「彩り」
まず初めに、日頃から同志社大学体育会女子ラクロス部に温かいご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。私たちが今も変わらず恵まれた環境下で日々練習に励むことができているのは皆様からのお力添えがあってこそだと感じております。OBOGの皆様、保護者の皆様、大学関係者の皆様、ラクロス関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。今後とも変わらぬご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
改めまして、今年度主務を務めましたTRの井向乃愛です。
入部した頃から私の目標はずっと変わりませんでした。年を増すごとによりハッキリと、私たちが置かれている位置と目指す場所のギャップの大きさや困難さを理解してきましたが、どこまでいっても日本一という壮大な夢だけはブレなかったと思っています。
結果はFinal3準決勝敗退の3位という位置で終わり、目指していた日本一からは遠いところで終着点を迎え、この4年間を締めくくるには自身へはもちろん、全ての同志社ラクロス部関係者の方へ申し訳なさや悔しさが残ります。しかし、私たちが掲げてきた「日本一」を獲ることはできませんでしたが、この悔しさも含めて、ラクロス部で過ごした4年間すべてに誇りを持っていますし、結果以上に本気で向き合った4年間は、私の人生最大の財産だと胸を張って言えます。同志社ラクロス部女子の一員としてここまでやってこれたことに心から感謝しています。
さて、私のブログがあがっている"12/20(土)"今日は本当の引退日です。4年間待ちに待ったようで、終わらないで欲しいと強く願っていた、ラクロス部最後の日が来てしまいました。今年に入ってから全ての瞬間に"終わり"を感じてきました。「しみじみしてきた」「これももう見ることができないの寂しい」と同期に何度こぼしてきたか分かりません。かなり同志社愛が強い方だと勝手に自負しているのですが、本当に終わってしまうのかと寂しい日々を今も過ごしています。
まあ何を言っても引退日は必ず来るので受け入れるしかないのですが、引退ブログの順番まで回ってきました(笑)何を書くべきか迷いに迷って結局4年間の振り返りになりました。教訓や誰かの支えや学びになれるようなことは書けません。ただ私が何をおもってここまでやってきたか、心の内を書いていく自己主張が強い、拙い文章になるかと思いますが、温かい目でお付き合いいただけると幸いです。
【1回生】 彷徨いの年
入学当初から体育会の性質が自分には心地よかったのもあって、サークルは一切見ていませんでした。全ての努力が報われるとは全く思っていなくて、でもどこかたった1人でも誰かが認めて評価してくれる素晴らしい環境があって、必ず自身の努力次第で成長が見込める、そういう本気になっても冷たい目で見られない環境が好きで体育会に決めていました。その中で、日本一を目指している(目指せる).初心者でも活躍できる.私が入学する前の代の時に全国2位で日本一に近いところにいて、けどまだ日本一には届いていなくてそこを覆せる楽しさがある。こんな楽しそうなカレッジスポーツはない、本気になれる場所だ、自分が日本一を獲る,獲らせる,その場にいる、そう意気込んでラクロス部への入部を決めました。中高の部活とはまた違う未経験のスタッフ業。支える側じゃないと何度も言われたのを覚えています(笑)それでもどうしてもスタッフという誰かを支えて勝ちに繋ぐ、縁の下からの突き上げが出来たらそれこそ素敵な事だと、選手じゃなくても部に所属して貢献出来る道はあると、入部したての1年生ながらに前向きな気持ちでした。MGではなくてTRを選んだ理由の一つもそこにあります。タイム管理や審判など自身(1人)→全体への発信を行うMGと怪我の管理やトレーニング、食事など自身(1人)→選手1人1人への発信を行うTR、もちろん両者に惹かれたのは事実ですが(恥ずかしながら気が強いので、この時からオールラウンダーになればいいと思ってました)、メインに置く仕事には選手個人と密に連携を取って、その1人1人に寄り添える、選手それぞれにとって信頼/尊敬に値する人間になりたいと感じたため、TRを選びました。懐かしい初心です。
