極刑でも抑止力になっていない | DK Voice Official Blog 「Voice of DK Voice」

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今思っていること、感じていることを書いていきます。通常は日本語で書きますが、英語で書くこともあります。I write my current thoughts and feelings.I write them in Japanese normally,but sometimes I write them in English.

こういった判決が出ても、同じような事件が後を絶たない時代になってしまったのかと思うとやりきれない思いがします。

2019年に京都府京都市伏見区で起きた京都アニメーションの放火事件で、被告に死刑が言い渡されたという裁判。
平成以降では、最悪の事件と言われていて、この事件では、社員36人が亡くなり、32人が重軽傷を負いました。
過去に窃盗や強盗事件で2度警察に捕まり、生活が困窮していたという生い立ちがあるにしても、個人的には、こんな事件を起こさなければいけない理由がどうしても理解できません。
また、今回の事件前に、精神障害を患い、生活保護や訪問看護を受けていたそうですが、その後、訪問看護に応じなくなったそうです。孤立を深めていた上に、自ら支援を打ち切ってしまい、この男に対するこういった更生支援の介入が非常に難しかったという専門家の意見が新聞で取り上げられていたけれども、個人的は、この被告のような男が他にもいるのでは、なんて思ったりします。
そういう意味では、こういった介入の難しい人に対する支援をいかに受け入れてもらえるかが課題になっているように思います。
とは言え、今回の事件の後も、小田急線や京王線の車内で刃物を振り回したり、火を付けたりする事件が起きるなどの凶悪事件が後を絶たないように思います。
さらには「人を殺してみたかった」とか「死刑になりたかった」などの動機で事件を起こす人まで続出していて、必ずしも極刑でも凶悪事件の抑止力になっていないように思います。
今回、死刑判決が出たけれども、それ以降も閉塞感が漂う事件ばかり起きていて、とても嫌な気分です。
戦争が起きているわけではないのに、平気で命を奪ったり、金を奪ったり、金をだまし取ったりする事件が多すぎて、言葉も出ません。「嘆かわしい」という言葉がぴったり当てはまるように思います。
「戦争をしていないことだけが平和ではない」と思っています。本当の意味での「平和」はどこにあるのでしょうか?
「被害者も加害者も出さない社会」が来てほしいと願うばかりです。これ以上閉塞感の漂う事件はごめんです。