●能力とかやる気が足りないのではなくて、絶望が足りない。
絶望ができるというのはやっと、書き換えの俎上に乗ったというこということではないかとDK WORKSでは考えます。
麻痺して、感じられなかった、途方もないような、本人も気がついていないようなレベルの地獄を、やっと観測できるようになった時、初めて「絶望」というものは訪れます。
もはや打つ手はもう、残っていないかもしれない。
まるで、できる気がしない。
やっても意味があるとは思えない。
前向きに、取り組もうと思えない。
そういう絶望に、何度も何度も我々は襲われます。
いつ明けるともしれぬ暗闇に自分はずっと縛られていたのだと初めて気が付ける。
逆に言えば、何も見えていない人間にとって絶望は存在していません。
観えるようになったからこそ、そこに圧倒的な絶望を、観測できるのです。
絶望とは、自らを真に知ってしまうということであり、それは同時に、全ての始まりでもあるとDK WORKSでは考えます。
絶望してなお、それでも生きようとする者には、不思議と何らかの道が、開けてくるものです。
それはおそらく、それまで思ったことのないような道です。
DK WORKSではよく、「絶望が足らない」と言う表現をします。
絶望が足らない選手には、それなりの深さの書き換えしかしません。
なぜなら、宝の持ち腐れだからです。
意味がない。
むしろ、豚に真珠を、くれてやるな状態になることが多い。
むしろ、振り返ってこちら側が攻撃を喰らうことすらあります。
絶望を知らぬ人間というのは、それほどまでに幼稚なのです。
こちら側が授けたい「聖なるもの」を踏みつけ、噛みついてくるのです。
聖なるものを犬に与えてはならず、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。(マタイ7:6)
そのような意味でいえば、第一線で活躍するようなレベルの選手たちは、絶望を知っています。
自分がいかに弱く、出来が悪く、上手くなどなく、硬く、動きが出せず、何度も何度も悔しさを味わっています。
そんな自分に絶望しているからこそ、真に自分を変えてくれる何かを渇望している。
なので、こちらのアドバイスが「入っていく準備」が、しっかりできている。
絶望から逃げていない。
そういう選手は、楽なんです。
こちらの書き換えがきっちりと入っていき、そして、育っていく。
絶望が足らないような連中は、所詮、良いアイデアを聞いたなというレベルで、終わり。
その一つのアドバイスに対して、徹底的に取り組むということを、人生で一度もやったことがない。
いやむしろ、人の話なんてほとんど聞いてない。(聞けていないということに気づいていない)
その幼稚さはまさに「絶望が足らない」ような悲惨な状況なのです。
もはや、全てを全力で行い、そしてそこに圧倒的な限界を感じ、疲弊し、消耗し、限界に達する。
もはやこれ以上、何もすることができないだろう、不可能だろうというような境地に入っていく。
そこにきて、神の恩寵というのはやってくる。
全くもって思いもよらないようなところから、思いもよらない人生を変える何かが訪れる。
コツコツとやるべきことをやってきたから人間というのは、そういう絶望を知る人間なのです。
絶望できるというのは幸せなことなのです。
絶望の先に、何が待っているか。
それは、身体こそが教えてくれます。
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