まずは、ゆうこ紹介ありがとう!ブログ長いとはずっと聞いてたけど、まさか自分宛てのメッセージが長いなんて、、。本当に愛されてますね笑
ゆうこは不器用な私の相棒ちゃんです。何度も空回りしたと思うけど、自分と向き合う事から1度も逃げずに、ずっと頑張り続けた本当に誠実な人です。そして人の痛みや気持ちに敏感で、いつでも真摯に寄り添ってくれる本当に優しい子です。(優子だけにね)一緒に勝ちたかったね、本当に沢山ありがとう。
それでは、話が長いと有名なゆうこより、短く書けるように頑張ります。
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「未完成の肯定」
今年度ATリーダーを務めさせていただきました、#25白井花梨(ぺあ)です。
入部前は自分の名前使えないから若干入部渋ってたくらいやのに、「ぺあ」ってコートネームは響きが可愛くてお気に入りです!今では、 「ぺありん」「ぺーさん」「ぺ」と沢山変形していますが、どれでも良いです。(そういえば、コートネーム誰が考えてくれたっけ??笑)
いきなり余談を挟んでしまいましたが、まずは、ブログをご覧いただいている皆様、そしていつも同志社大学女子ラクロス部を応援してくださっている関係者の皆様、OB・OGの皆様、そして保護者の皆様には沢山の声援や多大なるご支援をいただき本当ににありがとうございました。結果という形で恩返しすることはできませんでしたが、いただいた声援の全てがこの1年間、そして4年間の大きな支えでした。
私のブログが上がる頃にはもう引退試合も終わって、25チームはキックアウトし、全部終わったんだなって実感し始めると同時に、少しずつ寂しくなってきていると思います。引退試合は「接点無し」という大ハンデを貰い、接待ラクロスをして貰いました。ありがとう♡
(25シーズン一緒に走り抜けたリーダーズフォト)
私は準決での負けや、リーグ終盤での自分の怪我、正直まだ何一つ心の整理がついていない状態でこのブログを書きます。なのでまとまりの無い少し苦しい文章になってしまうかもしれませんが、どんな時に何を感じていたのか、覚えている限りで書き残してみます。
【1年生】
U20の年齢制限に引っかかる代だと言われていた事と、BBのおかげでブラック部活に身を置かないと落ち着かない人間になってしまっていたので、高校と同じくラクロス部に入部しました。
私にとって大学のラクロスは高校でしてきたものとは全然違ったので、新しいラクロスを沢山学んで本当に楽しいスタートを切りました。そして、入部して1ヶ月程たった頃、Aチームに入れて貰えるようになりました。
1年生の私の役割は、「ボールを持ったら1on1かけてシュートを打つこと」ただそれだけでした。なのに、大学のパス展開の速さや強度の高いプレッシャーからボールを持つことが怖くて、上手くもないオフボールに徹してしまったり、よくボールを落としてしまったり、先輩方やコーチさんの期待に応える事が出来ていなかったように思います。だから、年次が上がるにつれ1年生を見ていると、本当に当時の自分とは比べ物にならないくらい強いし、ちゃんと自分を持ってるし、正しい頑張り方も知ってて柔軟で、本当に尊敬出来るなと感じていました。
リーグ2戦目、初めて永島さんと出会いました。自分の中にあった変な固定概念とか、ミスしちゃ駄目だという緊張感が一気に解けて、リーグ初得点を決める事が出来ました。「何回ミスをしても良いから、自分の強みを活かして良いプレーを何回もすること」皆も永島さんからいっぱい聞いたと思いますが、当時の自分にとっては、自然と肩の荷がおりて、ラクロスをもっと楽しめるようになった言葉でした。
また、1年生の時はコロナのルールが厳しくてチームごとに練習時間や場所が違ったため、同期とはほとんど会えない期間がありました。凄く寂しかった中での、新人戦オータムステージ(サマーの代替試合)は、同期とフィールドに立てたこと、高校時代はゴーリーだったきこが活躍したこと、関学に勝たなきゃいけない重圧と責任から開放され優勝出来たこと、全部が本当に幸せな試合でした。
しかしウィンターでは、経験者が居る同志社は関学に勝って当たり前だという重圧がさらに重くのしかかり、何がなんでも自分が勝たせなきゃいけない、そう思っていました。でも現実はりゅうにシャットされ続け、ボールを持っても何枚もDFが寄ってきて、当時は2.3枚抜く技量なんて勿論ないからシュートまでいけずに終わる、そんな情けないプレーをしてしまいました。
