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B級パラダイス

健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

今日も暑くて涼しい部屋にお篭り。映画を観ようとしたら、珍しくかみさんからリクエストがあり、これを取り出した。

さびしんぼう1985年)

監督・脚本・編集 : 大林宣彦 製作 : 小倉斉、山本久 プロデューサー : 森岡道夫、久里耕介、大林恭子 原作 : 山中恒 『なんだかへんて子』 脚本 : 剣持亘、内藤忠司 撮影監督 : 阪本善尚 衣裳 : 山田実 音楽監督 : 宮崎尚志 美術デザイン : 薩谷和夫 

出演 : 富田靖子、尾美としのり、藤田弓子、小林稔侍、佐藤允、岸部一徳、秋川リサ、入江若葉、大山大介、砂川真吾、林優枝、柿崎澄子、明日香尚、峰岸徹、根岸季衣、浦辺粂子、樹木希林、小林聡美


「人が人を恋うるとき、人は誰でもさびしんぼうになる」〜大林宣彦


4月に惜しくも亡くなってしまった大林宣彦監督。正直全ての映画を観ているわけではないが、あの80年代、所謂「尾道3部作」にはすっかりやられ、かみさんと尾道旅行まで行ったくらいだ。彼の自主映画の匂いが色濃い、ノスタルジックで切ない映画たちが大好きだった。


8ミリ映画を撮っていた身としては涙無くして見れない「転校生」。同じタイムリーパーものの「ある日どこかで」の記事で少し書いたが、あの日あの時の原田知世の魅力と、物語の切なさに悶絶した「時をかける少女」。この宝物のような2作に続く本作は、大林監督の故郷尾道市を舞台に、ショパンの「別れの曲」に彩られた切ない青春ファンタジーだ。


だが、物語は前2作と比べるとかなり歪だ。

だけど切ない。悔しいがこれが映画のマジック。

(以下ネタバレ有りなんで申し訳ない!)


寺の住職の一人息子ヒロキはカメラ好きの高校2年生。母親からは事あるごとに「勉強しなさい」と言われ、さえない毎日を送っている。

彼の唯一楽しみは隣の女子校で放課後になるとショパンの『別れの曲』を弾く少女の姿をファインダー越しで見つめること。

彼女を勝手にさびしんぼうと呼んでいたヒロキの前に、ある日、ピエロのようなメイクにダブダブのオーバーオールの謎の女の子が現れる。

さびしんぼうと名乗るその女の子は神出鬼没で、ヒロキ一家をかき乱すが


ヒロキと友人たちとの悪ふざけなどの日常に挟み込まれるコメディチックなシークエンスが35年前の初見の時も「うーん」と思ったのだが、今回もまただったのだなあ(苦笑)。


秋川リサなんてほとんど顔も映らず「パンツ見せ要員」だし(合計3回は多すぎる())、大林作品常連の入江若葉のPTA会長もやり過ぎ()

大林監督ならではのサービスなんだろうが、どうもこのあたりの収まりが悪いのだ。

それを除けば、本作もまた切なさに彩られたファンタジーであることは間違い無いのだが。


「転校生」も「時をかける少女」も主人公たちの「恋」は成就しない。

「さよなら、俺」「さよなら、私」と呼び合い、入れ替わった互いを慈しみながらも別れた「転校生」。うう、あのラストは想い出すだけで今でも切ないぞ。

そして記憶を改竄されながらも、時の彼方に去ったその人を一途に想う「時をかける少女」。


同じように本作でもヒロキが見つめていたファインダー越しの美少女、橘百合子とは良い雰囲気になってもやんわりと拒絶されてしまう。

まあ、これはまだいい。学校にいるところとは言え、ずーっと覗かれていたなんて、見方を変えれば今ならストーカー的で気持ち悪いと思われても仕方ないし()

まあ、百合子はヒロキを決して嫌っていたわけじゃないのはわかる。ピアニストを目指したかったが学校で弾くくらいしかできない。母親の形見の着物を着て、魚の買い物を減らし病弱な父親がいる。家まで送ると言うヒロキに対して、恥ずかしいからと断る。恐らく大きなお寺のヒロキとの「生活の差」を感じていたのだと思われるが

