラクロスを続けることを決めました。
 
1.大学生活の振り返り
22チーム
未熟さに向き合った1年。
 
大学に入って最初の1年は、とにかく“自分の未熟さ”を思い知らされる日々でした。
高校までとは比べものにならないスピード感や戦術の深さで、ギャップについていくだけで精一杯でした。有難いことに、チャレンジ枠としてAチームに入れてもらっていましたが、「ゆうこは悪いところがある訳じゃないけど、良いところがない」と言われてBに落とされた時は、正直かなり喰らいました。笑
でも、自分でもその通りだと思いました。「尖った強みはなくても、バランサーとして周りを活かす動きがしたい」とか生意気なこと考えていたけど、これは自分の武器を探すことから逃げていたのかもしれません。
 
もうひとつ忘れられないのは、ウィンターの時期です。私の同期は優しくて協調性のある子ばかりで、強い要求をしたり厳しく言ったりするのが苦手でした。サマーは何とか優勝したものの、このままだと絶対ウィンターは勝てないという焦りが私の中で大きくなり、私は「嫌われ役になってでも、みんなが上手くなるために向き合おう」と覚悟を決めました。でも今思うと、当時の私は自己犠牲をはき違えた行動ばかりだったかもしれません。優しく言っても変わらない気がしてわざと棘のある言葉選びで伝えたり、言われたくなさそうと分かっているのに何度もキツく指摘したり。みんなの傷付く顔を見ては、みんなのためだからと謎の正義感のもと、尖った言動を繰り返していました。その結果、本当に嫌われる流れに。(同期のみんな、あの時は本当にごめんね。)
ウィンター1週間前に「今はゆうこと話したくない」と言われてしまった時は、さすがに心が折れかけました。途方に暮れていた時、うみ先輩とさらさんがティッシュを持って話を聞きにきてくれたことは忘れません。(あの時のおふたりの優しさが本当に沁みました。心から大好きです!)
決勝当日は、私もぺあも肉離れのまま、全試合ほぼフル出場。今となっては笑ってしまうほど無謀ですが、当時はそれが最善と思い込んでいました。
結果、0-2。私は全然足を動かせない上にシャットされて、それを上回る技術力なんて私にある訳もなく、普通に負けてしまいました。身体作りもできていない。技術も足りていない。同期との向き合い方も上手くできなかった。全ては自己管理の甘さと実力不足が招いた結果です。高校からの経験者がいる同志社が、ウィンター優勝できなかったなんて前例がなく、自分の未熟さと多方面への申し訳なさで押し潰されそうになりました。
 
今振り返ると、この1年からは「自分の武器を探し続けること」と「人との向き合い方にこだわること」の重要性を学びました。どちらも出来ていなかったのは、意識のベクトルを他人に向け過ぎていたからだと思います。
つまり、「誰かの強みを活かそうとする前に、まず自分の武器を見つけるための試行錯誤に注力すべきだった」「他の人にあれこれ要求して変わってもらう前に、自分の伝え方や考えに改善の余地がないか検討すべきだった」と思います。
意識のベクトルを他人に向ける前に、まず自分自身に向ける方が得られるものは大きいと私は思います。
 
 
23チーム
憧れが詰まっていた1年。
 
23チームを一言で表すなら“憧れ”でした。特に主将のかりんさんは、全ての班活動に細かく干渉して組織を作り変えながら、リーグ戦でも活躍されていて、人間の域を超えたキャパの持ち主だと思いました。(本幹部を経験した今、余計にそう思います。)
他にも、あふらさんやあまねさん、当時の3.4回生の方々も含め、技術力の高いスター選手が何人もいました。
 
キックオフから数ヶ月が経った頃、「尊敬する先輩方の力になりたい」「自分が23チームへ貢献する方法は何だろう」と考えた末に、Bリーダーに立候補しました。例年であれば上回生が務める役職です。2回生の自分でいいのかと不安もありましたが、あまねさんが一緒に頑張ろうと言ってくださったのは心強かったです。
ただ、3.4回生の先輩方もいる中でリーダーをするのは、想像以上に難しいことでした。“AとBの戦術を繋ぐ”なんて、口で言うほど簡単ではありませんでした。自分自身は相変わらず下手で、Aでは上手くいかない状況。それでもBの練習動画を見て、メニューやポイントを考える日々が続きました。りぃやちひろさん、あいかさんなど沢山の人に助けられていたなと改めて思います。(当時のBチームのメンバーにはきっと嫌な思いもさせたことも多かったと思います。それでも最後まで一緒に頑張ってくださったこと、本当に感謝しています。)
 
23チームは卓越した技術力を持つ選手が何人もいて、魅せるラクロスを体現していたので、全学へ行って、日本一を獲るんだと本気で信じていました。ただただかっこよかったです。超がつくほどの少数精鋭だったが故に、夢半ばで終わってしまったのが今でも悔やまれます。自分に、スタメンの先輩方と同じフィールドに立てるだけの実力があれば。関西決勝が終わってから何度も思いました。23チームを経て、改めて学生日本一への道のりの遠さを痛感した記憶があります。
 

 

 
そして避けて通れないエピソードである、24チームの春幹部決め。ここで私のメンタルは見事に死亡しました。笑
圧倒的な技術力なんて無いけど、同期のバランスを考えた結果、ATサブリーダーに立候補しました。(当時からぺあがリーダーの方が良いと思ってはいたけど、リーダーとして業務に追われるよりエースとしてのびのびプレーする方が、ぺあのためにもチームのためにもなると思ってた。でも結局本幹部で超頼もしくて最高のリーダーだったから、普通に春幹部から推薦すれば良かったな笑)
立候補したのは良かったものの、そこから約3週間、私の短所について詰められるミーティングが続き、さすがに精神的にやられました。笑
(あの短所ミーティングは正直しんどかったけど、おかげで自分のことを本気で見直すことができたから、たくさん伝えてくれた同期には感謝してる。ありがとう。)
 