ラスト5分0-2だった時、「ぺあ後5分だよ」って応援席から聞こえてきたのを今でも覚えています。負けが見え始めてる状況が本当に怖かったし、同志社を背負っている責任の重さと恐怖が一気に襲いかかりました。でも同時に、なんで私にだけ言うの?皆の試合なのに。とも思いました。この試合で、私一人の力だけではチームを勝たせることなんて出来ないという無力感と、同期との温度感に少し違和感を感じました。
今だにあの時どうして同期にもっと求めなかったのか、ぶつからなかったのか凄く後悔しています。もっと何考えてるか教えて欲しいと伝えてくれてた同期も居たのに、発言する事も人とぶつかる事も苦手だった自分は何も言えませんでした、本当にごめんね。
1年生の自分は、正しい頑張り方を知らない、人とのぶつかり方が分からない、ただラクロスを楽しみたいだけの未熟な選手だったと思います。
【2年生】
3月末、やっと大学のラクロスが分かってきて楽しくなってきた時に、足首を複雑骨折し全治半年。
当時は多分凄く辛かったとは思うけど、後にとんでもないタイミングでまた怪我をするので、この話は飛ばさせていただきます。
その後、最速復帰を果たしてAチームにも戻れたけど、試合出場時間は1年生の時より少なく、本調子は出ないまま23チームのリーグは終わりました。1年生の頃から、2つ上の先輩やけど友達みたいなさやかさんと、どうやって2人で2枠勝ち取って主力になるかよく話し合ってました。だから、未だにどの学年からも愛されているあの23チームで試合にもっと出たかったし、さやかさんともっと長い時間一緒にプレーしたかったなと思います、23チームの後悔はこれだけです。
リーグが終わる頃に春幹部の話し合いが始まり、ATサブリーダーとして候補に上がりました。私は半年の怪我ブランクがあった事と、幹部に圧倒的な苦手意識があったので、同期との話し合いの中で「ぺあは伸び伸びプレーさせたい」と言われ、助かったと思いながらも、なんてことを言わせてしまったんだとも思いました。下級生のうちからある程度試合にも出させてもらっておきながら、同期に甘えるようなことをして良いのか。でも自分は幹部に向いていない性格で、何よりやりたいと思えていなかったから立候補なんて勿論しなかったし、やるつもりは無いと推薦も断りました。
怪我復帰後中々調子が出ず、春幹部にならなかった事を後悔しているようなしていないような、ぐずぐずしていた頃、転機が訪れました。U20の活動です。高校生の頃から憧れ続け、大学でラクロスを続けた理由でもあるこの活動に参加しない選択肢は無く迷いなくトライアウトに申し込みました。選考会が始まるまではめっちゃ緊張して怖かったけど、始まった瞬間心が踊りました。関東でラクロスする事が本当に楽しかった!何よりそこには、自分の通用するプレーがありました。それが大きな自信に繋がり、今までは先輩たちが目指してたから「全国制覇」「日本一」を目指そうってなんとなくついて行ってたけど、私達でも本当に目指せる可能性があると感じました。今思うと本当におこがましいのですが、当時は本気でそう思っていました。
選考会が終わってすぐ永島さんにトライアウトが凄く楽しかったと夢中になってLINEしたし、京都に帰って迎えに来てくれた父の車の中では、選考会でこんなラクロスをした!って夢中になって話したのを覚えています。本当に自分が?と何度も思いましたが、選考を無事突破しここからU20の活動が始まりました。
同時期、自チームではつま恋期間中に春リーダーをしてくれてたゆうことうたがとても苦しんでいました。采配や試合の目的ついての不満が溢れていて、皆の気持ちも分かるけど、何でうたとゆうこの気持ちや意図を一切考えないんだろうと感じていました。しかしこの時も発言する事が出来ず、ただ泣いている2人と一緒に泣くことしかできない、2人を守ることも出来ない本当に弱い人間でした。(同期飲みで皆泣きながら話したのと被るね笑)
自分は、誰よりも勝ちに貢献する事が役割だったのに、点差を離して全員を出場させる事も出来ず、実力不足をまた感じていました。2日目の法政戦では、誰にも応援されてない、でも勝たないといけない、そんな試合だった記憶です。
そんなこんなで、自チームとU20の活動を両立していたのですが、ユースの沖縄オープンはインフルにかかってしまい、さらっと行けなくなりました。追加でどうでも良い話を挟みますが、中学の修学旅行も沖縄だったけど、盲腸で行けてません。
未来の自分へ
同期の卒業旅行も沖縄の予定ですが、無事行けましたか?
