●人々は資本主義的に成功するための努力は惜しまないが、誰かや愛することに対して、全く努力をしない
「母性剥奪」という自らに潜むアルゴリズムと向き合うということは、当然ながら並大抵のことではありません。
極めて高い抽象度と、身体性。
そして、それ相応の、高い人格が必要。
DK WORKSのクライアントたちは、ここ数年、セミナーやセッションで、徹底的に鍛え上げられているからこそ、やっとここまで辿り着いているという感じ。
世間のほとんどがこの、母性剥奪という闇に対して怖気づいて手をつけないのは、こうした長い長い下準備ができないからです。
そういった意味では、今回の母性剥奪の前に、多くの伏線を張り巡らせ、クライアントにそこまで到達してもらう必要がありました。
当然です。
母性剥奪などという事実(=現在地)を叩きつけられて、普通に生きられる人などそれほど多くはないのです。
端的に言えば「お前愛されて育ってないよ?」って事ですからね。
そりゃ、それ相応のI.Qがなければ、情動だけを走らせて、ぐちゃぐちゃ、うやむやにして終わりというのが関の山でしょうね。
それだけ、現実を受け止める力が、皆さんにはついてきているということ。
そこまでやらなければ、内部表現書き換えなど到底できるものではないのです。
なぜ、愛されていないことを受け入れられるのか?
それは、人間の傲慢に対してのカウンターを持っているからです。
そもそも、人間は生まれた時から「愛する」ということができると誰もが思っています。
そういう発想で、ほとんどの人が生きているでしょう。
しかし、この発想自体が傲慢であり、幼稚なのです。
我々は、ある一定以上の抽象度がなければ、人を愛することはできない。
可愛いとは思えないし、愛おしいとは思えない。
もっと言えば、Goalを愛するということもまた同様です。
Goalを愛せないということはそれ即ち、それはもはやGoalではないということ。
だからこそ、Goalなき人生を送る人がこれだけ多いのです。
「愛するということ」という書籍でも有名なエーリッヒ・フロムは言います。
「人々は資本主義的に成功するための努力は惜しまないが、誰かや愛することに対して、全く努力をしない」
これは極めて強烈なカウンターです。
コーチング的に言えば真っ直ぐに「精神性が置き去りにされた資本主義の奴隷」です。
愛されたいという幼児的願望に呪われて、他者を対することを忘れた亡霊だということです。
我々は、そうした精神性を高めるための知性(=身体性)を生涯にわたって身につけていく必要があるのです。
そのことによって、他者を愛することができ、他者を許すことができ、怒りを、憎しみを、恨みを手放すことができるのです。
今日も、かなりすごいフィードバックが届いています。
受講生は参考になるかと思いますので紹介します。
DK WORKS 小出様
お世話になっております。
先日のwebセミナー、録画受講させていただきありがとうございました。
講義内容もさることながら、ワークの凄まじさに圧倒されました。
type1のワークでは、自分のセルフエスティームが確かに自分の中にあると感じられ、驚きと嬉しさと安堵で思わず涙が出ました。
それだけセルフエスティームが枯渇し、飢えていたのだと初めて気付きました。
type2では、目の前に母を召喚した途端に母に触れたくて仕方なくなりました。
召喚した母はどこか寂しげで、頼りなさげに見えました。
私の中の、母に甘えたい気持ちと、母を甘やかしてあげたい気持ちが半々で存在しており、幼い頃に甘えられず親子逆転してしまっていた証明のように感じています。
母に対して「幸せでありますように、苦しみから解放されますように」と言葉をかけると、私自身が母を手放してあげられたように感じ、また泣いてしまいました。
親から愛情を貰うことを諦めたつもりで、情報空間では誰よりも執着し、親の存在にしがみついていたのかもしれません。
講義内容を聴き、今までの生きづらさや自己嫌悪の正体に、また一つ迫れたように感じています。
中学生くらいの時分から、友人や同僚に対して精神的に甘えようとしてしまう自分を自覚していて、そんな自分に嫌悪感を抱いていました。
思えばずっと、学校では友達よりも先生が好きで、先生は私を子供として扱ってもらえるし構ってくれるから、そこに縋っていたような記憶があります。
