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あ~いい湯だね~


特にスノボーのあとはなおさら。


今、毎年恒例になりつつある長野県の蓼科においてのスノボー合宿に来ている。

八ヶ岳の中腹ぐらいに知り合いの別荘があってお世話になっている。


今年は、雪不足でお気に入りのエコーバレーのオブザリップコ—スが、土むき出しで残念だけど、まぁ、楽しめたね~☆


エルニーニョの年は、雪不足になることが多いのかもね~。


あした、ピラタススキー場でロングランしてから、蕎麦食べて房総半島に帰る。

火曜日、少し北うねり入るのかな?。


あっ♪そう!ECCOというデンマーク製の靴のスポンサーが付いたんだよ☆


今日も連絡あって、靴を勝浦に送ったみたい。


これは、エコーつながりの摩訶不思議かもね~。


その靴、本当に調子がよくて、革靴でピッタリ足になじむんだよ☆

きのうの午前中は


いい波だったなぁ~。

入れなくて悔しいから、あまり海を見ないようにしていた。


やっと熱が下がり、今日の朝36・8まで回復。


僕は、平熱が人より高く、小学校の時は、熱があると先生に言われ、家に返されたこともある。


ラッキー☆って感じ。


今の平熱は、たぶん36・5か?6?あともうちょい。

3月は、青森の角の浜にいく予定で、そのあと八甲田山に登ってスノーボードをやるんだよ。


足にわっかつけて、埋もらないようにして、山を登るやつ。


あとは、やっぱり大好きなエコーバレーに2回は行きたいなぁ~。


そして、4月の頭にコマーシャルの撮影でウルワツに行く。

その後、クラマスの試合だね~。


あ~早くインフルエンザ治らないかなぁ~…油断大敵で、あと3日ぐらいは、絶対海入らない。


『震災から5年』…思うことは、だいぶ頭の中で筋書きが出来てきた。

カリフォルニア6(終)


その前に、やっと風邪が治ってきた。

病院行ってないからわからないけど、完璧インフルエンザ。

今日でちょうど10日目。

10日前に東京でコマ~シャルの打ち合わせがあって、行きか?帰りか?の電車でうつったと思う。


まぁ、しょうがない。


それと、今日通過する低気圧は突風が吹きそうだね~。

両側の高気圧が地表に空気をたたきつけて、行き場を失った空気同士が横へ移動、ぶつかり合って激しく混ざりあう。


低気圧が発達する理由は、両側の高気圧が空気を送っているから。


さて、今回のカリフォルニアでいろいろネガティブなことを書いたが、物事、表と裏があって、綺麗なことだけ書くのはとても簡単で、それは僕の流儀ではない。

今日、紹介しようと思った話は、みなさんがあまり聞きたくない話。


僕は、デボォンの家のリビングに1週間泊まっていた。

そんなある日、デボォンが日本に行ってみたいと話してきて、続けてこう言った『でも、大丈夫なのか?』と言ってきた。

『このあたり(サンディエゴ)には、日本人がたくさん住んでいるけど、誰もあの事故のことを話したがらないんだぁ~?』、『いったい全体どうなっているんだぁ~と』。


僕は、重い口を開き、『じつは僕は、選手会長になって、日本プロサ—フィン連盟の役員を90パ—セント入れ替える改革をした、その直後、あの再処理工場が沖合いに放射能を流すことを知った』。


『のちに巨大地震が長いスパンではあるが、たびたび日本列島を襲うことや、津波で原発がやられることを悟り、僕はたびたびジャパニーズ、ホワイトハウスへ抗議に行ったり、自ら講演を開いたりしながら、全貯金(1000万円ぐらい)を使い果たす寸前に、あの地震が起きたんだよ』。