【3年生】
3年生の春はほとんどU20の活動漬けの日々でした。同志社のイベントである同立戦や合宿などにはほとんど参加出来ず、少し寂しい気持ちもありましたが、3年生になってやっと、スタメンとして出場する事が出来たり、結果がついてくるようになりました。U20の活動は、たかやさんのトレ課題が本当に有り得ないくらいキツくて練習前後にゆうこと必死に走り込んだり(400mは本当にもう一生やりたくない笑)、夜は公園の電気が消えても雨でもフットワークをやり続け、家に帰っても日付を越すまでドローやシュートの素振りをし、練習会が近づくにつれ心が苦しくなったり毎日休憩の無いような日々でした。でも、ドローという自分の強みを確立させて、苦手だったDFの対峙を克服し、練習会は緊張するけど始まったらめっちゃ楽しくて、1つ上の先輩たちと同志社で一緒にプレーできる日々も嬉しくて、ラクロス人生の中で間違いなく1番楽しかったと思います!
しかしU20の活動の終盤に私はスランプに陥りました。練習会でミスをする度「経験者だよね?」と言われ、ボールに触れることが怖くなりました。絶対に取れるはずのパスやグラボがどんどん取れなくなって、まるで1回生の自分に逆戻りしたような感覚になり、ウィンターの時と同じ、「経験者」とゆうレッテルが自分をまた苦しめ始めました。「経験者でミスをするのは最悪」頭の中は常にこの考えが蔓延し、何でも卒なくこなすミスをしない普通の「経験者」になろうとしました。トライアウトを受けた初期の頃は、永島さんの言葉を胸に、ミスをしてもその倍良いプレーをするつもりで、自分に出来る事、出来そうな事を思いっきりやっていました。でもその頃から私の良さは潰れ「最近ぺあの強みが分からない、ドローも1番上手いのか分からない」と言われてしまいました。そして代表選手から補欠に降格、自チームではリーグ初戦にスタメンから外れました。誰が求めていたかも分からない、普通の「経験者」になろうとしてしまった故の結果です。
この時感じたのは、苦手克服に注力することが悪いのではなく、それは絶対にやるべきだけど、それと同時に自信を自分で削がない努力をする必要があるという事です。そして、色んな選考会や自チームにおいても、コーチさんや幹部陣に選ばれる為に、何かになろうとするんじゃなくて、選ばせるつもりでやらないと駄目だと思います。選ばせるんだって思えるくらい自分が胸を張って言える強みを持つ事、そのくらい覇気を出す事、それは選ぶ側にいるコーチさんや幹部陣に伝わると思います。
U20が終わって同志社の活動に専念し始めても、また取れるボールがどんどん減る感覚を味わうかもしれないと思うと怖くて、あっきゃんさんの個チャやはるか先輩がいるバディグルで毎日壁の写真を送りました。(監視力として勝手に使ってすみません笑)
24チームのリーグでは主力として沢山試合に出させてもらったけど、自分の満足行くプレーは出来ませんでした。ずっと、U20での挫折を引きずっていたんだと思います。だから、とにかく先輩たちのプレーが上手くいくようにと考えていた気がします。みんなはそんな後輩にはならないようにしてね。
その後、本幹部を決める回生mtgが始まり、私は迷わずATリーダーをやると決めました。期待に応えきれないまま終わってしまったU20のコーチさん達や永島さんにどうしても認めて貰いたかったし、もう一度自分のプレー、自分が作り上げる同志社ATを見てもらいたかった。何より、責任から逃れていた弱い自分から抜け出したかったからです。
そして、日本一に向けて同期で話し合いを進めていく中で、私は初めてゆうことぶつかりました。今もですが、私は人とぶつかる事が凄く苦手で、人に対しては我慢するか諦めるかの2択しかなかったけど、どうしてもゆうこと一緒に頑張りたくて諦めたく無かったから、勇気を振り絞って思っていることを伝えました。ゆうこを傷つけてしまったかもしれないと、その日の夜は何故か私まで大泣きしてしまいましたが、あの時から、絶対2人でならリーダー頑張れると思いました。私の言葉を受け止めてくれてありがとう。
【4年生】