こんなに意気込んで入部した私ですが、1年生の頃が1番しんどかったです。ラクロス部に入るまでラクロスの知識も全くなければ、スタッフとしての経験値もなく、自分が部活にいる必要性というのか、何も出来ない自分の存在価値を見出だせず、この部活にいる意味は何かを考える日々でした。毎日泣きながら行きたくない、どうやって休もうと夜中考えていました。加えて人と打ち解けるのに少し時間がかかるタイプで、今でこそ考えられませんが回生で話しても発言はせずひっそりと過ごしていました。楽しく部活する、とは違っていて、どこにも所属できていない気分でした。
まあそんな事を言っていても余計に自分が嫌になる一方なので、足を止めることだけはしたくないと必死に様々なツールを使って自己学習をした年でもありました。有難いことに今と違って完全に上回生と1年生は練習が別で、誰かに教えてもらう環境はハッキリ言って多く無かったので、自身が100%以上の、期待以上の能力を常に発揮できるよう整えておくことが私のすべきことだと認識していたからだと思います。
こんな中でオータムカップ、ウィンターと試合がやってきました。どれだけ彷徨ってても絶対優勝、日本一だけは渡したくないと挑んだ試合。ウィンターは予選でも決勝でもKGに負けて準優勝に終わり、オータムカップが私たちの代唯一の優勝となってしまいました。
特にウィンター試合は、まほが試合直前に捻挫したことによって、うた以外?だったかな、1人以外全員どこか負傷してテーピングを巻いてる事態が発生。訳分かんないですよね。試合前に全TRの先輩方に手伝ってもらって10人以上をてんやわんやしながらテーピング巻いてた場面は思い出すだけで笑えます、、(笑)
もっと怪我をさせない環境を作れてたら、もっと事前にケアできて悪化を防げてたら、もっと色んな状況を予測して試合前から動けてたらと、試合前にはよし大丈夫だと(けが人の状況除き)沢山準備してきたと思って挑んだのに、負けた瞬間にタラレバで後悔の渦。
誰1人としてベストコンディションで試合に立たせてあげられませんでした。
自分は選手ではない分、万全な状態で選手をフィールドに立たせて、安心できるベンチを作り上げることが仕事であったのに、それが出来ていませんでした。
この負けを経験して、もっともっと色んなことを学んで、圧倒的な自分になりたい、同期だけじゃなくて先輩後輩からも信頼がおける人間になりたいと強く思いました。
私が関係する全ての学年には、技量でぶち当たる以外の全ての壁を取り払えるように最善を尽くせるだけの「知識」と「経験」と「器量」を身につけ、私だけは絶対に折れずに目標を見据えた行動をして、誰かが目標を見失った時に立ち返れる「軸」になりたいと思い始めた年でした。
【2回生】 転機の年
間違いなく大きな転機が訪れました。今でも心の拠り所となっている私にとって忘れられない出来事です。心の底から「この人の為に頑張りたい」「この組織のために、この同志社ラクロス部の為に何かを頑張りたい、力になりたい」と奮い立たされたことはもちろん、TR/スタッフ業というのが何倍も楽しくなった、楽しめるようになった、次に何かを学ぶことにワクワクした、こんな素晴らしい感情を覚えたんです。
何度かご本人にもお伝えしてたんですけど、みんなにもすごいんだと伝えたくて(自己満)。
当時の主将ATのかりんさんです。小さなことかもしれないのですが、私にとっては大きなことでした。普通に考えて主将で雲の上にいるような先輩からまだ1年も経ってない甘ちゃんのスタッフの私が何かが1番だと褒められるということはこの上なく幸せな事でした。それだけじゃなくて直接でも何度かお言葉いただきました。この視野の広さや、気付いたことを口で直接伝えること、AチームはAチームのメンバーだけなのではなく、全部員に行き届いた細かなモチベーションの配慮や声掛けができること、何度救われたかわかりません。
それからは何をするにも楽しかったです。 自分が前に立つからには、絶対に知識で勝る部分がないと、信じれるものがないとと始めた栄養学の資格勉強であったり、審判や怪我関連の基礎知識、ラクロスをする上でどういう危険性を秘めているのかなど、本当に沢山のことに興味が湧いて、自分の取り組みで何か貢献して恩返ししたいなと一生懸命になれました。エンジンがかかり始めた時です。