「あなたが好きでいてくれた、こちら側の顔だけ見て」と言い残し去っていくなんて、美しすぎて男の願望通りでしかないのも認めるけど、それでも去られる方は切ないのだ。


当時の俺のような多くのボンクラは同じような経験が多いだろう。「凄いチャンス」があっても自分が悪くなくても、笑ってしまうくらいいつも手の隙間から「幸せ」はすり抜けてしまうものだった。だから当時のヒロキへのシンパシーは今まで以上だったものだ。


富田靖子が演じているから当然だが、物静かな百合子とそっくりだが対照的なさびしんぼうもまた切ない。


百合子のところから帰り、遅くなるヒロキを待つその姿。

水に濡れたら消えてしまうのに、最後のお別れを言うために土砂降りの中、びしょ濡れで大好きなヒロキを待つさびしんぼうのいじらしさ。

本当に切ない泣き笑い。

流れる「別れの曲」に胸をかきむしられる。

どんなに邪険にしてもついてくる奇妙な子。大好きだよと絞り出すように囁いて、まるで黒い涙のようにメイクが落ちて、思わず抱きしめた瞬間、彼女は消えてしまう。


切ない。切ないのだが収まりが悪い最大なのがこのさびしんぼうその人なのだ。

謎の女の子さびしんぼう”の正体は若い頃のヒロキの母親(藤田弓子)。

これが唯一にして最大の歪さと言ってもいい。


どんなにヒロキが好かれても、相手がいくら若い時の幻影とはいえ母親ではねえ。

頭が良くてショパンの別れの曲をひく「ヒロキ」が、16歳当時の彼女=“さびしんぼう”の理想の男性。

で、結果的に息子にそれを重ねているってのが、ちょっと座りが悪いのだ()


そんな名前を息子につけたことを知ってか知らずか「かあさんの全部を引き受けたから結婚した」「お前も人を好きになれ」と言うヒロキの父親の小林稔侍は物凄くかっこいいんだけど。

まあさびしんぼうを通じて「得体の知れない大人の代表 親父殿」(なんせ前述の台詞がある風呂のシーン以外はお経しか上げていない)と「美しい潤いの欠片もない たつ子殿」と冒頭で評していた、両親の若い頃や「想い」を知ることにはなるのだ。

35年前はヒロキの立場で観ていたけど、もう、俺もすっかり小林稔侍と藤田弓子の立場なんだよなあ。

今見ると2人もそうだが、いい加減な教師の岸部一徳もみんな若い若い。そりゃ尾美としのりが高校生なんだから当たり前か(笑)。


それでも最近のイケメンしか主役じゃない凡百の青春映画より、尾美としのりと言う冴えない男を、俺たちがシンパシーを持ちやすい彼を主人公に据えてくれた大林映画はやはり宝物だったと思うのだ。


大林監督その人の分身のように冴えない役を演じてくれた彼が、今でも活躍してくれているのは友人が元気でいるように本当に嬉しい。


ラスト、親父殿の跡を継いで住職になったヒロキの隣には百合子さんによく似た面影の女性がいる。

二人は結ばれなかったはずだが、ヒロキが彼女に送ったオルゴールが写るのは…?


そんな想像力の余地を残してくれる大林監督の「A MOVIE」が大好きだった。


この「さびしんぼう」は当時しばらく別れていたかみさんと復活して半年ぶりに観た映画だったことを今想い出したぞ(笑)。

大林監督最後の新作も久々劇場で観ようかねえ。



明日も休みなのでのほほんと過ごす日曜はほんと幸せ。しかし暑くてかなわんので部屋でお篭り。まだ観ていなかったこのコメディを鑑賞。

宇宙人ポール(2011年) Paul

監督 : グレッグ・モットーラ 製作 : ニラ・パーク、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー 製作総指揮 : ライザ・チェイシン、デブラ・ヘイワード、ナターシャ・ワートン、ロバート・グラフ 脚本 : サイモン・ペッグ、ニック・フロスト 撮影 : ローレンス・シャー プロダクションデザイン : ジェファーソン・セイジ 編集 : クリス・ディケンズ 音楽 : デヴィッド・アーノルド