就活との両立や慣れないリーダー業でバタバタしながらも、ラストイヤーの幕があけました。もうここから全部の試合がラストなんだと実感した同立戦。試合展開はあまり良くなかったけど、みんながラクロスを楽しんでいて凄く嬉しかったの鮮明に覚えています。私は、みんなが楽しんでいる試合が本当に大好きです。
春期間は、どんなリーダーになれば良いのか、今までのリーダーと沢山比べては、毎日悩んでずっと落ち込んでいました。堪らなくなってはるか先輩に連絡しました。
周りの人に対して、「こうしたい」「一緒に考えてほしい」そうやって自分なりの言葉で気持ちを伝えれば、自然と「一緒にやりたい」「支えてあげたい」と思ってもらえる。ぺあは、周りへの感情の伝え方が上手だと思う。はるか先輩はそう言ってくれました。
その言葉を聞いて自分の存在意義を少しずつ見つけていきました。私にはラクロスの醍醐味である「正解のないものを一緒に作り上げていく過程」をチーム全員に味わわせることができる。そしてラストイヤーの私達と幹部と同じ温度感で戦ってくれる後輩を増やすことができる。
そしてもう1つ、自分の影響力の強さを自覚するようになりました。簡単に言うと、その日の自分の機嫌の善し悪し、不安、喜び、全てが想像以上にチームへ伝わっているという事です。
だから、まず誰の意見も考えも否定しない事。誰もラクロスを嫌いにならないように、かつての自分のように誰も怖い思いをしないように、練習中の一つひとつの声掛けを、これまで以上に考えて発言するようになりました。(とはいいつつ、厳しい言葉を掛けたこともあるよね絶対。ごめん!しゃーない!)そして何があっても誰よりもラクロスを楽しむこと!恐怖や苦しみを抱えながらプレーしてきた時間が長かったからこそ、この覚悟だけは、最後まで手放さないと決めました。
自分のリーダー像を確立させ、色んなことを試しついに開幕戦。全く完成とは言えない状態で挑んだけど、あの開幕戦は今でも忘れられません。本当に楽しい試合でした。8-12で負けてしまったけど、最後笛がなるまで1秒も負ける気がしなかったし、チームが自信に満ち溢れていて、本当に嬉しかった!自分たちの全部をぶつけて戦って、それでも足りない所があって、悔しかった。でもまだやれる、勝てるって思った。色んな人から過去最弱だと言われ続けてきましたが、あの試合で何も怖くなくなりました。
なのに開幕戦後にチームの組織は大きく崩れました。思い出すのも辛い出来事ですが、私達はチームのことだけを考え、崩れた組織を立て直そうと必死に行動しました。それでも、幹部3人にヘイトが向けられたとき、悔しさと絶望で胸がいっぱいになりました。
「正しいことをしていればうまくいくわけではないんだ」と、その時気づかされました。
自分の想いをちゃんと皆に伝えていこうと決めていたけれど、この時は、ただ辛い気持ちを伝えて周りに気を遣わせることがリーダーシップなのかと考えると、そうではないと思いました。だからこそ、誰よりも笑顔でラクロスを楽しもうと決めました。結局いつもここにたどり着きます。(きっと上手く笑えていた日は少ないけど笑)
とはいえ、オフの日でさえすべてを忘れようとしても、気持ちを切り替えることはできず、心の底から笑うこともできませんでした。本当に辛くて、正直、早く終わってほしいと思ってしまったこともあります。それでも、こなつとゆうこと私の3人で何とか前を向き、少しずつ当たり前の日常を取り戻していきました。
そして、25シーズンを語る上で欠かせない後輩が居ます。きっと自分の名前が出てくるのを待っていたと思いますが、ひいろです笑 いつからこんなに仲良くなったのか覚えてないけど、毎日いっぱい一緒に自主練したし、お昼食べながら同期?ってくらい本音を漏らしてしまったこともあるし、試合前に銭湯も行ったね。(まあ、その試合調子悪なったけど!) 私が孤独や不安を感じた時に、何か感じ取っているのか、いつも欲しい言葉くれました。凄くストレートですが「ぺあさんの為に頑張る」と言ってくれたり、「試合中不安になったらひいろの方見てください!」とかいっちょ前な事も言ってくれました笑
その言葉通り毎日期待に応え続けてくれて着実に結果を残し、私に沢山安心感を与えてくれました。とにかく熱くて可愛い、ずっと大切な後輩です!