今思うと、この1年からは「憧れや実力不足から逃げないこと」の大切さを学んだと思います。23チームには圧倒的な技術力のスター選手が多く、正直、その人たちについていけば、少数精鋭でも勝てるのではないかと思い込んでいました。しかし実際には、それだけでは勝てませんでした。上手い人に頼るだけでは再現性は生まれず、誰かが欠けた瞬間にチームは脆くなる。その現実を突きつけられた気がしました。
そして「上手い人についていけばいい」という考えは、自分の実力不足から目を背けていただけだと気付きました。憧れだからと言い訳せず、「自分はどこで価値を発揮するのか」を考え、そこから逃げない姿勢こそが、チームを強くするのではと思います。
 
 
24チーム
問い続けた1年。
 
長かった短所ミーティング期間を経て、私は春幹部として「どうすればこのチームを全国制覇へ導けるのか」という問いを抱えたまま、24チームのキックオフを迎えました。
 
春期間は一瞬で過ぎ去りましたが、その中で記憶に焼きついているのは、つま恋です。
当時うたと試行錯誤しながらたくさん考え、優勝するために最善の選択をしてきたつもりでした。しかし、大会が進むにつれ、チームが大きく分裂していきました。
振り返ってみれば、原因はとてもシンプルでした。目的が曖昧なまま、つま恋を迎えてしまったこと。そして、決定事項の度に「幹部がなぜその判断に至ったのか」という経緯を丁寧に説明できていなかったことです。
優勝という目標をみんなで決めて、春幹部は優勝するためにひたすら前へ突き進んでいました。でも、「なぜその優勝を目指すのか」という本質の部分を共有できていなかったからこそ、周りのみんなはついて来られなかったのだと、つま恋当日まで気付けませんでした。
予選は1位通過したものの、徐々に空気は怪しくなり、あの最悪な状況へ陥りました。(あの真っ暗な倉庫で回生ミーティングしたのも懐かしいね笑)
全員で気持ちを合わせ直して決勝トーナメントに挑みましたが、結果は5位。気持ちが揃っていなかった以上、妥当な結果だったと思います。
 
この経験を通して私は、リーダーとして正しい判断をすること以上に、なぜそう考えたのかを伝え続けること、そして目的を明確にする重要性を痛感しました。
この失敗談が、今リーダー的立場にいる人・これからその役割を担う人に届けば嬉しいです。(どうか反面教師にしてください笑)
 
ちなみに余談ですが、ひいろが1試合の中でゆうことぺあ、それぞれと衝突して両方脳震盪にさせるという事件もありました。ひいろに怪我がなく無傷だったのは良かったけど、あの子がどれだけ頑丈なのかが証明されました。(たくましくて何よりだよ笑)
 

 

(ぺあとひいろとわたし)
 
他にも、ブログには書けないような出来事もあり、しんどいことも多かったけれど、あの24チームのつま恋は、どんな形であれ、私にとって忘れられない時間となりました。
 
さて、ここで私の人生を変える、大きな転機が訪れます。
U20との出会いです。
 
1月のトライアウトであっさり落ちたのに再選考の連絡が来た時、正直信じられませんでした。これは間違いなく私の人生で最も幸運な出来事だと思います。
 
そこからは怒涛の日々でした。課されるトレーニング量はやばいし、練習会は次元が違いすぎる。そもそもボトムをやったことがなくて知識も経験も足りない。あすかさんや貴也さんの期待に応えたい一心で、食べることが生き甲斐なのに食事制限と禁酒をして、生活の全てを捧げていました。朝の始発前にトレーニング、部活後の自主練が終われば1人でジムへ行って、帰宅後にもフットワークをひたすらやる。その繰り返しで、とにかく毎日必死でした。(今はもう絶対できない笑)
 
乗り越えられたのは絶対にぺあのおかげです。アップ後に2人だけ別で行う、死ぬほどきついトレが日常となっていました。400mの日は興戸の坂から2人とも無言で顔が死んでいたのも、今となっては良い思い出です。笑
 

 

(ぺあと夜に集まってトレーニングした時🏋️‍♀️)
 
1on1の対峙力を上げることが急務だった私は、多くの人に力を貸してもらいました。特に、のどかは1on1友達として、毎日のように1on1していた気がします。(メニュー間にちょっかいかけると、顔でダッジかけてくるの好きだったよ笑)
他にも、ひいろやゆう、はるか先輩やあっきゃんさん、そしてほぼ接点のなかった男ラクのみなさんまで、本当に多くの人に支えてもらいました。感謝しかありません。
 
そのおかげで、自分で実感できるほど短期間で成長することができました。もうこれ以上出来ないくらい、人生で1番努力できたのは、U20のコーチ陣とメンバーを心から尊敬していて大好きだったからです。自分にできることはほとんどなくても少しでも貢献したい。その想いが私を突き動かしていました。
 
U20の世界大会では、最高に嬉しい瞬間と人生一の挫折を同時に経験しました。あの2週間は幻みたいで現実味がないですが、一生忘れたくないです。
 
予選最終戦の前日の夜、あすかさんに呼ばれ、「明日勝って予選突破したら、メダルにまた一歩近づくから頑張ってね」と激励してもらいました。出場時間が短く、貢献できていないという思いで存在価値を見失っていた私は思わず「ずっと何も貢献できていなくて、すみません」と泣きながら伝えてしまいました。
あすかさんは全部聞いてくれた後、「がっかりだよ、ゆうこ。私はあなたを信じて連れてきたんだからね。」と言ってくれました。私は、この言葉にハッとさせられました。
 
スポーツである以上、試合に出て結果で示すことが最も大切だという前提は変わりません。それでも私はこの時、貢献の形はそれだけではないと気付きました。コートに立っているかどうかではなく、どんな立場でもチームのために本気で考え、戦えているかどうか。それこそが、私に問われていたことでした。そこで初めて、「出場時間が短い自分にできることは何か」を考え、自分にできる最大限の行動をしてみんなと同じ気持ちで戦えるようになりました。
 