デボォンは、時間が止まったように聞き入っていた。

横でデボォンの彼女が何か質問みたいなことを言い出した時、『シッ—!!』と一言払拭し、ピザ屋さんにいた回りの人達も氷ついた。


『デヴィッド、続けて…』とデボォンが言った。


『今、現在、福島の子供達160人ぐらいが、甲状線ガンになっていて、福島以外の地域は、あまり診断をしていないんだよ』。


デボォンは、『それで、原発の内部はどうなっているんだぁ~?』と。


『溶け落ちて、地下水と接して、海に漏れているし、燃料を取り出す方法もないよ』。

テ~ブルにいた人達は、みんな聞き入っていた。


『それで、何でデヴィッドは、そんなことがわかったんだよ』とデボォンが言った瞬間に、ウエトレスが『は~い♪、4人分のピザよと、笑顔で添えてくれた』。


僕は、心の中で、「もう無我夢中だったんだよ」と言おうとしたんだが、太平洋を半分ほど覆う大型の低気圧からの途切れないうねりで腹ペコだったので、話をやめ、ピザにかぶりついた。

このカリフォルニアトリップは、雑誌『Blue』で特集されます。

では…終わり


次回の更新は、『震災から5年』、思うことを書きます。


この写真に写っているのは、10年前ぐらいに植えた桜だよ…凄く大きくなってる☆

カリフォルニア5


今回の旅、僕はパタゴニア本社を初めて訪れた。


社内の雰囲気はとても明るく、効率化最重視のある意味自由な感じがした。


社内には託児所があったり、波が上がればみんなでサ—フィンに行く。


そのかわり、集中する時は集中して仕事する。


社員は、みんながみんなサ—フィンをしているというわけでもなく、山歩き、スノボーやスキー、釣り、マウンテンバイク、そして、クライミングなど、大自然とシンクロしながらマイナスイオンを吸収して脳をリフレッシュ、のちに心身ともに次なる目標へ進む。

そして、それぞれの大自然の『ザ・デイ』をみんな心待ちにして生きている。


大自然の『The day』とは、嵐がおさまる山岳峠だったり、逆にパウダースノーでFlowしたり、魚がたくさん釣れる日だったり、はたまた、グラッシ—な面ツルの海で、それぞれ好みのサイズで波を支配する。