出演 : サイモン・ペッグ、ニック・フロスト、ジェイソン・ベイトマン、クリステン・ウィグ、ビル・ヘイダー、ブライス・ダナー、ジョン・キャロル・リンチ、シガーニー・ウィーヴァー、ミア・ストールラード、ジェフリー・タンバー、デヴィッド・ハウス、ジェーン・リンチ、デヴィッド・ケックナー、ジェシー・プレモンス、ジョー・ロー・トゥルリオ  声の出演 : セス・ローゲン


エドガー・ライト監督の「ショーン・オブ・ザ・デッド」が大のお気に入りで、続く同監督とサイモン・ペッグ&ニック・フロストのダメコンビ作は「ホット・ファズ」も観たけどレビューしてなかった!()。同じく「ワールド・エンド」も購入したままで未見だが、てっきり本作も同じ監督作かと思ったら違う監督だった。


でも脚本が主演の2人なのでテイストはそのまんま。「ショーン〜」でゾンビ映画、「ホット・ファズ」ではポリスアクション映画へのオマージュがいっぱいだったが、本作は「囚われた宇宙人の帰還を助ける」という基本ストーリーはまんま「E.T.」。そこに様々なSF映画のオマージュ要素もぶっ込んで笑わせてくれる一本だった。

何しろ助ける相手=ポールは典型的グレイタイプで、純真で弱い「E.T.」とは全く違うのに加え、なんせ60年前から軍に捕まっていたので英語もペラペラ、人類の、と言うかアメリカ文化も理解していて、ある意味下品でお喋りなおっさんのような無茶苦茶人間臭い宇宙人という設定がもう花丸でしたな()

グレアム(サイモン・ペッグ)はイラストレーター、クライブ(ニック・フロスト)はSF小説家。イギリスのSFオタクの2人が、初めてはるばるアメリカはサンディエゴで開催されるコミコンの会場にやってきて大はしゃぎしている冒頭。ほんと2人が嬉しそうなんだ()

翌日、二人はキャンピングカーを借りてUFOのゆかりの聖地巡りの旅に出るってのがほんと微笑ましくていい()

そんなイギリス人(エイリアン=異国人)の2人が偶然出くわした文字通りエイリアンのポール。人間の言葉を話し、陽気なポールに気を許したグレアムは、動揺しながらも彼の頼みを聞き入れ、彼の目指す地までアメリカ中西部を旅するロードムービー風の作りが良かったなあ。


ポールを追う政府関係者のゾイルと新人2名の検問も逃れてキャンピングカー用の車中泊施設を見つけ一泊。

ここを経営するモーゼは未だに進化論を否定するキリスト教原理主義者。その娘ルースにポールを見られたことで止む無く連れて行ってしまうのだが、娘を誘拐されたと思っているルースの父もまた連中を追っかけてくる。


グレアムとクライブの仲の良さを「ゲイ」と決めつける地元の奴とか、このキリスト教原理主義者とか、本当に今でもアメリカの一部の連中はこの通りってのが、ある意味怖いのだが、その辺を笑い飛ばすところなど、サイモン&ニックのイギリス風の皮肉が効いていて面白かったな。

段々と追いかけてくる人数が増えていくのもお約束の展開だが、なんせ宇宙人なんで息を止めると透明になったりなどの特殊能力がありそれで切り抜けていくのが楽しいのだ()

ポールには傷や死んだものを蘇生させる能力があり、死んだ鳥を生き返らせグレアム達が「凄え!奇跡だ」と喜んでいると、ポールはその鳥をいきなり食っちまうのは笑ったなあ。「死んだ鳥は食えんだろ」って()

その能力でルースが幼い頃傷めた左眼も正常に戻したりと、宇宙人であるポールの存在を認めず「悪魔」呼ばわりしていたルースもポールの能力を実感し、また彼女の頭に手を当て自分の知識と経験をテレパシーで送り込んだりで、彼女はそれまでの信仰一辺倒から「目覚める」のだが、それがやたら汚い言葉を言うようになるってのもいいやね()


