●愛は「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」などでは断じてない。(エーリッヒ・フロム)
前回のセミナーの重要な、最大のポイントは、「人が人を(あるいはGoalを)そもそもデフォルトで愛せると考えている人類の傲慢さそれ自体が極めて深刻な母性剥奪、父性喪失である」ということでした。
このたった数行のテキストの、真に意味するところが分かれば、おそらく「私は親に愛されているはずだ」「あのような親でもきっと、愛があったのだ」と言った幻想で自分を傷つけずに済みますし、さらに言えば、自分の認識を捻じ曲げて、現在地を見誤ることはなくなります。
人類が、なんらかを”愛そう”とするとき、それは訓練が必要であり、鍛錬が必要であり、そして極めて厳格な謙虚さが必要であり、そして規律が必要なのです。
「愛するということ」で有名なエーリッヒ・フロムは言います。
愛は、「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」などでは断じてない。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」
愛という崇高な人間の営みとは、極めて成熟した人間にのみ許される至高の心持ちであり、誰もが簡単に浸れるような感情ではないのです。
人を愛そうとしても、自分の人格全体を発達させそれが生産的な方向に向かうように全力で努力しない限り、決してうまくいかない。(同上より引用)
人格全体を発達させようとする大人が、果たしてどれだけ現代日本に存在しているというでしょう?
金、地位、権力、いいね数、アクセス数…
ありとあらゆる資本主義的なものに踊らされ、中身がまるで空っぽな人間たちだらけになり、人もモノもGoalも、自分の人生すらも、愛せないでいる。
現代はまさに、そのような時代ではないかと思います。
特定の個人への愛から満足を得るためには、隣人を愛せなくてはならないし、真の謙虚さ、勇気、信念、規律がなくてはならない。これらの特質がほとんど見られない社会では、愛する能力愛する能力を身につけることは容易ではない。実際に、真に人を愛せる人を、あなたは何人知っていますか?(同上より引用)
特定の個人もそうですが、特定のGoalも同様です。
ここから真の満足感を得るには、隣人を愛し、信念、規律を守らなければならないとフロムは言います。
愛する能力を身につけることは容易ではないと語りかけ、実際にお前は、真に愛することのできる人を何人知っているというのだ?と胸ぐらを掴んでくるのです。
我々の親も同様です。
子供を愛するというのは、自らの成熟が必須であり、自らに対する謙虚さ、そして愛しぬくという信念、そしてそれを実行するための規律が必要です。
簡単に子供を育てられる、簡単に支配でき、コントロールでき、自分の劣等感を癒すための道具にできると考えているバカが大勢いるのは事実です。
子育てで悩んでいるなんて簡単に言いますが、もっと真剣に悩むべきでしょうし、もっと自分の未熟さに絶望すべきでしょう。
無責任な連中はまだまだ、後を経たないのが、人類の現在地です。
我々人間は”愛する”ということに対して、非常に安易に考えすぎており、絶望的なほど何も学ばないのです。
金があればとか、親が理解してくれればとか、パートナーがもっとやってくれればとか。
そうやって自分が未成熟なことを棚上げして、他者に責任を転換するのです。
Goalについても同様です。
我々は、Goalを愛せないからこそ、途中の挫折や苦労に打ち克てない。
簡単に諦める。
簡単に、自分の大したことのないI.Qで結論づける。
その、論理を超えた先にしか、Goal側の風景はないのに、まるでわかったつもりになって、Goal達成できない理由を今日もずっとずっと、論いつづける。
Goalを設定し、それに向かい、人生を生きるというのは、その人の全人格が常に問われるんです。
Goalの方から、常に問われる。
それを神と言っても仏といってもいいですが。
我々はそのような意味で言えば、毎日問われているのです。
お前の人格の足りなさが、お前の人生の限界だと。
お前の未熟さが、幼さが、他でもないお前自身の未来を、妨げているのだと。
だから今日も学ぶし、明日も学ぶし、明後日も実践するし、その次の日も、次の日も…
我々はひたすらに、実直に、自分の心と身体に向かい合うのです。
Goalへ向けて、思うような結果が出せない自分に言えばいいんです。
「もっともっと、私は私のGoalを愛せるようになろう」と。
失敗や挫折は、自分の全人格を、問われているのだと思います。
それこそが福音なのです。
自分が他者に依存してしまっていること、子供に虐待をしてしまっていること、自分自身の弱さを、真っ向から向き合おうとしないこと。
結局誰かと比べたら優越でしか、自分を語れない人。
自分はこんなことを学んでいるから、あいつより上だ!なんて、訳の分からない安心感に浸る者。
我々の心の奥底にはそうした、薄汚れた弱さがあるのです。
幼さがある。
我々が人格を磨くには、それら一つ一つを、認めていくしかない。
その弱さを、汚さを、バカさを、認める他ない。
それを一つずつ、認めていくのが、セルフエスティーム瞑想です。
そうして我々は、何度も何度も心身と向き合い、自分のGoalと向き合い、ひたすらにその訓練を重ねていく。
まだ当分、なんの結果も出せそうになくとも。
この積み重ねた、コツコツとした日々こそが、やがて輝きだすのです。
それ以外は全て、なんの力も持ちません。
セルフエスティーム瞑想に取り組む者として、気高い人格を形成していってください。
それは必ず、あなただけではない多くの人々を、幸せへと導くはずです。
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