そして迎えた、3位決定戦のオーストラリア戦。
日本がリードし、残り時間わずかの場面で、あすかさんに名前を呼ばれ、コートに立つことができました。ベンチのみんなも「ゆうこさん頑張れ!」って送り出してくれて。日本の歴史が変わった瞬間を、試合終了のホイッスルを、コートの上で聞けたこと。振り返るとスタンドが大歓声に包まれ、ベンチからみんなが笑顔で飛び出してきていて。あんなに心が震えたことは今までありませんでした。
 

 

(私の原動力であり、尊敬してやまないU20のみんな)
 
今振り返ると、この経験から学んだのは「常に本気で考えて行動すること」の大切さだったと思います。
試合に出られない人は、どの大学、どのチームにもいると思います。試合のために必死で準備してきたのに、出場時間が0秒で終わることもある。自分の存在価値はなんだろうと考えてしまうこともあるかもしれません。
 
私も、何度もそう思いました。
 
それでもU20での経験を通して、私はひとつだけ自分の中で決めたことがあります。それは、立場や出場時間を言い訳にせず、チームのために本気で考え、行動し続けることだけはやめない、ということです。出場時間が短くても、0秒でも。どんな立場にいても、同じ気持ちで戦うことはできる。
チームのために本気で考えて行動し続けられるかどうか。それこそ大切だと私は思います。
 
 
25チーム
苦しい1年。
 
先に断っておきますが、この1年は私自身の感情や考えを書く部分が多くなります。学びとして受け取ってもらえたら嬉しいですが、そうならないかもしれません。それでも、「素直に書いてほしい」と言われたので、今回は自分の中で起きていたことをそのまま書こうと思います。
 
2024年の冬、私はものすごくワクワクしていました。
(どれだけワクワクしていたかは、かほやうたに聞いてもらえば分かると思います笑)
 
なぜなら、奇跡的にU20のメンバーとなり活動して、たくさんの学びを得て、色々な景色を見たことで、同志社初の学生日本一に届く可能性を本気で感じられたからです。こうすれば日本一に届くかもしれないという仮説に、自分の中ですごく納得していました。ただ、25チームの目標を決める時、本当に「学生日本一」を掲げるべきか最後まで悩みました。「関西制覇」に届かない未来も容易に想像できたし、「日本一を掲げる」ということは、日本一努力すると宣言することと同義だと思っていたからです。それに、もし日本一努力したとしても、届かない可能性だってある。そんな茨の道に進む覚悟のある人間が、同志社にどれだけいるのか分からないという不安もありました。
 
それでも、学生日本一を掲げると決めた以上、幹部として必要だと思ったことは躊躇わず実行しようと思いました。
私が最も必要だと考えたのは、成長環境を作ること。私を含め、ほぼ全員が昨年度までのリーグ戦で出場経験を積めていない状況で、25チームの主力層が大きく成長しないと、学生日本一は見えてこないと思っていました。同時に、25チームで学生日本一を獲るには、後輩達の力をたくさん借りることになると分かっていたので、みんなのポテンシャルをどこまで引き出せるかが鍵になると考えていました。
 
だからこそ、永島さん、幸代さん、あっきゃんさん、いだほさん、かりんさん、貴也さん、という本当に信頼できる方々にコーチをお願いしました。
(お忙しい中、コーチを引き受けてくださって本当にありがとうございました!)
 
そして、私が同志社の幹部に3年間携わって毎年指摘されているのが、現場にコーチがいないということ。年に数回来ていただけたら良い方で、一度も現場に来られなくても仕方ないという雰囲気だったように感じます。その環境下でも強くなっていけていた先輩方は本当にすごいなと思いつつ、私はコーチさんの指導の下で努力の仕方を教えてもらいながら成長していくことを経験し、同志社にも同じ環境を作りたいと思いました。
 
そこで「プレイングコーチ」という新たな役職を設けました。ACL公式インスタに連絡したり、U20の練習会で一度だけお会いした方に連絡してみたりと、全く縁もゆかりもない社会人男子ラクロッサーを同志社に連れてくるために声をかけるのは、人見知りの私にとっては正直かなり怖かったです。
それでも、甲南大学のグラウンドまで会いに行って依頼したとらさんを起点に、もとなりさんとクロカズさんが同志社のプレイングコーチとなってくれました。(今思えば、プレイングコーチという役職を作ってこの3人を誘致したことこそ、今年の私がしたことの中で最もナイスなことだったかもしれません笑)
 
就活と並行しながら、コーチオファーのために大阪や東京へ行ったりzoomをしたり、必死に動き回ったこの期間で、どうにか成長環境を整えられたのではと思っています。(どう考えても、コーチ陣のラインナップえぐすぎて、コーチは断トツで日本一だったなと思います。笑)
 
2月11日。私がキックオフをする時に決めていた事があります。
 
①    信じ続けること
②    強い指針であり続けること
③    未来に残すこと
 
「信じ続ける」は、U20のコーチ陣に強く影響された考えでした。最終選考までずっと練習生で、期待する価値ないくらいの存在だった私に、最初から最後まで「信じている」という言葉をかけてくれました。それが原動力となり、しんどくても踏ん張れたことが何度もありました。だから私も、リーダーとしてそんな存在になろう。部員1人1人とチームの可能性について、私だけは最初から最後まで信じ続けよう。そう決めました。
 
「強く、指針であること」も、U20に影響されています。目指す先や方向性がブレないこと、チームを牽引する人がブレないこと。その安心感があるからこそ、人はついていけるのだと思いました。DFリーダーとしてチームを日本一に導くために、部員に不安や迷いを感じさせたくない。だから、私の弱いところは見せない。そう強く思いました。
 
「未来に残す」は、これまでラクロスを通じて考えてきたことでした。ずっと先の同志社まで残る価値を生み出したい、という想いです。ラクロスはスター選手のいるチームが強くなり、戦績を残すことが多い。そんなのは分かっていますが、それで毎年4年生のエースが抜ける度に1から作り直すのを見て、私は思いました。個人技に依存しすぎず、誰が出てもある程度の再現性で戦えるチームを創りたい。同志社として、今年だけで終わらない長期的な価値を残したい。そう本気で思いました。
 