こうした追いつ追われつのストーリーの合間に、様々なオマージュやパロディが入るからほんと飽きさせない。


ポールに出会う前に聖地巡りをしている2人が「宇宙大作戦(スタートレックテレビ版)」でカーク船長が緑色の異星人ゴーンと戦う「怪獣ゴーンとの対決」ごっこを同じような岩場でマスクをかぶって再現している姿は傑作だった。

イヤミな人間を相手にした時、「スター・トレック」に登場するクリンゴン星人の言葉でブツブツと文句を言ったりと、愛すべきオタクの姿を全肯定しているのがほんと素晴らしくて笑わせてくれる()


ポールは60年もの間、自分の持っている様々な知識や技術を政府に提供していたのだが、その中で「E.T.」のネタをスピルバーグに提供していたとかの大ボラも楽しかったな。電話の声はなんと本物のスピルバーグだったし!(笑)。

他にも連中が立ち寄り、ピンチになる途中の酒場でバンドが演奏していたのがスターウォーズの酒場のカンティーナでの曲だったりと、さりげなくネタをぶっ込んでくれていて、いちいち嬉しくなってしまうのだ()

政府にとって用済みになり、命の危機を察して逃げたポールだが、宇宙の仲間との合流地点に着く前にどうしても立ち寄りたいと、60年前にポールの宇宙船が墜落した時、怪我をしたポールを助け、政府に連れて行かれるまで世話をしてくれたタラとの再会を望むところなど、笑わせるのみならず、グッとくるシーンも挟んでのクライマックス、最後に向かう地は「未知との遭遇」のデビルズタワーそのもの。

最後に出てくる「ビッグガイ」は前にレビューした「キャビン」と一緒()。出落ちの如くあの方が立ち塞がり消えるのが笑えましたなあ。

自分の知らない細かいオマージュギャグはまだまだありそうだったが、とにかく愛しいコメディだった。

ポールはもちろんCGだが、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のロケット同様、CGであることを忘れる芸達者ぶり。

サイモン&ニックの間抜けさ加減と共に彼らの纏う優しさがうまく活かされていて、2人及びルースやタラらとポールの友情ほんと気持ちよく、笑わせてもらった一本だった。


いいよね〜。力のない、正直アホな連中が「想い」だけで何かをやり遂げる話はほんと好きだ。

オーソドックスな良きストーリーに浸って笑えること請け合い。未見の方は是非!

今日は映画三昧の予定があまりの暑さにクーラーのある部屋で買ってきた雑誌や録画していたドラマなど観てたらうつらうつら。

昼寝の原因は朝方まで観ていた、原題通りのタイトルもカッコいい、このマカロニウエスタンのせい。ご紹介しよう。

拳銃のバラード (1967年)

BALLATA PER UN PISTOLERO

BALLAD FOR A GUNFIGHTER


監督・脚本 : アルフィオ・カルタビアーノ 撮影 : グリエルモ・マンコーリ 音楽: マルチェロ・ジョンビーニ 

出演 : アントニー・ギドラ、アンジェロ・インファンティ、アル・ノートン(アルフィオ・カルタビアーノ)、アントニー・フリーマン(マリオ・ノベリ)、ダン・メイ、モニカ・トイバー 


冒頭、悪の兄弟の様子を見せた後、疾走する馬のシルエットから深紅のメインタイトルのいかにもマカロニ!のタイトルバックにもう、ニンマリ。

そのバックに流れるジョンビーニのメロディだけで、マカロニ魂がゴゴゴと燃える良き導入!()

中年ガンマンのクッドと若き賞金稼ぎのニグロスが協力しながら、大金を強奪したベドージャとキンキの山賊兄弟を追うシンプルなストーリー。

馴染みの俳優はいないがピリッとしたガンファイトと、テンポの良いストーリー運びはなかなか小気味良かった。

別の廉価版DVDでジャケットに大きく出ていた上の若いガンマンのニグロスがアントニー・ギドラだと思っていたが(なんかちょっとジェフ・ゴールドブラムに似た彼が「ギドラ」って名前っぽく見えたのだ())こちらを演じるのはアンジェロ・インファンティ。「ゴッドファーザー」にファブリツィオ役で出ていたりするイタリア俳優だ。↓この写真ね