(あっ、まりこも!笑)
リーグ期間、色んな試合があったけど、ここから先が激重なので飛ばします。
近大戦、自分の膝から音が鳴った瞬間、もうプレー出来ないとすぐに分かりました。何で私が?何で今?今自分が抜けたらチームはどうなる?虎さんたかやさんにあんだけ磨いてもらってやり込んだシュートも、1on1も大好きなドローも、もう出来ない?どうやってチームを勝たせたらいい?どうしよう?息が出来なくなるくらい泣きながら、ずっとこんな事を考えていました。
後日、病院で前十字靭帯断裂、外側側副靭帯損傷と診断されました。分かっていたはずだけど、もうプレー出来ないと伝えられた瞬間、7年間の終わりがこれかと思うと、なんて酷い仕打ちなんだと思い、この怪我に負けて終わりなんて絶対に嫌だと思いました。その場ですぐに復帰したい、ファイナルにどうしても出場したいと主治医に無理を言い、同期とコーチさんにも思いのままLINEを送りました。
(無理を言ったせいで、リハビリでは前十字切れてるのに正座させられて本当に冷や汗が止まりませんでした笑)
沢山色んな人から連絡を貰ったのですが、その中でも1番救われたのは普段感情をあまり表に出さない控えめなゆりなからの熱いLINEです。(公開してごめんね笑笑)私は自分の怪我で、コーチさん含めチームがどう思うのか、後輩は来年もあるからもう諦めてしまうんじゃないかと凄く怖くて、どうやって周りを引っ張れば良いのかずっと考えていました。そんな中、「ぺあさんの引っ張るこのチームで絶対勝ちましょう」とゆりなは言ってくれました。この言葉で、まだ一緒に頑張ろうとしてくれてる人が居るんだと、一気に私の不安は無くなりました。本当にありがとう。頼もしいサブリーダーだったよ!!大好き!
そこから1週間の自宅療養期間、その時の自分に出来るリハビリ(寝転んでボール上にあげるだけとかもあった笑)をしたり、ビデオ通話で練習みてフィードバックしたり、mtg資料作ったり、自分に出来ることを少しずつ毎日やり続けて、引退直前に怪我したやつとは思えないくらい前を向いてました。今考えたら自分の置かれている現実に目を向けない為だったのかもしれません。毎日のように同期と後輩がお見舞いに来てくれて「思ったより元気で怖い」と言いながら皆帰っていきました。どうしても周りを絶望させたくなくて、自分の不安や焦りを伝えたくなかったので、心の中では「よし、勝った」と思いながら皆を帰していました笑 皆いっぱいお菓子持ってきてくれてありがとうね。ちなみに、ゆうこは扉を開けたら家の前で泣き崩れたので、私が借金取り立て屋みたいになりました。本当に勘弁して下さい笑
やっとの思いで練習に復帰したけれど、心はどんどん追いつかなくなりました。自分が居ないフィールドを眺めて、統制の取れない崩れていくゴール前をみて焦ったり、上手くいった時はそこに自分が居ない事実が辛くなったり、自分の分まで背負ってくれてるゆうこや同期、後輩の姿が頼もしくて、でも申し訳なくて何を見ても心が締め付けられました。毎日自分が置かれている現状を思い出さない為に、余計なことを考える暇を作らないように、今まで以上に一生動画みたり何回も相手校の試合見直してみたり、リーダー業で自分が出来ることを眠くなるまでずっとやって、もう寝落ちしそうってタイミングでベッドに入ったけどすぐに涙が流れてくる、そんな夜がファイナルまで毎晩続きました。
それでも、復帰出来ると信じてリハビリを続けたこの4週間は、同じAチームで同じ怪我をしたきこ、のどか、あゆみ、ありま、4人分のどうしようもない悔しさを勝手に背負って戦いました。きこは7年間一緒にラクロスをやってきた大切な同期で、私の1週間前に同じ怪我をして、もうプレーはしない選択をしました。だから自分が復帰すると、きこに辛い思いをさせてしまうかもしれないとも思いましたが、きこは毎日リハビリ一緒にしながら一番近くで応援してくれて、不安をそっと包み込むような思いやりのある言葉を沢山くれました。本当に強くて優しい大切な同期です。復帰前のリハビリ期間も入院中も今も本当に心の支えだよ、ありがとう。(沖縄でみんながシュノーケリングする時は、2人で砂浜で貝殻集めしようね♡)