そうこうして初公式戦ベンチ5月フレフェス、8月開幕戦。これ以外にも沢山の経験をさせていただきました。TRながらに審判資格取得の挑戦もさせていただきました。フレフェスのベンチでは忘れもしないチェックによる頭部外傷で出血と、相手に踏まれて脳震盪。あんだけ勉強して挑んだにも関わらず、初めてのベンチ且つ初めての大怪我人で、持っていた知識を使うところはなくただ慌てて見ていました。開幕戦のベンチでも忘れられない足つり多発。4Qではほぼスタメンが抜けてくる事態。抜ける人の多さに追いつかずあたふたして、試合後はいつも通りタラレバ反省しました。試合前は分単位で自分の動線や予測事項への対応も考えていってはいたのですが、それも当たり前かのように外れます。そういうものです。結局は臨機応変に実践に移せるだけの経験、器量、自信、度胸が必要でした。審判をするにも同様のことが言えてました。試合は思った通りに動かないので、それだけ豊富な知識量と幅広い予測や笛にする自信と度胸が必要です。
色々な方向に興味が湧いてからは、2回生は下積み時代だと、最後の下回生期間だと捉えるようにしていました。だから、とにかく必要だと思ったことは考えるけど考え込みすぎる前に行動に移す。これを徹底しました。意外と難しくて決断力が問われる大事なことです。予想したことが全て思い通りにいくことはほぼありません。毎日予想外の連続です。そうなった時に自分を信じて行動できるだけの要素を築き上げておくべきだと考えていたからです。
1回生の時に「知識」と「経験」と「器量」を身につけ、私だけは絶対に折れずに目標を見据えた行動をして、誰かが目標を見失った時に立ち返れる「軸」になりたいと思い始めてから、2回生では最終的にそうなるための要素集めをする年でした。
【3回生】 足踏みの年
正直足を止めたつもりもなく、あぐらをかいたつもりもなく、確実に何かしらの伸び幅はあったものの限りなく小さく、春期間後は少し足踏みをしてしまったような、どこか慢心というか挑戦をしなかった年だと感じています。今振り返ればもっとできたところがあったのではないかと思います。
春期間の為に2回生から沢山準備をしたつもりでした。しかし、どこまで自分がすべきなのか、どこから誰にお願いすべきなのか、どこまでなら自分は触れられるのか、誰が何をしたくて頑張っているのか、もっと会話をすればよかったものの独りよがりになっていました。だから自分が出来ること、自分が頑張ればできることの範囲内に留まってしまったのだと思います。
常に手は抜かずやれることを精一杯していたのですが、本気でやっていたつもりなだけで、日本一を取りたいの目標だけがブレてはいないけど、行動がそこに伴っていなかったようにも思えます。日本一はそんな甘くないからこそ足踏みは許されなかった。自分の視座を上げるためにもっと外に視点を向けて明確に日本一を捉えるための行動をすべきで、自分の見える範囲に止まっていてはいけなかったと思います。
後退はしていない、ただ大きな前進もしていない。停滞とも言えないけどなんとなく足踏みしているような、そんな年でした。
【4回生】 覚悟の年
24チームが終わってからはもうやるしかない、後悔しないために何を今するべきかを考えてきました。
そう考え続ける日々の中で今でも私のあの選択は正しかったのかと今でも思うことがあります。
その1つが、代表トライアウトへの参加でした。
日本一を超えた世界で戦うハイレベルな選手たちを実際に自分の目で見て、現実の厳しさと、自分たちには足りていないものが多くありすぎると痛感しました。"このままではまずい、日本一を取るにはまだまだ届かない"そう焦りを感じました。同時に、日本一を獲るということはどういうものなのか、どれ程の覚悟と基準が求められるのかを、初めて実感をもって理解した経験だったと思います。
一方で、あの環境で多くを吸収し、持ち帰れたことは間違いなく自分をステップアップさせる経験でした。そして何より、あの経験を通して、より一層同志社ラクロス部が好きになりました。
恵まれた環境、沢山の仲間。代表練に参加すればするほど、早く同志社で練習したい、もっとこのチームで長く活動したいと強く思う自分がいました。
ただそれはあくまで私個人の想いに過ぎなくて、2.3回生スタッフには2週に1度土日を抜ける形で多くの負担をかけてしまいました。同志社ラクロス部26チームの走り出しを支えてくれたのは紛れもなく2.3回生スタッフです。本当にありがとう。感謝してもしきれないです。