みんな、それぞれのお好みの日を心待ちにしながら、生活を送っている。


それはある意味、自由なライフなんだけど、本当に集中する時は集中する。


そして、その自由さが本来、人間にとって最も必要なことだ。


自由な環境で生きるものは、発想も豊かで、人に優しく出来る。


そんな人達が集まった会社なので、より良い製品が生まれる。


そして、思ったのは、ものづくり世界一の国、日本のフィ—ドバックの影響を絶大に受けているということだった。


社長のイブォンさんは、見た目通りの石頭。


その昔、世界的に有名なクライミングの名手だったので、彼の中では、失敗は谷底に転落し、死がまっているのを知っている。


そんな環境で生きてきたのだから、石頭になるに決まっている。


一つ、一つの杭を、確実に打ち込まなければ、やられる。


そんな精神状態で生きてきたのだから、ああゆう風格になったときずく。


そんなイブォンさんが、今回、別荘のランチに連れてってくれたり、お寿司をおごってくれた。

それは、知る人ぞ知る『ふじシュナ—ド』さんが長年の信頼関係を築いてくれたからである。

でも、正直、僕とイブォンさんは、そのあまりの石頭で会話が弾まない。


たくさんの世界のレジェンドサ—ファ—や日本有数の学者、ジャ—ナリスト、大物芸能人とコミュニケーションをしてきたが、イブォンさんだけは、会話が弾まない。


でも、それでいいのだ♪


強者は背中で語る。


やって来た功績が証明している。


環境問題とビジネスの成功。

僕は、今回の旅で、ビジネスの成功は、人を幸せにすると言った新たな目標みたいなのが芽生え始めてきた。

環境問題にこれだけ首を突っ込むと、お金儲けをしてはならないといった複雑な心境に陥る。


でも、それじゃ~何も始まらない。


環境問題を始めると、車の排気ガスから、飛行機に乗るまで、人々はありとあらゆるけちをつけてくる。

まぁ、面と向かって言われたことはないけどね~。


原発の講演も100回以上やったけど、面と向かって何か?言われたことは一度もないんだぁ~。


100とすると、95のいいところを見ず、悪いところの5を見る人達がいる。

まぁ、それもいいだろう。


完璧な人なんて存在しない。

けちをつけてくる者は、社会が病んできている証拠であり、スキャンダルスな報道に視聴率が集まり、ゴシップ誌が売れるのに似てる。


結局、何がしたいんだがわからない。


環境問題に取り組んでいる人達は世界中におり、これは自然の中で生きる者にとって、ごく自然な表れだ。

続く…


写真は、イブォンさんととても仲がいい、あのミッキー・ムニョス。

人類が初めてワイメアの波に乗った瞬間。

挑戦し続ける…それが、人生にとって大事なのかも知れない。

カリフォルニア4


それでもやっぱり、小さい波での長いノ—ズライディングは、なんだかんだ言って楽しい。


今回、ジョエルと再会した後、朝ご飯を一緒に食べに行こうと言うことになった。

その時、彼がこんな話を言ってきた。

『なぜ!?日本はカリフォルニアを見ているんだぁ~?、ジャンクフ—ドばかり食べて、ブクブク太って、俺にはカリフォルニアが凄いとは思わないんだぁ~』…『凄いのは日本だよ!日本こそ!コアの精神が残っている、俺は日本に行ってゲームばかりやっている日本の子供たちに柔術を教えたいんだぁ~』と。


僕は、この時、心の中で『ほぉ~ずいぶんと大人になったな~』と思った。


そして、くそがき!と勝手に僕が呼んでいる名前を返上しなきゃねと思った。


僕の目から見て、カリフォルニアと日本はどっちもどっち。

それぞれ、素晴らしいところがあって、いちがいにどっちが凄いとは言えない。

人間にはないものねだりがあって、大事なのは、それぞれの国の文化が形成された歴史を勉強して、なぜ!?この国はこうなったのか?と深く考えることだと思う。

残念ながら、話はそれるが、日本はこの先、大問題が待ち受けている。


その筆頭が高齢化問題。


働く人が減り、税収が減って、政府はてんてこ舞い。

アベノミクスというのは、お年玉みたいなもので、景気が悪くなっていく中、どこの党も打開策がないから、しょうかないので自民党に票を入れる。

しかも、日本人の5人に一人しか自民党に票を入れていなく、その一人には高齢者が圧倒的に多い。


そして、僕が思うには、景気が上がる打開策なんてないんだよ。


アベノミクスは、紙幣を大量に刷って、株価を操作したに過ぎない。


あるアメリカ人の経済学者が言っていたけど、アべノミクスは、13年前ぐらいにアメリカがもうやっていて、一時的に株の値はあがるが、根本的な解決にはならない。


今、日本の政府に大事なのは、景気はもう上がらないというのを認めて、そこに準備することだと思う。


あれ?カリフォルニアの話から、ずいぶん飛んじゃったけど、波乗りで異国に行くということは、波乗りだけではなく、現地の人達とコミュニケーションすることが大事なんだぁ~。