そしてファイナル前日、調整の為に2本だけゴール前に入ったけど全く動けない自分の現実を突き付けられ、それでも練習後に自主練しようとしたら、あっきゃんさん・もとなりさんと楽しそうにコンディションを仕上げている皆の姿が目に入り、皆のところにいくのがしんどくなってその場で動けなくなりました。すると、端っこに座ってた私の所にりぃが近づいてきて、絶対嘘ってわかるけど「私自主練人に見られるの嫌やから、もう1個ゴール欲しかってん一緒に運ぼ!」って笑いながら一緒にもう1台のゴールを別の場所に運んでくれました。(本当に優しい子でしょ!!!!!)その後同期が何人か傍に来てくれ、腕だけで打つか弱い私のシュートを見てめっちゃ上手い!って全部褒めてくれて、本当に救われた時間でした。りぃ、うた、なっちゃん、ありがとう。
前日の練習前まで、スタメンで出してください!ってあっきゃんさんに頼もうとしてたくらい意気込んでたのに、そんなことも言えず当日を迎えました。当日の試合は難しい展開が続きました。だから、ハーフの時点で既に、出たい時に言ってと永島さんから伝えられていたけど、自分が出たら皆に負け試合だと思わせてしまうと感じて、自分からは言い出せなかったし、皆が戦う姿を見てまだ勝てるって本当にずっと信じていたからこそ4Qまで待ち続け、そのまま見届けようと思っていました。しかし、試合が終わりそうになった時、永島さんに準備するよう言われ、
「最後にぺあの生き様を背中で見せてくるんだよ」
と背中を叩かれました。永島さんは、本当に人を前に押し出す力がある人です。そしてたかやさんには、1ミリも膝がズレそうにない超頑丈なテーピングを巻いてもらって、出場するギリギリまで膝の周りの筋肉を動かすようコンディションを整えて貰いました。今まで当たり前に出来ていたけど突然失った私の存在意義「自分のプレーでチームを鼓舞する」最後にもう一度やろうって思えた瞬間でした。チームの勝利にとって自分は邪魔かもしれない、こんなに動けない自分が出ても狩られるだけだ、そんな弱気な自分は一気にどこかへ行って、自分が相手にとってイレギュラーで、1番の脅威だと信じてフィールドに戻りました。
私の最後の試合出場時間は、たった1分半です。
あまり記憶は無いけど、自分があげた最後のドローを、この1年の逆境をずっと隣で戦ってくれたこなつが取って、後輩なのに私の分まで沢山責任を背負ってくれたひいろが点を決めてくれて、皆でクロスタッチして1番楽しい瞬間を味わえて本当に幸せだったと思います。たった1分半をこんなにも宝物だと思えた事はありません。
でも、そんな綺麗事だけじゃ終われない。4年間死にものぐるいで掴み取ったスタメンを簡単に手放さないといけなかった事、大事な試合で活躍出来なかった事、得点出来なかった事、1番好きなドローでチームの流れを作れなかった事、どうしても勝ちたい試合に勝てなかった事、全部が悔しくて残酷な現実でした。
それでも、ラストイヤーの同期だけじゃなく、後輩達まで最後の1秒まで諦めずに食らいつく姿や、最後まで信じ続けてくれた応援の声、試合終わりに勝たせてあげたかったと沢山の後輩から言われた事、試合後会場を出てなお先生によく頑張ったと抱きしめて貰えた事、全てのお陰で少し気が楽になりました。みんな本当にありがとう。