こんな想いをもってキックオフしましたが、春期間は想像以上に就活に時間を取られ、思うように部活に関われない日々が続きました。かほにたくさん迷惑をかけたし、助けられたなと思います。冬オフやキックオフ直後は、かほが春リーダーとして自走できるように、とにかくミーティングを重ねていた記憶があります。それでも、私は新しい提案ばかりする上にLINEの返信も遅く、不安にさせてしまったことも多かったと思います。そんな中で、春期間をやり切ってくれたことに、感謝しかありません。
 
 春期間を終え、年間計画から少しずつ遅れ始めていることに焦りを感じていた頃、あゆみとのどかが前十字靭帯を断裂しました。これは私にとって、想像以上に大きな出来事でした。
 
あゆみは周りを見て動くのが上手くて、25チームで得点源になってくれる未来を想像していました。のどかは足も頭もよく動き、攻守ともに安定して良い動きを見せてくれるので、25チームも1on1友達としてスタメンを争いながら切磋琢磨していくものだと思っていました。
そんな2人が大怪我で離脱してしまうことは、日本一を掲げた計画が、現実から少しずつずれていく最初の出来事だったのかもしれません。個人としてもリーダーとしても2人の怪我に対するショックは大きかったですが、立ち止まるわけにはいかず、必死に前を向いて進んでいました。
 
リーグ開幕前で最も衝撃的だった出来事は、スーパーカップです。審判に全然アジャストできず、決勝戦では、32回のファール、3枚のイエローカード、28回のFS。さすがに頭を抱えました笑
遠征に帯同してくれたもとなりさんにも、FSとマンダウンばかりで焦らせてしまったと思います。そもそも試合の采配はプレイングコーチの依頼内容ではないのに、遠征に帯同していただいて、その分私がしっかりしないと思ったのに、力及ばず準優勝で終わりました。(一度も練習していなかったマンダウンのゾーンDFが、その場のノリで謎に上手くできたことは、良い意味で衝撃だったけど笑)
 
そしてついに、7月14日。一番楽しかった開幕戦。
前日までに色々あった分、開幕戦当日はワクワクよりも不安の方が大きかった気がします。アップ中は割と調子が良い方だと思っていたけど、ひいろに「ゆうこさん、左の腕下がってますよ」と言われ、自分が緊張していることにやっと気付くくらいです。
でもそんな不安も緊張も吹き飛んだのが、試合開始20秒。ぺあが先制点を取った瞬間でした。心の底から嬉しくて、会場が湧いた歓声も凄まじくて、最高な瞬間でした。そして、直前の合宿でようやく掴み始めたゴール前DFを体現できるシーンがたくさんあって、すごく嬉しかったです。みんな半信半疑に練習していたFSのクラッシュが上手くいったのが、私としては何より嬉しかったです。(他大のみんなも褒めてくれてありがとう笑)
 
試合が終わった瞬間、「負けたけど楽しかった。秋に勝てる兆しが見えた気がする。ここから進化していけば関西制覇、学生日本一まで届くんじゃないか」と心から思いました。そしてこれを、ぺあとうたと興奮気味で話し合って、ここから頑張ろうと盛り上がったことを鮮明に覚えています。

 

(開幕戦後、未来への希望に満ち溢れたリーダーズ✌🏻)
 
しかし、開幕戦以降、自分は技術幹部だけど、ラクロスの戦術面に集中するのが難しい日々が続きました。なぜなら、この同志社ラクロスという組織が崩れて落ちて沈んでしまうことだけは、避けないといけないから。その当時、こなつとぺあと私にとって、事実と異なる噂が広まっていく恐怖、みんなが幹部に何を思っているのか分からない不安、幹部がみんなのためだと思って行う行動が受け入れられない恐怖など、たくさんの恐怖が存在し、渦巻いていました。きっと部員のみんなからしたら、また違った恐怖や不安があったことと思います。申し訳ないです。
 
この状態は幹部がみんなと向き合えていないことが原因だと思い、各学年と幹部でミーティングをしたり、Aチームだけで組織ミーティングをしたり、部員と沢山話す機会をとにかく増やしました。キックオフしてから幹部はずっと上を見て走ってきて、みんな同じ温度で走っていると思っていたけれど、そうじゃなかったのかもしれない、という気づきをもらいました。
部員全員の言葉を全て真正面から受け止めようと思い向き合ったけれど、これは想像以上にハードなことでした。(こなつが隣で精神をすり減らしながら主将を務めてくれていたから、私も弱音を吐かずに頑張らないと、と思えたよ。こなつがいてくれて良かった。本当にありがとう。)
 
ただまあ、7月8月はあまりに過酷で正直ほとんど記憶がないですが、とにかく毎日乗り越えるために必死に生きていました。(backnumberのベルベットの詩を聴くと、この頃を思い出します。歌詞が一文字残らず刺さるので、毎日何十回と聴いていました。辛いことがある人はぜひ聴いてみてください笑)
 
8月31日。準備して挑んだけれど、勝てなかった日。
これ以上ないくらいに準備していたから勝つ未来しか想像できなかったのに、まさか1Qで6点ビハインドになるとは。1Qの内容が嘘だったかのように、2Q以降で7-9まで怒涛の追い上げを見せましたが、結局負けてしまいました。何が悪かったのか、次のファイナル準決勝に向けてまた1から考え直す日々が始まります。次こそ勝つために。
 
そんな矢先です。
 
9月13日。きこが前十字靭帯を断裂した日。
試合中きこが倒れた瞬間、嫌な予感がしました。駆け寄っても、うずくまっているきこに声を掛けることしかできませんでした。この日まで別の怪我を抱えていたきこは、病院に通いながら、この日の前日も注射を打って調整していたのに。関大戦で大活躍し、ようやくみんなにきこの凄さを分かってもらえた気がして嬉しかったのに。
きこは私の高校の時から精神安定剤みたいな存在でした。私は周りからよく不器用だと言われて同期と沢山ぶつかってきたけれど、いつでもきこは私を受け止めてくれたから。
そんなきこの怪我は私の精神を揺るがせるには十分でした。きこはもう戻ってこられないかもしれない、という感情を抱えながら、それでも止まるわけにはいかない、と自分に言い聞かせていました。まだ25チームは戦える。ここからギアを上げて全部勝つ。そう言い聞かせることで、なんとか前を向いていました。
 