続く…


写真は、ゲッティングアウトを失敗すると、激掘れのトリプルオ—バ—を喰らう、超おっかない!!、ブラックスポイント。


真ん中は、頭のいいサンディエゴの大学を卒業後、24歳にしてアメリカのロングボードマガジンの編集長を3年間牽引したミスター秀才、デブォン・ハワード。

一番右は、今回、密着取材を続けてくれた誰にでも愛されるカメラマンの熊ちゃん。

カリフォルニア3


なぜ!?あまり、ノ—ズライドに興味がないかと言うと、僕は、七里が浜で10フィ—トのシングルフィンからサ—フィンを覚えた。


のちに、重いクラシックのボードで世界の強豪を相手に戦ってきた数少ないプロロングボーダ—だった。


あの当時、今から20年前、みんながボードをどんどん短く軽くしても、僕はそのスタイルを変えなかった。


海外選手からは、『デヴィッド!また、タンデムボードを持ってきたのかい?』とからかわれる事が多かった。

当時、みんながボードをどんどん軽くしていく中、変えなかった選手は、ジョエル、ケビン・コネリ—、あとブレンデン・ホワイト!、あとは、ん~?あまり記憶にないけど、トップ16の中で、2、3人しかいなかった。


そして、何よりも重いクラシックのボードで、軽くパシパシ当ててくる選手相手に、勝つことに意味があると思っていた。

軽い9・0のスタビライザに乗っている選手に勝つ方法は一つ、それはそのヒ—トでのベストウェイブを3本つかむ以外に方法はなかった。(当時はベスト3、ファイナルは、ベスト4)。

あとは、波がひざ、ももぐらいの試合の時。


でも、海外の選手は、それを消化試合と思っていて、小波での活躍は認めなかった。



僕は、ほんの数回しか上位に入れなかったけど、ジョエル、ケビンは、強かったね~。


やがて、30万もかけて、海外の試合に出ても、あの軽いロングの動きに対抗出来るわけがなく、重いクラシックのロングで戦うのがバカらしくなってきた。


僕は、七里が浜から毎日波がある勝浦に引っ越し、ボードも軽くして、戦う決意をした。


だが、クラシックのボードでサ—フィンをはじめた僕は、リッピングが下手くそで、ショ—トボ—ドの動きに憧れた。


そして、勝浦や他の房総のポイントは、七里が浜と違って、波が急に掘れたり、急に厚くなったりと、クラシックのボードでは対処ができない。


クラシックのボードでやって、面白いのは、片貝や太東や岩和田の小さい時だけで、あとはあまりないね~。


だから、もし目の前にヌ—サやマリブ、カ—ディフみたいなポイントがあれば、ノ—ズライダ—で入るけど、ないから、軽いボードで動かしていくほうが楽しいし、流体力学的に理にかなっている。


それとノ—ズライドより、リッピンクや大きい波のほうが難しく、できないことに挑戦するのが好きな性格なんだよ。


それが、僕の持って生まれた美学でロマンでもある。

それと、海外のまぁまぁ大きい波をやりすぎて、小波はおもしろくないんだぁ~。

ダブルとかの波で、トップからボトムを繰り返すと、小さい波は迫力がなくて正直、面白くなくなる。


まして、究極の醍醐味のチュ—ブを味わとなおさらだ。

よく何人かに、『デヴィッドは、クラシックのほうがかっこいいよ!!』とよく言われるんだけど、僕は、かっこいいからと思って、クラシックのボードを乗ったことなんて一度もない。


ただ、七里が浜の波がクラシックのボードに合っていて、背も196センチあって、小さい波をショ—トボ—ドでは乗れないから、ロングにしたんだよ。


まぁ、そんな感じでノ—ズライドをバカにしていることなんか1ミリもなく、人それぞれの人生の道が違くて、それぞれの本人にしかわからないプロセスがある。

続く

写真は20歳の時、後ろに写っているのはマリブピア。
とても怖い顔をしているのは、この写真を撮ったカメラマンが嫌いだったから…でも、やんちゃな顔だね~。

あっそうだ!

実は先週の水曜日、風邪をひいて、ハワイ行きをキャンセル。

インフルエンザなのか?もよくわからないんだけど、熱が下がらない!