また、試合終わりスタンドを眺めて涙が流れたのは関学の同期を見た時でした。前日から沢山連絡をくれたり、同志社席に座って応援してくれたり、試合終わって泣きながら「絶対敵討ちする!」って声を掛けてくれて、改めて4年間最強で最高のライバルだったなと思いました。毎回試合する度、お互い頑張ろうって声を掛け合えたりゅうを始め、本当に素敵な同期や後輩だらけのチームで本当に大好きでした。4年間そんな素敵なチームと何度も試合を出来て本当に幸せでした。欲を言うなら、もう一度試合したかったなと思います。
このブログが上がる前日に、私は関学が日本一になる瞬間を観に行きました。前半苦しい展開が続いていたのに、フィールドに立ってる選手もスタンドで応援している人も誰も諦めて無かったし、後半は夢?映画?って思うくらい関学の逆転が始まって、こうなったら良いのになって思うことを次々成し遂げていて、本当に何度も心が震えました。
それと同時に、どうしようもない悔しさや色んな感情が一気に襲ってきて、うたとゆうこと3人でずっと色んな種類の涙を流しながら観ていました。
傍に居た後輩たちは、まだ来年があって関西2枠で戦える事に希望をいっぱい抱いていて、本当に眩しかったです笑
関西に2枠持って帰ってくれた関学は、やっぱり本当に素晴らしいチームです!
(みんな本当におめでとう!)
最後に、
1年を通して立て続けに地に落ちる出来事が訪れ、何度も崩れかける組織を、自信を失うチームを、悲しみに果てる選手たちを、当たり前の日常に戻す事に私は精一杯でした。主力から順番に怪我をして、やりたい戦術や今の自分たちに出来る事がどんどん出来なくなって、勝ち方や正解が分からなくなって、皆を沢山不安にさせてしまったと思います。本当に不甲斐ないです。でも、当たり前だと思っている日常が全く当たり前ではない事、失った時に簡単に取り戻せない事、そんな局面でどんな態度や行動を取るかがチームに影響する事を後輩には知っておいて欲しいです。またどれだけ必死に頑張っても、結果や表面だけを見て浅はかな考えで発言をしてくる人はチーム内外問わずいます。そんな人の言葉は無視で大丈夫です。必死に頑張っている人は、同じように頑張ってる人の言葉だけを受け止めてください。
さて、ここまで読むと私が色んな事に気持ちが左右されてしまう弱くて自信の無い人間だと分かると思います!笑
それでも4年間明るいふり、強いふりをしてきました。少しは強くなれたのかな?笑 楽しそうにラクロスしてるとか、キラキラしてるねと言って貰える事が多かったけど、本当に影の多いラクロス人生でした。でも大事なことは自分だけじゃないということ。努力している人、頑張ってるのに報われない人、影の多い人は沢山います。色んな人の引退ブログ読めばすぐ分かります。そんな影の中にいる時どんな行動を取れるか、そういう時こそ周りへの思いやりを忘れていないか。影にいる時のその人の行動が、その人の人望や生き様に現れると思います。
本当にこれで最後です、少しだけメッセージを書きます。
(同期や後輩、コーチさんはこんな所で書けないので手紙にします)
怪我に苦しむ後輩たちへ
何かきっかけがないと今の自分の現状とか悪いところに気づけなかったり、ずっと今の自分が正しいって思っちゃうことが多いと思うからこそ、怪我は自分と向き合える最高のチャンスです。あと、医学的な原因は置いといて、「怪我は自分の気持ちが自分の体を越す時に起こるもの」「実力以上のプレーや力を発揮しようと、成長しようとしてた証拠」だと思って欲しいです。これは、2年前の入院中に出会った方に貰った言葉で私がとても救われた言葉です。絶対に自分の怪我は無駄じゃないと、自分の怪我を肯定的に受け入れて欲しいです。こんなのは綺麗事かもしれないけど、起こった事に対してどう意味付けするかは自分次第だから。どうかこれ以上みんなが苦しまず前を向けるよう願っています。
皆毎日頑張ってて本当に偉いよーー!!復帰戦が楽しみ!
