チーッス!何気に届いたメルマガ読んでたら、めっちゃ良い話でしたので、早速ご紹介します!

 

 

出会った人はすべて、人生の教えを与えてくれる先生だと思おう。

 

たとえ、自分より年齢がずいぶん若い人の発言であろうと、子どもの発言であろうと、学ぶべきところはあるはずだ。

 

つまり、自分以外の人はみな大切な「先生」なのである。

 

 

私が医学生だったとき、新生児集中治療室を担当していたある看護師は、どんな人をも自分の「先生」にするという素晴らしい人だった。

 

その看護師は、病院に入院中の赤ちゃんをも先生にして、「どうすればいい看護ができるのかを、この赤ちゃんから大いに学べました」と感謝していたものである。

 

 

人に教えを請うのは決して自分の弱さにはならない。

 

むしろ素直に頭をたれることが、自己成長のカギなのである。

 

ガミガミと文句ばかり言ってくる人でさえ、「この人は私に忍耐の大切さを教えてくれているんだ」と思えば、その人に対して腹は立たないはずだ。

 

なにせ忍耐力のレッスンを無料でしてくれる先生なのだから。 

 

 

人の話を真剣に聞けなくなったら、あなたの心の広さはそこでストップしてしまったのだと思って間違いない。

 

何歳になっても成長を続けている人は、いつでも他人を自分の先生だと感じ、実際、素直に教えを請える人なのだ。

 

『不思議なくらい 心が強くなるヒント』三笠書房より

人は、「偉そう」になったとき、他人に頭を下げることができなくなる。 人に教えを乞うことができない、ということだ。 

 

「リバースメンタリング」という言葉がある。 

 

会社で、若手社員がメンター(指導者)として、先輩社員や上司に助言したり、指導したりすることをいう。 

 

これは、会社だけではなく、多くのコミュニティやリカレント教育の場で行われていることだ。 

 

ITや社会の変化は、想像を絶する早さで日々進んでいる。 変化が緩やかだった時代なら、先輩や年配者は若い者に、ただ自分の経験を伝えていればよかった。

 

しかし、今は違う。 年配者は若手に学ばなければ、時代の変化にあっというまに取り残されてしまうからだ。 「出会った人はすべて先生」という言葉を胸に刻みたい。

 

※以上、【人の心に灯をともす】のメルマガよりご紹介。

 

 

以前、JCの人とお話しする機会がありました。

 

年下の方だったんですが、常に上から目線で話をしてて、

 

「あなたに教えてあげよう・・・」

 

ってな風に学校の教師みたいに話してました。

 

内容はこちらの方がはるかに詳しい事だったんですが、真面目に話してるので止める事もせず、お話を聞いておりましたが、その時に心の中で思ったことがあります。

 

「自分もこんな風な偉そうな話し方をしてることはないだろうか・・・。間違ってもこの人のような話し方はやめよう」

 

って思いましたけど、つまりこの方も自分にとっての先生であり、しっかり学べたわけですね・・・。