6月以降は同志社に集中しましたが、今振り返ると遅かったのかもしれません。自分のキャパシティを大きく超えていて、やりたかったことは全ては実行できたわけではなく、中途半端に終わってしまったものがありました。もっと外のラクロスを見たい、上の世界を見たいと動いたのにも関わらず、正直自分が今何をしているのか見失っていた時期もあります。
それでもあの時世界を見れるチャンスが目の前にあって、それを逃すこともできませんでした。同志社ラクロス部が好きなのと同じくらい、ラクロスというスポーツそのものが本当に好きだからです。
迎えた7月の開幕戦。本当に勝てると思いました。開幕戦直前に壊れ始めた組織だとは思えないほど、素晴らしい試合を選手のみんなが見せてくれました。このまま日本一へ突き進める、この勢いのまま全員が必死になれれば決して届かない世界ではないと心の底から信じていました。
スタッフである私は勝敗に直接的に良い影響を与えることはできません。
だからこそ、自分が歩みを止めず、日本一という目標から目を逸らさず、信じて最善を尽くし続けること。それが結果的に、優勝へと近づく練習環境をつくることに繋がると信じ日々取り組みました。
何をするにも高いレベルで練習を回し続け、試合に近い質の高い環境を提供し続けることが私の使命だと認識していました。4年生として担う必要があると覚悟した年でした。
一方で、自分自身の2級審判資格取得も諦めきれず、そして先輩方の跡を継いでゼブラ賞をとるという目標もどうしても諦めきれませんでした。自分も何か頑張ったことを形を残したいという欲が出てしまいました。その結果、沢山練習を抜けては自分にもフォーカスしてしまった部分がありました。1-3回生スタッフ、そしてゆめ、迷惑ばかりかけて申し訳なかったです。本当に本当にありがとう。
開幕戦以降は怒涛のリーグ期間でした。全ての試合全ての瞬間を覚えてます。大好きな同期が1人2人と予想もしない形で抜けていき、この出来事も相まって「絶対に勝つ」「絶対勝って2人を最後の試合に立たせたい」と心の底から思っていました。しかし、重要な2人が抜けることに不安を拭いきれないままFinal3を迎えました。3Q終盤、この試合が最後になるかもしれない、と悟るような気持ちで、ここでもまた現実の厳しさを突きつけられました。日本一を諦めきれなかったからこそ、やりきった感覚は無く、気持ちの整理がしばらく追いつかないままでした。
こうして4年間の最後はあっさりと幕を閉じました。まだまだみんなとラクロスをし続けたかった。引退した今も思います。
しんどかったけれど、この先続くとなればきっとしんどいだろうけど、それでもみんなと過ごす時間が私にとっては何にも変え難い、大切で大好きな時間でした。
【最後に】
本当に同志社ラクロス部が大好きです。そして同志社のお陰でラクロスが好きになって、自分の時間を全て投げ打てるほど真剣になれました。
ラクロスというスポーツに出会い、ラクロス部に入り、みんなと出会えたことで、私の人生は確実に豊かになりました。
たくさんの感情をみんなと共有し、数え切れない瞬間を共に過ごし、これほど恵まれた人達に囲まれた素晴らしい環境いられたこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私が関係する全ての学年には、技量でぶち当たる以外の全ての壁を取り払えるように最善を尽くせるだけの「知識」と「経験」と「器量」を身につけ、私だけは絶対に折れずに目標を見据えた行動をして、誰かが目標を見失った時に立ち返れる「軸」になりたい
そう1年生の時に決めて、最後にどうなれてたかは分からないです。
ラクロスへの温度感を高めるきっかけや、一瞬でも誰かの救いに、そして少しでもラクロス生活の中に彩りをもたせる1つの要素になれてたらこの上なくしあわせです。
もしもう一度大学1回生に戻ったとしても、私は必ずラクロス部を選ぶと思います。間違いなく、ラクロス部に所属できて幸せでした。
長い自分語りになってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
これから先も続く同志社ラクロス部をどうぞよろしくお願いいたします。