で、主役のクッドはそのままビリングが最初のアントニー・ギドラが演じている。彼はユーゴ出身だそうで、記憶する限り他のマカロニでは見たことがない。

本作は製作がイタリアとモナコ(!)の合作、初のユーゴスラビアロケだったそうで、スペインロケの多かったマカロニにフェルナンド・サンチョ他スペイン俳優が大挙して出たような感じの出演だったのかな。


最初に書いたようにシンプルながら、黒づくめのニグラス(テンガロンハットにはバンド代わりに1ドル銀貨が!)と、皮のコートを羽織ったクッド2人が魅せるスタイリッシュなガンプレイが、まずカッコいいのだ。


初老のガンマンと若き賞金稼ぎというと、嫌でも「夕陽のガンマン」のリー・ヴァン・クリーフのモーティマー大佐と、イーストウッドのモンコを思い出してしまうのだが、本作はあそこまで出し抜いたりはしない()

「夕陽のガンマン」で互いの帽子を撃ち合うように、本作でもロウソクの灯りを鮮やかなファニングで消すニグロスに対し、クッドが灯りの留め具を撃ち、下がってくる(=動く)ロウソクを同じように早撃ちしてみせる対決など、さりげなく2人の腕を見せるシーンがあるのがいいのだ。


あと、マカロニでは珍しく相手の撃ってる弾の数を数えたり、きちんとリロードするシーンがあるのが、リアルでなくともリアリティが好きな俺としては非常に嬉しい描写だった。

彼らが追う山賊兄のベドージャは凶悪で憎々しさに溢れ、手下も簡単に裏切るしたたかさもあるが、弟の死を嘆く短いショットも含め、なかなか印象深くてグッド。

ライフルを片手撃ちするガンプレイも堂に入っており、主人公2人の敵として充分な悪辣っぷりだった。

で、なんとまあベドージャを演ずるアル・ノートンは監督・脚本のアルフィオ・カルタビアーノその人だそうで。

本作が初監督ながら、スタントマン出身故か、アクションシーンはキレも良く、全体としては決して唸るほど上手くはないが、テンポはいいし、破綻している話も多いマカロニの中ではよくまとまっている方。

難を言えばマカロニに必ずいる綺麗どころの女優さんが今ひとつだったことと、脚本で言えば、主役2人に協力する爆破屋はいいキャラだが、そんなに必要なかったのではないか?()とか、彼に加勢してロトを黙らせる理由とその後の酒場の喧嘩の意味が不明など、弱点はあるのだな(笑)。

だが自らが熱演する凶悪な敵役が最初から最後まで憎々しく「倒されるべき相手」としてクローズアップされ、クッドが「賞金抜きでも追う相手」であるその理由がクライマックスで明かされる作劇は大したものだった。

まあこの辺も「夕陽のガンマン」の影響下にあるのは間違い無いのだけどね()

とにかく2人のキビキビしたアクションが気持ちよくそんなことも忘れて魅入ったのは確かなのだ。

こんな背面撃ちも含めほんと文句なし!

で、「パクってるじゃん」と言われるのを避けるためか(笑)、主役2人の関係性が明かされるラストもビックリ。2人の歳の差を考えるとちょっと「え?」という部分もあるものの、それでも良いスパイスになっていた。

ちなみに日本劇場公開時に、仲代達矢が主題歌を歌う日本版レコードが発売されたことも有名だそうだ(笑)。「野獣暁に死す」に出ていたとは言え、なんでまたこの映画だったのだろう?(笑)。

そんなわけで小粒なB級マカロニながら大いにお勧めできる本作。良かったら是非!

ではタイトルバックのカッコいいメロディをどーぞ!