今日、海入ったらまた38度近くまでぶり返しちゃったよ。



追加、今日、海[ 部原 ]入ったら、偶然、あのハンティントンからきたカノア、五十嵐君がいた。


おそらく、この先、彼と同じポイントでやることは二度とないかもしれない。




カリフォルニアの話2


20歳頃のカリフォルニア修行の話の前に、きのう話した幼い頃の思い出は、何も悪いことばかりではなく、楽しい思い出もたくさんあるよ。


グランドキャニオンに行ったり、ガレージでお化け屋敷を作ったり、スケボーにはまったりしていた。


もちろん4歳なので、スケボーの上には立てなかったけど。


僕が右利きなのに、レフティ—の由縁はこのスケボーで、立てないけど左足をテールに置き、しゃがみながら右足で道路を蹴ったりして進んでいた。

あとはイ—スタ—行事と言って、母親が庭にチョコレートを隠して、それを姉2人と見つけにいくやつで、猛ダッシュで全部姉より先に見つけないと気がすまなかった。


話をもどして、20歳の頃、運よくあのナット・ヤングに目をつけられた僕は、フランスのアパレルメ—カ—、オックスボゥがスポンサーにつき、カリフォルニアに毎年通いはじめた。


最初はなんと!レンタカ—代を渋り、1300ドルでボロボロのスバル水平対抗エンジン{2000cc}の車を購入。


この頃、英語は今ほどうまくなく、知り合いの日本人の学生に通訳や購入の段取りをお願いした。


その人が借りている大きなアパートにも1か月を越えるロングステイし、代金も0円だった。


この時は、主にサンタモニカ周辺で、波が全然なかった。

やがて、サンノオフレに行くようになり、ミッキームニョスさんの家に泊まったりしていた。


ある時は800キロ北上し、サンタクル—ズやサンフランシスコにも行った。


そして、ある時は、メキシコに行き、お巡りに銃を突きつけられ、40ドルかつあげされた。


僕は、ビッグウェンズデーを見て育った。


マット・ジョンソンに憧れてたというよりも、あの映画のすべてが好きだった。

子供の頃から都会が嫌でしょうがなく、買い物に行くと言っても、一人、車から降りなかったこともあり、何時間も車の中にいた。


もう、持って生まれた性と言っていいぐらい都会が大嫌いだった。


あの映画は、海のそばに常にいて、なにか?こう、自由な生き方に憧れた。


あの映画の再現じゃないけど、僕はカリフォルニアでああゆうことをしたかった。

でも実際は、しゃいだから、パ—ティ—とかは嫌いで、ただ、サ—フィンしながら冒険がしたかった。


20歳から35歳まで、おそらくほぼ毎年訪れ、やがて、カリフォルニアで友達がたくさん増えた。


北からウイング・ナット、ジミ—・ガンボア、ジェフ・ホーやコリン・マクフィリップの家には長い間泊まり、ドナルド・タカヤマからは、彼が亡くなる寸前まで僕はライダーのオファーを受け続けたが、断ったりしていた。

余談になるが、僕は日本のグランドチャンピオンの後、10人を越える世界中のシェイパ—からオファーを受けたが断った。


ジョシュ・バクスタ—やジョシュのおやじのジャッキ—とも仲がよく、他に問題児ダレン・レニングハム、デボォン・ハワードは以前から友達だったが、今回とても仲がよくなった。


そして、ミスターくそがき!ジョエル・チュ—ダとは長い、長い時間を共に過ごした。

今回、カ—ディフの海の中で10年ぶりに再会した時は、もう言葉がなかったよ~。

二人でボ—ドを置いて、抱きあい、彼はびっくりしていたよ!