家族へ
7年間ほぼ全試合観に来てくれて、何不自由なくラクロスをさせてくれて本当にありがとう。
ママは毎朝5時に起きて、大量の朝ご飯を作ってくれて、食事管理では毎年TRに褒められるくらい栄養満点で、毎日元気に走り回れたのは、この朝ご飯のおかげです。どうしようもないまとまりのない感情も、伝えれば綺麗に整理してくれる、ずっと一番の味方でいてくれる。本当に自慢のお母さんです。
パパは、あんまり褒めてくれなかったけど、ずっと期待してくれてた事と応援してくれてた事は知ってます。自主練も急に呼び出すことが多かったけど、付き合ってくれてありがとう。高校以来してないけど、多分1on1もう負けないよ。何本もクロス歪ませたり折ってしまい、すみませんでした。
2人に最高の景色を見せてあげたかったけど、ずーーっと近くで見守って支えてくれてありがとう!
そして、激長ラブレターを受け取ったので少しだけ返事を書きます。笑
ゆうこへ
7年間本当にありがとう。私の事を羨ましいと言ってくれたけど、ゆうこは私に無いものを沢山もっていて、私の方こそ羨ましいなと思うことあるよ笑
本当に分かりやすく言語化する能力や、色んな考えを巡らせる思考力、あとはU20で結果を残したことも!ゆうこが何一つ妥協せず、頑張り続けた証だね。私の苦手なリーダー業務もいっぱい支えてくれてありがとう。
ゆうことするドローと2on2は、考えてることが手に取るように分かってめっちゃ楽しかったなー。ゆうこがDWに居ると、守りに入った自分の王道パターンじゃなくて、ついつい少し挑戦したドローをあげてたかも笑 それくらいゆうこなら大丈夫っていう安心感があった。
私の最後の得点が、ゆうこアシストだったのが奇跡!
頼りになる相棒でした!これからもよろしくね。
高校生でラクロスに出会った頃に思い描いてた全国の舞台、日本一、U20代表選手、大学で関学に勝つこと。
どれも叶わなかったけど、ずっと毎日憧れの目標があって挑戦し続ることが出来て楽しかった。
ラストイヤーは幹部としてはやり切ったかもしれないけど、リーダーとしてやりたかった事、やるべきだった事は出来たのかは分かりません。
ラクロスを嫌いになれる理由はいっぱいあって、ラクロスで地獄も沢山みてきたけど、それでも結局ラクロスの事は嫌いになれていません。大好きです!
どうやってこの7年間の決着をつけたらいいのか、このブログを書ききっても、やっぱりまだ分からないし、綺麗な言葉でまとめられる日は来ないかもしれない。
それでも、整理できない感情だらけの未完成なラクロス人生を否定せずに受け止めて、この先も抱えていたいと思います。いつかどこかで、叶えたい夢が現実になる瞬間に、この未完成が少しずつ意味を持ち出してくれたら。今はそう願っています。
この7年間出会ってくれた全ての人に感謝します。本当にありがとうございました。
私は今もこれからも、ラクロスが、同志社というチームが本当に心の底から大好きです。
#25 白井花梨
(もとなりさんにギリギリピント奪われそうな写真で〆)
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ラストは主将のこなつです!
部活にバイトにその他諸々、何でもフル稼働で頑張るタフなお方です。毎日頑張りすぎてるから寝てる時目が閉じないのかな…そんな事は置いといて特にこの1年、どれだけ辛くても一番前に立って頼もしい背中を見せ続けてくれたこなつ。私が怪我をした直後は、ずっと手を握ってくれていました。沢山支えてくれてありがとう!ラストブログ楽しみにしてるね!














