【映画レビュー】デンデラ | DJブースで死にたい。

DJブースで死にたい。

- I Would Die At The DJ Booth -

今日の映画;「デンデラ」
GYAO!配信、2020年4月9日まで

実は公開当時から観たかった一本なんだけど、当時の知り合いに「つまんないよ」と言われて躊躇してた作品。
今思う。他人の批評はアテにならない。根本的な思想や思惑や忖度は別として。

姥捨て山の伝説は、昔話を聞いてきた世代には浸透しているけど
「お婆さんたちは、そのまま死ぬの?苦しまずに?そんな訳無いよね?」
と、お祖母ちゃん子だった自分はトラウマになるほど悲しんだんですが、それを描いて1983年カンヌ国際映画祭でパルムドール賞を獲得した「楢山節考」の監督、今
村昌平の息子、天願大介が撮った”続編”とも言える作品、だそうです(「楢山節考」未見、カンヌから帰って来た主演の坂本スミ子が直後に大麻所持に逮捕された
報動の方が大きかったので記憶薄)。

本作では、齢70を迎えた斎藤カユ(浅丘ルリ子)(アイメイクぎりぎり) が息子(石橋凌)(ARB)の家から出されるシーンから始まる。
大雪の中、山向こうに棄てられたカユは、極楽浄土に逝けると信じてカラスにつつかれるままに眠る。
が、目覚めると炎の炊かれる小屋の中。
そこは棄てられた老女の集落で、拾われた石塚ホノ(白川和子)(昭和ポルノ女王)に導かれて向かうと、そこにはかつて村から葬られた集落の先駆者・三ツ星メイ(草
笛光子)(光子の窓)が鎮座していた…

それからカユの「なんであのまま死なせなかったんだ!極楽浄土に行ける筈だったのに!」という愚痴と批難が始まるも、皆の優しさに気持ちが解され和んでゆくが
、村で一番虐げられていた椎名マサリ(倍賞美津子)(猪木元嫁)(逆噴射家族)が、村への逆襲を誓うメイへの「ここを穏やかに守るべきだ」と諭す言葉に、心が揺らい
でゆく。
そんな中、仲の良かった黒井クラ(赤座美代子)(「女殺し屋 牝犬」)も寝たきりで匿われていると知り、邂逅の機会を得る。


作品をネットで検索すると、候補に「つまらない」と出て来る。
「そうなのか?」と思いつつ観てみたけど、つまらないシーンなど全く無い。
終わり方がソレなのだとしたら、これを雪山アクション映画だと捉え過ぎてたんだろうな。


これは、「母性映画」だ。


私はどう転んでもオッサンなので、エラい高飛車には全然語れないんだけど、カユはメイに対して『村を滅ぼすなら、我が子も殺すのか』と問いたシーンが肝になっ
ている。
カユの息子の下劣な悪行は集落の婆さん連中にも有名で(村社会ならではの伝播)、それでも自分を棄ててゆく前に振り返って手を合わせ拝んだ姿が忘れられない。
が、しかし自分をしきたりに沿わせる必要があったのか?

ちょっとバラすと、彼女らは「天災以外の大きな災難」に、数回遭う。
それに向かう姿は、男と変わりない。
しかし、そうは言っても老婆集団なので、歯向かうのは無理。
なのに立ち向かうのは、「天敵」への「理解」。

自分が女なら、
自分が育てた子供を
最期まで観たいだろう
最期まで看たいだろう
最期まで診たいだろう

迫る来る最後のカットと、それに付いた台詞には

驚く程の、母性を観た。

それは、
「復讐」であり
「復習」であり



「希望」だった。


そこには、人間の二次的成長があり、もしかしてカメラの視点的には全体的な復讐があったのかも知れない。

それを視覚的に切り取ってしまうのは勿体無い。

この作品は、

女そのものですよ。

偶像でも
仮想でも
幻想でも
架空でも

どう捉えてもいい

女。
母性。
女の塊。


そこに痺れて
底に沈みました


これを書いてる時期的にはテレ朝「やすらぎの刻~道」も終盤ですが、「お嬢」(浅丘ルリ子)がどうトチ狂うのか、主役の「先生」(石坂浩二)(元夫)(金田一)との
ヨロヨロな絡みもまた、期待してます。