9月20日。ぺあが前十字靭帯を断裂した日。
試合中にぺあが倒れた時、頭が真っ白になりました。すぐに立ち上がれない様子を見て、前十字かもしれないと悟りました。気持ちが動揺して手の震えが止まらなかったけれど、リーダーが倒れたことは後輩たちのほうが不安に思うだろうと思い、私は元気に振舞わないと、みんなの動揺を抑えないと、と思っていました。だけど、自分の動揺を抑えることは難しくて、早く試合が終わらないかなと願っていました。(リーダーなのに最低です笑)
4Qは体感60分くらいに感じました。ようやく試合が終わって、集合を終えるまでは普通に振る舞わないといけないと自分に言い聞かせて、平常心を装い、息を吸って吐くことだけに集中して過ごしました。そうしないと、涙が溢れて止まらないから。集合が終わった後、声を上げて泣き崩れてしまいました。もうぺあと一緒にプレーできないかもしれないという悲しみと、この先の未来への不安が入り混じって、表現し難い感情になっていたように思います。人前であんな状態になったのは人生で初めてでした。みんなの前では弱い自分を見せない、涙を見せない、そう思っていたのに。キックオフで決めていた「強く、指針である」というリーダーとしての自分が崩れた瞬間でした。
 
この日からしばらく長い間、食欲不振や睡眠不良が続き、何も活力が湧きませんでした。部活の時間はなるべく明るく振舞っていたつもりだけど、それ以外の1人の時間はずっと涙と震えが止まりませんでした。近大戦から2日後、正式な診断結果が出ました。ぺあがコーチさんに怪我を報告する文章を読んだ時、現実を突き付けられました。この日を境に、リーグ開幕から続けていた、夜の自主トレ後に神社にお参りするという日課を辞めました。神様はセンスがないことが分かったからです。
 
ここから私にとって地獄のような日々が始まりました。幹部とコーチさんとの話題はずっと「ぺあときこの代わりに戦える選手は誰か」ということ。その度に、リーダーとして候補となりうる選手のプレー動画を沢山見て傾向を報告する自分と、「ぺあときこの代わりなんているわけない、あのふたりがいないと意味ない」と思ってしまう弱い自分とで、激しく乖離していました。「関東遠征をする意味がないのではないか」とかいう血迷った発言で、さちさんを困らせたこともありました。
 

なぜこんなに地獄だと感じたかというと、私のモチベーションがどこまでも人に起因していたからです。今年は「自分が上手くなることがモチベーションのタイプだったら良かったのに。」と何百回も思いました。

私が学生日本一を取りたかったのは、自分自身のためではなく、ぺあを含め、本気でラクロスに打ち込むみんなと一緒に日本一の景色が見たかったからなんだ、とこの時期に自覚させられました。

だからこそ、この時期は「欠けたメンバーが揃っていれば」という意味のないタラレバばかりを考えてしまっていました。近くにまだ一緒に戦ってくれているメンバーがいるのに失礼すぎます。本当にごめんなさい。(このボロボロだった時期はひいろやもとなりさんに沢山迷惑をかけたし、助けてもらったと思います。就活前のひいろやタイ旅行中のもとなりさんへの配慮ができないくらい追い込まれていました。とにかく反省と感謝でいっぱいです。ごめん、ありがとう!)

 
そんな精神状態で迎えた関東遠征は、不安と申し訳なさでいっぱいでした。まず、采配を考える段階で「MFの4回生が自分1人だけなんだ」とか、試合後の写真撮影の時に周りを見て「25キックオフした時の幹部が自分だけになってしまった」とか、考えてもどうしようもないことで不安の波が襲ってきて、「あれ、このままで大丈夫なんだっけ」とチームの信じる気持ちが揺らいでしまっていた瞬間もありました。
そんな状況の中、ぺあの気持ちを背負って果敢に点を取ってくれるひいろやゆりなをみて、本当に頼もしくてありがたい気持ちとともに自分の不甲斐なさと申し訳なさでいっぱいになりました。
 
10月18日。ファイナル準決勝。
この日に勝つための準備をして挑みました。どんな状況になってもやることは変わらない、自分と仲間と同志社の可能性を最後まで信じる、そう自分に言い聞かせながら試合前プレイリストを聴いていました。
試合が始まり、序盤でまさかのイエローレッド。試合開始10分の出来事でした。そのあと立て続けにイエローが出て、2マンダウン。その時の心を折るには十分すぎたし、今改めて思い返してもしんどい展開だったと思います。とにかくあの時は目の前にただ必死で、あまりよく覚えていません。試合動画も正直あまり見たくはありません。ただ、ひいろが果敢に攻めて点を取ってくれて、毎回全力で駆け寄ったことだけは覚えています。
やばいと内心焦っている時、試合中にスタンドやベンチから大きな応援や私の名前を呼んでくれる声が飛んできて、こんなにも多くの方々に応援してもらえているんだと実感し、力が湧いてきました。(ファイナル準決勝の応援に来てくれた友達や、同志社側に座ってくれていた他大学のみんなに感謝の気持ちでいっぱい。本当にありがとう!)
 