親から貰えなかった愛情を外に求めてしまっていたのだと考えると、全てに納得がいきました。
他のクライアントさまも仰っていたように、私も成功しないことで親に復讐しようとしていたと思います。
まだ確信を持って言い切れるほど、正面からは向き合えていません。
過去、偶然読んだ本に同じことが書いてあり、親へ責任転嫁するように復讐し続けている自分に打ちひしがれたことがありました。
その時は事実を受け止めきれず、もう仕方がないことだと諦め、また本音を抑圧し、忘れることでやり過ごしてきたことを思い出しました。
そんな過去があったことすらすっかり忘れていましたが、やはり向き合わずしてこの人生は終われないのだなと感じています。
諦めてしんどさを受け入れようと思います(笑)
また、自分が会社や同僚、上司に母性を求めていたことにも気づきました。
「そっか、会社は親じゃないんだな」と腑に落ちた感触があり、今後の働き方が変わってきそうな予感がしています。
私の両親は、義務感で子育てをしていたと思います。
ただ、愛してくれなかったとまでは言えない自分がいます。
今はまだ、事実を受け止めきれていないのですが、瞑想のワークをしながら徐々に向き合っていきます。
以上、ひとまずのフィードバックとさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました。
(女性 マインド・ボディ・コーディネーションシリーズ受講生)
「愛してくれなかったまでとは言えない」というのは、本当に、本音だと思います。
これも、さらにこれから、色々と観えてくるようになります。
焦らず、ゆっくりで大丈夫です。
今回は、セルフエスティーム瞑想において、Type1、Type2の2つをご紹介しました。
どちらも極めて強烈に内部表現書き換えを実現してくれるテクニックでありながら、深い深い変性意識に入る必要があります。
なので、何度も何度も、来る日も来る日も、座り、瞑想し続ける必要があるのです。
そうして自らを鍛え上げていくのです。
このクライアントさんが意識に上がった、自分自身の親子逆転について。
この親子逆転というのは、極めて致命的に子供の心を破壊します。
もはやこの世界に、精神的に帰る場所が無くなることを意味します。
だからこそ、大人になればその、帰ることのできる場所を探し続けます。
それを恋人に求め、パートナーに求め、会社に求め、友人に求め…
そうして、人生の大半を犠牲にします。
しかし、自分がなぜ、これほどまでに人生に渇望しているのか?苦しんでいるのか?
こんなバカなことをしてしまうのか?
何をやっても力が出せないのか?
何かに依存してしまうのか?
わからない。
わからないからまた、次の場所に向かう…
次に、これさえ手に入れば、楽になれるのではないか?
自分を許せるのではないか?
愛を手に入れられるのではないか?
自分は無価値ではないと思えるのではないか?
自分自身の人生を、取り戻せるのではないか?
と、膨大な時間とリソースを掛ける。
そして最後には、結局何も残らない。
強烈な精神的疲労とボロボロの肉体だけが残る。
自分の内側に潜んでいる幼児的願望が、自分自身を苦しめていると気づくことができずに、救いを外に求める。
救いを外に求めても、どこに行っても、理解されることはない。
だからこそ、次は外側を憎み始める。
恨み始める。
なぜ理解されないんだと、周りを攻撃し始める。
そうしてまた、人生を自分で、壊す。
我々は、セルフエスティーム瞑想によって、そんな辛すぎる人生を終わらせることができます。
その先には、本当に楽しい、面白い、温かい人生が、絶対に待っていますよ。
温かい仲間に囲まれ、楽しいことに没頭でき、上達も挫折も、全てを楽しむことができ、未来に希望が持て、明日が楽しみになる。
着実に力をつけていく自分に、心から誇らしさを感じる。
Goalを達成することができるという深い確信とともに、生きることができる。
セルフエスティーム瞑想を取り入れる皆さんには、そういう未来が待っていますから、本当に楽しみにしておいて下さい。
全ては、弱い自分を、受け入れることからです。
自分の中にある、憎しみ、怒り、恨み…
そんな気持ちを、隠蔽しないことから。
むしろ、隠蔽されたものをきっちりと観測することから始まります。
DK WORKS Goal達成のための心身を創る「マインド・ボディ・コーディネーション」