周りにいた人たちは、一瞬、喧嘩がはじまったと思ったことだろう。 


のちにデボォンが言っていたけど、あんなに喜んでいるジョエルは見たことない!!と言っていた。


僕は、デボォンにこう言った。

なぜだがわかる? みんな、ジョエルを甘やかすけど、僕は常に彼に何が正しく、何が悪いと言ってきた。

もう、お互いをからかうのが大好きで、お互い負けず嫌いだったから。

もちろん、彼には勝てなかったが、一回だけあのコスタリカで僕は彼に勝ったと思っている。

それは、ジョエルも認めている。

今回の再会で、彼が主催しているダクトテ—プインビテ—ショナルって言うの?それに招待されたけど、正直、あまり興味がないんだぁ~。


続く…

カリフォルニアの話


僕は、昔、カリフォルニアのハンティントンに住んでいた。

それは4歳の時であった。

荻窪で生まれ、デンマーク、カリフォルニアと引っ越した。


ハンティントンで両親が借りた家は一階建てで、庭は広く、アボカドやオレンジ、レモンの木があって、愛犬ゆきちゃんと走り回っていた。

夜になるとパトカーのサイレンが響き、窓から見える夜景では、ヘリコプター数機がサ—チライトで犯人を追っているのが日常茶飯事だった。

時代でいうと1977年頃で、映画、ジョ—ズ、スタ—ウォ—ズが大ヒットした頃。


おやじは、酒も飲まないのに仲間と酒屋をオ—プンしたりしていた。


僕は保育園へ行き、速攻、隣の席のやつに鼻をぶっ飛ばされた。

その保育園では、黒人、白人、アジア系の子供達が通っていた。


やがて、家の冷蔵庫の上にあるクッキーを盗もうとした時、誤ってひじでオ—ブンのボタン押して、シカトしたら、家が火事になった。

消防車が7台も駆けつけ、近所は大騒ぎ。


キッチンのボヤで済み、火事の原因は、いまだに姉のせいになっている。


そして、今度は、プ—ルで遊んでいた時、親戚の養子が投げたシュノーケルが姉の耳に当たり ,耳が切れて大量出血。


おまけに、うちは離婚危機に陥った。


おやじが狂いだしたからだ。

物を投げ、怒鳴り散らした。

あわてて母親は、デンマークに僕らを避難させた経歴がある。


まぁ、ざっと話すと4歳の時のカリフォルニアは最悪で、のちにデンマークに戻った。


それから15年ほど、僕が20歳の時、僕はサ—フィンの修行でカリフォルニアに渡った。


続く…


写真は今回一週間ほどステイしたデボォンん家…カ—ディフが見渡せる。

Swamis


地元のローカルいわく、今まで最も良いスワミ—ズの中でも、記憶に残る1日と。

僕はこの日、ブラックスでサ—フ。

沖に出るのにドルフィンを50回繰り返し、もうだめだ!あきらめようと思った時、水平線がピタリと平らになったのを確認して、猛パドルでなんとか沖に出たよ。

でもブラックスは恐ろしいポイント。

沖がどれほど深いか?調べようと思っているんだけど、深い水深から一気に浅くなる地形であの波は焦った。

おそらく数百メートルの海溝がすぐ沖にあるんじゃないかと思う。


結局、一本乗って上がっちゃった。


カリフォルニアは8年ぶりぐらいで、いつもは夏頃に行っていたんだけど、初めて冬に訪れて、その波の豊富さにびっくりしたよ。


今度、行くときも冬に行こ♪

10年ぶりの大波


カ—ディフ。

サンディエゴの少し北側だよ。

サイズは、トリプルぐらいかな(5メ—トル)。

カリフォルニアは、沖に島(チャンネルアイランド)がたくさんあって、太平洋のダイレクトなうねりが半減する。

この日、沖のブイは20フィ—ト、19セカンドをマ—ク。

うねりとうねりの間が19秒だよ!!

地震の揺れと同じで、間隔が広ければ広いほど、遠くの暴風圏から来たことがわかる。

この数字がもしハワイだったら、倍近い波になっていた。

いかに遠くから旅したうねりということがわかるね。

エルニーニョになると、暖かい海水の上の空気も暖かいから、北から冷たい空気が流入しやすくなる。

暖かい部屋と冷たい部屋の間のドアを開けると空気が激しく混ざり合うみたいな。

混ざり合うのが低気圧で、丸い地球では必然と温度差を解消している。