それでも現実は厳しく、結局関大に勝つことは出来ませんでした。奪い返してひいろがシュートを決めたり、マンアップでこなつがえぐいシュートを決めたり、かほとレッドで奪い返したり、と思い返せば良いシーンがあるような気もするのですが、それはただ言い聞かせているだけな気がします。事実は事実。負けたのです。
 
試合終了の笛が鳴って、負けてしまった、終わってしまった、という感情が浮かんできた次の瞬間、気持ちのスイッチが切れて変に冷静になっていました。一瞬足に力が入らずしゃがみ込んでしまい、ぺあが寄ってきてくれてのに、「急いで整列しなきゃ」と虚無状態で淡々と動いていました。(今思えばそこでぺあと熱いハグとかしとけばよかったってまじで後悔してます笑)
 
ただ、ベンチに戻ってきて、コーチさんやベンチのみんなを見たら涙が止まりませんでした。みんなの想いを背負っていたのに、勝つことができなかった。リーダーとして自分に勝たせるだけの実力がなかったからだ。いろんな考えが頭を巡りました。
それでもフィールドキャプテンとして、最後くらい良いことを言いたいと思って、動かない頭で必死に考えて、スタンド挨拶をした気がします。
 
試合後にコーチさん方は「コーチである私達のせいだ」と言ってくださりましたが、私はそうは思いません。全てリーダーである私の責任です。私がリーダーとして、みんなで“信じて繋がる”を体現するような最強の組織DFを創り上げることができませんでした。私がリーダーとして、圧倒的な技術力で攻守共に相手を圧倒することができませんでした。ただ、それだけです。
 

 

 

 
試合が終わってから、キックアウトするまでの期間は抜け殻のようでした。頭では負けた事実を理解しているものの、心が追いつかず、ずっと夢の中にいるみたいでした。今もなんだかふわふわしていて、気持ちが迷子になっているように思います。関学や立教、日体など全学に出場してプレーしているみんなを観ていて、様々な感情が複雑に絡まり合って。溢れてくる気持ちの整理をつけることは難しかったです。
 
個人としてはそんな状況でしたが、ウィンター優勝に向けて出来ることを全力でやったつもりです。同志社だけじゃなくて体大の子たちにも私に教えられることは教えました。1年生たちはたくさん吸収して上達してくれて。1回生の努力が実って、見事に優勝した姿を見られたのは嬉しく思います。同志社の未来は明るいなあと思います。(後輩たち応援してるよ、頑張ってね!)
 
ここまで振り返ってみて、キックオフ時に自分とした3つの約束「信じ続ける・強く指針である・未来に残す」は、どこまで守れたか分かりません。これ以上にできないくらい、自分にできることを最大限努力したつもりだけど、「つもり」になっていたのかも知れません。
あすかさんに勝手にした約束も果たせなかったし、今まで関わってくださった先輩やコーチ陣への恩返しもできなかったです。
 
自分の苦しい部分ばかり書いてしまったけれど、さちさんともとなりさんのもとで、うたかほまりこをはじめとしたDF陣と一緒に創り上げていくDFは楽しかったです。(本当に!)
何時間も🌷と👾を付け続けながら、みんなの中で何かが変わりますようにと思って、戦術ミーティングの準備をしていたのも、今となっては良い思い出です。
 
積み上げてきたものを大事な場面で発揮できなかったことに対する悔しさは残りますが、来年以降の同志社DFが、今年を余裕で超えていく姿を楽しみに見守りたいと思います。
 
きっと大丈夫、私の自慢の後輩達なので。
 
 
2.大切なこと
私は挫折と出会う度に、立ち止まって、沢山考えて考えて、そこから行動するという人間でした。要するに、良くも悪くも考え過ぎる性格ってことです。(もっぷろで「ゆうこは頭でっかち」という若干の悪口を言われたくらいです笑)
 
そんな私が考え抜いた“大切なこと”を伝えます。
 
変えられることに尽力する
これは、全ての人に伝えたいことです。U20の活動から学んだことです。
みなさんは、変えられることって何だと思いますか?
 
私は“自分自身”だけだと思います。
 
雨でグラウンド状況が悪いなら、それに合わせたプレー選択をする。自分は注意しているつもりでも審判にファールを取られるなら、その人の判断基準にアジャストする。他人に自分の考えを伝えても行動が変えてもらえないなら、自分の伝え方を変える。試合に出場できないなら、プレー以外の貢献方法を探して実行する。
 
変えられないことに文句を言っても何も生まれないし、きっと良くなることもありません。だから、自分が変えられることに目を向けて尽力するのです。私はU20を経て、人は必ず変われると知りました。CHANGEというスローガンのもと、本気で努力した私は、過去の自分と比べて見違えるほど変わることができました。だから、他人や周囲の環境よりも、まずは自分自身に目を向けましょう。
 
私はあなたが変わることができると信じています。
 
 
たくさんの出会いをする
これは上回生も大切ですが、特に下級生に伝えたいことです。
 
ラクロスは、必ずしも正解があるスポーツではないからこそ、面白いと思います。学生日本一になる大学のプレースタイルが毎年違うように、万人に当てはまる正解は存在しません。でも、もしあなたが今いるチームしか知らなかったら、その組織の当たり前が、いつの間にか唯一の正解になってしまうのではないでしょうか。先輩やコーチの言葉も大切ですが、それが必ずしもあなたにとって最善とは限らない。そう思える視点を持てるかどうかで、選択肢の数は大きく変わると思います。
 
だから私は、関東武者や代表のトライアウトなど、普段とは違う環境に飛び込むことをお勧めしたいです。「お金がもったいない」「自分なんかが日本代表なんて無理だから」という気持ちも、正直よく分かります。私自身もそう思いました。それでも、基準の高い環境に身を置いたことで、自分の当たり前の基準がいかに低かったかを知り、ラクロスの見え方が一気に変わりました。U20で出会った選手たちは、技術だけでなく、精神的な基準も圧倒的に高かったです。その中に身を置いたことで、プレーの選択肢も、考え方も、以前よりずっと広がりました。
 
たくさんの出会いは、ラクロス人生を確実に豊かにしてくれます。今いる場所がすべてだと思わず、少しだけ外に目を向けてみてください。
 
 
伝わるように伝える
これは、特にチームを牽引する立場の人に伝えたいです。
 
「何度伝えても変わってくれない」「私は言った、なのに分かってくれない」と思ってしまうことはありませんか?
それは仕方ないことです。なぜなら、相手は自分と違う人間だから。生まれ育った背景も価値観も異なるからこそ、同じものを見たり聞いたりしても、受け取り方は人によるのです。また、置かれている立場によっても見え方や受け取る情報は違うように感じると思います。他人は変えられないのですから、自分が変わるしかありません。
 
相手に“伝わる”ように伝えることが大事です。相手の立場から考えてみる。相手の発言の意図を考えてみる。相手が何を大切にしているか考えて配慮することが、“伝わる”ように伝えるコツだと思います。
 
 
個性を受け入れる
これは、2年生でBリーダーをした経験から思うことです。
 
自分の個性と仲間の個性は全力で受け入れ、それを最大限に生かす方法を考えましょう。
私はBリーダーをしていた時、Aチームの最強の戦術があればBチームも勝てる。そう思っていました。けれど、2023年の終盤に永島さんに「BチームはBチームにいるメンバーに合った戦術をすべきだよ、もっと個性を活かさないと」と言われました。その通りだと思いました。1人1人に得意不得意があって、キャパも人それぞれで、その人しかない個性があるはずです。だから、無理やり組織の方にはめ込むだけじゃなくて、もっと個性を受け入れる必要があるのではないかと、私は思います。
 
 
『結果=努力×才能×運』
努力と結果について、あなたはどう考えますか?
 
