【挨拶の目的】大事なのは明るく元気にすることではなく、その時の声や雰囲気で相手の状態を知ること | 【出口貴章(ターキー)のブログ】喋りで大切にしてほしいいくつかのこと

【出口貴章(ターキー)のブログ】喋りで大切にしてほしいいくつかのこと

CHANGE TALK,CHANGE LIFE
「話し方を変えたければ生き方を変えろ」
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
現役ラジオDJ
もっと自由に、もっと自分らしく、もっと自信を持って
小手先の技術(やり方)ではなくあり方にこだわって欲しい

元気に挨拶

Change Talk, Change Life


"話し方を変えたければ生き方を変えろ" 


喋りは「生き方」が9割


「話がちゃんと”伝わる人”と 

    話をちゃんと”聴ける人”を増やす」 


「大事なのは、伝え方ではなく伝わり方」 


伝え方や話し方だけにフォーカスした 

自己満足、利己的思考は今すぐ捨てろ

大事なことは「どう伝えるか」ではなく

相手に「どう伝わったか」を考えること


27年間ラジオの現場で培った“DJ思考”を伝え

話し方、聴き方、生き方をイノベーション 

一般社団法人日本フリートーク協会代表理事 

Lifeskill Talk College 学長の出口貴章です 


こんにちは! 

僕のブログに来ていただき 

本当にありがとうございます!



元気に挨拶


これはいい事です

元気に明るく挨拶をする


出来る人はそれでいい


でも毎日毎日人は元気か?

テンションアゲアゲなのか?


難しい人もいる


元気に挨拶をしたくても

「ちょっと今日は無理…」

そういう人がいるかもしれない

いや、いますよね?

(少なくとも僕はそうだ)


そもそも挨拶ってのは禅の言葉

禅問答におけるはじめのやり取り

相手の力量や状態を見極めること

発した言葉から相手を推し量ること


本来の意味はこういうことです


「明るく元気に挨拶を!」


たまたま今日SNSの投稿で見た

もちろんそれに越したことはない

気持ちがいいのは確かなのですが

それを強制するのは違うなと思った


体調がすぐれなかったり

気持ちが落ち込んでいたり

その日その日によって

テンションは違うものです


例えば体調がすぐれないとき

「強制的に」明るく元気に挨拶をする

これって気持ちいいのは挨拶された方だけ

一方で挨拶をする方は「しんどい」です


おかしくないですか?

これが挨拶の「目的」ですか?


禅語の原点に立ち返るのであれば

挨拶を交わすことで相手の状態を知ること

元気よく明るく挨拶をされたのならば

「今日も調子いいんだな」と相手を知る


でも逆に元気なく挨拶をされたとすれば


「あれ?どうしたのかな?」とか

「昨日何かあったのかな?」とか


挨拶をした人を気遣い心配をすること

挨拶の声で相手の状態を推し量ること

これが本来の挨拶だと思うのです

挨拶の本来の意味はこれだと思うのです


そしてその時ではなくあとからでも

「元気ないようだけど、 大丈夫?」

こうして相手を気にして声をかけること

相手が発した挨拶の声で察知し慮ること


これがコミュニケーションでしょ?

これこそが挨拶だと僕は思うのです


明るく元気に挨拶をする人がいる

また落ち着いて挨拶をする人もいる

毎日の挨拶でその人の「標準」を知る

それを元に相手の状態を推し量るのが挨拶


繰り返しますが「明るく元気に挨拶」

これに越したことはないし否定はしない

ただ「強制」は本来の挨拶ではない

大事なのは挨拶で相手を推し量り慮ること


「毎日元気に挨拶していますか?」


今日たまたま見かけたSNSの投稿

発信者は明るく活発でエネルギッシュ

でも「毎日はしんどい」と僕は思った

むしろ挨拶の「目的」ではないなと思った

(その方も毎日は難しいはずなんです)


どちらか一方が気持ちよくて

どちらか一方が無理してしんどい


これが本当の挨拶と言えるのだろうか?

コミュニケーションと言えるのだろうか?


本末転倒でしょ


大事なのは…


元気に明るく挨拶することではなく

挨拶でその日の相手の状態を知ること

色んな人がいると同時に

色んな気持ちや状態の人がいること


世の中は元気な人ばかりではない

決してこれを忘れないようにしたい


挨拶の原点に戻ろう


今日も読んでくれてありがとう

ほいじゃまた明日!