私は、「努力とは、結果を出すためのスタートラインに立つこと」だと思います。
考え方は人によると思うけれど、私は「努力は必ず報われる」なんて思わないし、「結果が出なかったなら、それは努力と言える量に達していなかっただけだ」なんて思いません。全てを懸けて努力しても、思い描いた結果に届かないことは確かにあるからです。
それでも、努力が無意味だとは思いません。むしろ、死ぬほど努力して、ようやく結果を出すためのスタートラインに立てる。高いレベルを目指せば目指すほど、才能に甘んじて努力しない人は、その地点にすら辿り着けない。だから努力は、結果を保証するものではないけれど、挑戦権を得るために絶対に必要なものだと思います。
 
ただ、残酷なのは、努力を重ねても通用しない領域が存在することです。ある段階から先は、才能があり、なおかつ努力できる人しか生き残れない世界になります。
 
それでもなお、才能があって努力すれば必ず報われるかと言えば、そうではありません。最後に結果を大きく左右するのは、「運」だと思います。私がU20日本代表に携われたことや、今年のコーチ陣と出会えたことは、間違いなく運が良かった。一方で、高校最後の全国大会がコロナで直前に中止になったことや、25チームでMFの主力として戦うはずだった4人が前十字靭帯を断裂したことは、運が悪かった。そう片付けるしかありません。
 
結局、勝負の世界において、努力とはスタートラインに立つための条件であり、その上で自分の持つポテンシャルをどこまで伸ばし、尖らせられるか。そこまでやったら、あとは「運」。どうしようもないので、自分にできることをやるだけです。
(今年の夏に幹部6人で、この「運」に関する議論で盛り上がったのも懐かしいね笑)
 

 

(ぺあとひいろとかほと4人でお参りして書いた絵馬。効果なし!笑)

 
 
3.最後に
私はこれまで、「勝つチームが良いチームだ」と何度も言われてきました。その言葉は、間違っていないと思います。だからこそ私は、「良いチームだと証明するために、何としても勝たなければならない」と信じて走ってきました。いざ、最後の試合を終えてから強く感じたのは、「結果でしか、過去の自分を肯定できない」という現実でした。
 
敗北という事実ひとつで、これまで自分が選んできたこと、こだわって積み重ねてきたもの、大事にしてきた価値観、これら全てが間違っていたのではないかと思わされる。その感覚は、本気で賭けてきた人ほど、想像以上に苦しいものだと思います。
 
こんな感情を素直に書くのは、正直とても恥ずかしくて、最後まで迷いました。それでも書いたのは、このブログを読んでくれているあなたに、同じ思いをしてほしくないと思ったからです。
 
もし今、まだ目標に向かって走れる立場にいるなら。結果を出すための努力ができるなら。自分自身を結果で肯定できる可能性が残されているあなたが、私は心から羨ましい。もうそれを目指せない立場になって、初めてそう思いました。
 
もちろん、私たちだけが特別に不運だったとは思っていません。どのチームにも怪我人はいたし、想定外の出来事はあったはずです。ただ、Aチームの上回生MF4人が前十字靭帯を断裂し、リーグ開幕後に主将が交代するという状況は、なかなか珍しかったのではないか、と思ったりします。
 
25チームは戦績だけ見たら、同志社史上最弱かもしれない。組織も技術も、胸を張って完璧だったなんて言えない。それでも、本気で学生日本一を目指し、勝ちに行った時間が確かにあったことだけは、今も変わらない事実です。どんな状況でも立ち止まらずに走ってきたこと、これも事実です。ただ、私たちがこだわって積み上げてきた過程を結果に残して証明できるほどの実力がなかった、残念ながらこれも事実です。
 
それでも、あの時間を、本気で学生日本一を目指して勝ちに行った自分たちを、誇りだったと心から思える日がいつか来ることを願っています。
 
ラクロス部に入って過ごせたから見えた景色がありました。知れた世界がありました。ラクロスが心から好きですが、それ以上にラクロスをしている人が大好きです。
ラクロスを通じて出逢えた全ての人に感謝しています。本当にありがとうございました。
 
 
番外編
読んでくださってありがとうございました。
 
ここまでは、私の学びや考えを書き綴ることで、誰かの心を動かすきっかけになればと思って書きました。この先は番外編をもう少しだけ。
 
本当は個別メッセージを書くつもりじゃなかったのですが、やっぱりどうしてもこの人には書かせてください。
私のラクロス人生で欠かすことのできない、最も大切な相棒へ向けて。
 
ぺあ。本当にありがとう。何から書けばいいか分からないけど、感謝と尊敬の気持ちを伝えるために書くね。ぺあ、頼むから飛ばさずに最後まで読んでよ笑
 
私はずっとぺあが羨ましかった。高校の時からドローを上げて取って、何枚もDFを抜いて、あっという間にシュートを決めてしまう背中をずっと見てきたから。その姿は素直にかっこよかったから。「猪突猛進」って、まさにこのことだと思った。対照的に、足の速さも運動センスもない私は、やりたい人がいなくてたまたま空いていたという理由でDWを選ぶような高校生だったけど、ぺあのおかげでそこに私の存在価値が生まれた気がする。もしぺあのドローが負け方向に飛んでも、私が取れたらそれは勝ったことになる。それが嬉しくて、私は死ぬ気でボールを取りに行ってたなあ。最初の頃は、めちゃスカして相手にブレイクされまくったせいで、うたに怒られてばかりやったけど笑
でもだんだん、ぺあの背中を見れば、足の力の入れ方を見れば、指示を飛ばされなくてもどこに飛ぶか分かるようになったよ。ドローが上がった瞬間、ぺあに任せるか自分が突っ込むか、迷わず判断できるようになったよ。後輩に「なんでそんなドロー周り上手いんですか?」って言ってもらえたことあるけど、それはドローがぺあだからだよって内心思ってた。
25チームがキックオフしてから同志社が全然勝てない日々が続いたけど、いつか結果に現れる日が来ると信じて、何とか前を見て上を見て頑張ってきたよね。7月14日の開幕戦。前日までも色々あったけど勝つために意気込んで、一周回ってハイになってたよね。試合開始早々にブレイクからのFSで先制点を決め切ったぺあをみて、死ぬほど嬉しかった。人生で1番心震えたんちゃうかな。「みたか!これがうちのATリーダーだぞ!」ってヤンマースタジアムにいる全員に、配信を見ている全員に、叫びたくなるくらいだった。
リーグ開幕してからずっと、ラクロスに集中したいのに違う問題に時間を取られてばかりで。「ラクロスに時間使いたいなあ」ってたまに呟くぺあと、毎日なんとか部活を運営し続けることに必死だったね。スーパーカップで優勝できなくても、7月8月の記憶がほぼ無くても、どんなに精神的にきついこと言われても、絶対勝ちたかったリーグ戦で勝てなくても、ぺあがいたから上を見て走り続けられた。ぺあが隣にいてくれさえすれば、私は最強だと思えた。
だから、今でも心の底から悔しい。悲しい。誰も何も悪くない。本当に運が悪かっただけ。でもどうしてぺあなんだろう。どうして大事な試合の1か月前だったんだろう。これは一生疑問に思うし、消化できないと思う。あの時期、私の性格上ぺあにすぐ会いに行く勇気が出ないことを分かった上で待っててくれた優しさも、自分の置かれた状況に関係なくATリーダーとして在り続けてくれた強さも、改めてぺあの人間性を尊敬した。だからこそ、気持ちの燃料タンクが壊れて進めなくなってた私も、何とか進まなくちゃと思えた。ありがとう。
いっぱい助けられてきたのに、最後の最後で、私は何も返せなかった気がしていて、それがずっと心残りです。関西決勝の舞台に、全学の舞台に、一緒に行けなくてごめん。立たせてあげられなくてごめん。
ゆうこは不器用だからって言って、いつも私のことをフォローしてくれてたぺあ。運動神経の良さに甘えることなく、裏で死ぬほど練習して、地道に努力してきたぺあ。適当そうに見えて、実は周りをよく見て気を遣ってくれているぺあ。そんなぺあと、私は学生日本一が獲りたかった。そんなぺあとだから、学生日本一を目指せると本気で思えた。
7年も一緒にやってきて、最後の最後がこんな形になるなんて、正直想像してなかった。思い描いていた引退とは違うし、複雑な感情もたくさんあるけど、それでも、これまで一緒に戦えた相棒がぺあで本当に良かった。
 
ぺあと出逢えたことは、間違いなく、私の人生の幸運のひとつです。
本当にありがとう。これからもよろしく。
 

 

(尊敬する相棒。ぺあ)
 
1人書き出すと、たくさん想いが溢れてきてしまうものですね。ああもう、長くなるからやめておこうと思ったのに笑
 

 

(最後まで一緒に走り抜いてくれて、私の心の支えだった。ひいろ)
 

 

(何より1番信頼してたし、以心伝心してた気がする。うた)
 

 

(一緒に戦ってくれて心強かったし、真面目で律儀なDF幹部。かほ)
 

 

(間違いなく今年1番成長してくれたし、本当に助けられてばかりだった。まりこ)
 

 

(2回生なのに色んな重圧に耐えながら最後まで一緒に戦ってくれた、最高のゴーリーズ。あつこ・あかり)
 

 

(異例すぎるほど現場に来てくれた。与えてもらってばかりだった。この感謝と愛を、何が何でも結果で恩返ししたかった。力不足で本当にすみません。ずっと最後まで共に戦ってくださった最高のコーチ陣。永島さん、あっきゃんさん、さちさん、貴也さん、クロカズさん、とらさん、もとなりさん)
 

 

(何不自由なくラクロスさせてくれて、ずっと応援してくれていた両親。尊敬する姉。)
 
伝えたい想いがある人は、まだまだたくさんいます。正直、ここに書ききれる量ではありません。
名前を挙げた人にも、挙げられなかった人にも、まだ伝えたいことがたくさんあるので、これから1人1人に手紙を書いて渡そうと思っています。時間はかかると思いますが、気長に待っていてもらえると嬉しいです。
 

引退してから振り返るのも辛いように感じてしまうので、まとまらない文章になってしまいました。なんだかこのブログを読むと、苦しいことばかりだったように感じられるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

 

私のこれまでのラクロス人生を振り返って、私の1番の財産は「ラクロスを通じて、素敵な人たちと出逢えたこと」だと思います。本当に数え切れないほど多くの人に出逢い、たくさん助けてもらいました。人に恵まれすぎて、人に助けてもらってばかりの人生です。

目立つプレーで魅せることはできない上に、至らないところも多い。そんな私に力を貸してくれた全ての人に、この場を借りて感謝を伝えさせてください。

本当にありがとうございました。

 

憧れの16を背負って戦えて幸せでした。

 
さて、これで私の引退ブログは終わりにします。
ここまで本当に長い文章に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
次にブログを書いてくれるのは、ぺあです。
私がどれだけぺあを尊敬していて、どれだけ大好きかは、ここまで読んでくれた人ならさすがに伝わっていると思うので、割愛させていただきます。
とにかく、ラクロッサーとしても、人間としても、最高にかっこいい存在です。
普段はあまり熱く語るタイプではないぺあが、きっと想いを込めて、丁寧に書いてくれているはずです。ぜひ、一文字も見逃さずに読んでください。