感染した役員の接触者のうち、保健所から指定を受けてPCR検査を受けることになった社内の一人は陰性結果。
その他の接触者も自主的に病院で検査を受け、一昨日までに陰性結果がでて皆でほっとした。
加えて一昨日から一応社内全ての者も唾液を提出する簡易検査を受けることになり、俺も昨日は出社して出してきた。
一昨日提出した連中も全て陰性だったから俺も大丈夫だと思いたい。

保健所指定を受けた1名は陰性とは言え2週間は自宅待機で経過観察だ。ほんといい迷惑だよな。
こちらも火曜以降は訪問して打ち合わせだったところとはオンラインでミーティングしたり、事情を話して延期してもらったりしたが、会社の対外的な対応も遅くてみんなイライラ。
家族が出社を控えたりと影響はやはり拡大している。

なのに最初は会社として対外的なリリースを出すつもりなかったんだものなあ。隠してどうするよ。しっかり公表してクライアントや協力会社にきちんとした「事実」と「対応」を示すことに何を躊躇するのか意味がわかんねえ。ほんと情けない会社だ。

前の記事でも書いたが感染してしまうことは罪ではない。だけだ今回は感染の仕方が本当にしょーもない。社員に本人から謝罪メール来ていたけど、多分本人が思っているより、その行為を皆が軽蔑していること、まだわかっててないよな。

未だに最前線で這いつくばって泥に塗れている身としては、今の俺の年齢の遥か前から今の立場で、ふんぞり返って上からしか物を見てないこの役員には言いたいことはあったのだ。あんたが見えてない光景をこちとらいっぱい見ているんだ。

飲みだの何だので交際費を使いまくっていることや、己の立場を利用して色々都合の良いことばかりしていたことに、下の連中が何も気づいていないとでも思っていたのかね? 

この役員、多分他の社員が同じような軽率な行為で感染したらボロクソ言っただろう。恐らく会社にいられないくらいの勢いで。それだけのことを自分がしでかしたのに、まだその思いに至っていないのが透けてみえるメールもあり、こちらの思いを、色んな状況をまとめて、突きつける動きもあるようだ。

未だにマスクもしないで用もないのにウロウロ営業所に降りてくるお飾りの代表取締役もだ。いっそこいつこそ濃厚接触者になればいいと思っていたのに残念ながらならなかった(笑)。

俺は本当にこいつが嫌いで、人として軽蔑しているのみならず、心から早く死んで欲しいと思っているのだが(何の躊躇もなく言い切れる(笑))、オーナー企業故に「会社」というものが長く存続しながら、そのトップ周辺がずっと変わらないことでいつも間にか恒常化している「おかしなこと」、下の連中が皆が感じていた「変化する必要性」が、今回の件でやっと言語化されていくのではないかとも思っている。

愛社精神など全くもっていないが、共に戦う戦友たちの悲しい顔は見たくないし、若い連中が希望を持ち、胸を張れる会社になって欲しいとは思っている。

これからどうなっていくのか。まずは健康確保をしながら、ちょうどお盆を挟んで状況も落ち着きながらも、この「うねり」がどうなっていくのか。何となく「会社が変わる」最初で最後のチャンスのような気がしているのだ。

なんて珍しくちょっと真面目なことを考えつつも、この三連休はしばし忘れて、ゆっくり映画三昧としよう(笑)


昨日は思いもよらないテレワーク。どうやら例の陽性者と一番席が近い別の社員が保健所から「濃厚接触者」の疑いということでPCR検査を受ける他は大丈夫そうな様子。それでも、明日もテレワークになる予定。

出社しても客先訪問自粛なら家で仕事してても変わらないか。娘も仕事が休みで家にいたので「なんだか大変だねえ」と同情的。本当は適当に仕事切り上げて映画でも観てやろうかと思ったのに朝からしっかり仕事してましたな(苦笑)。

 

そういえばこの間の土曜夜、娘の部屋に出現したでっかい蜘蛛を退治してやったせいか、酒飲みながら観ようとしていた映画に娘が付き合ってくれた。

娘に自分が観るつもりだった映画の候補を挙げたんだが「こっちが洞窟に潜る「ディセント」、こっちは海に潜る・・・」と解説しようとしたら「どっちも潜るんかい!」と相変わらずきついツッコミを受け、時間の短いこちらをチョイスしたのでした(笑)

海底47m 2017年)

47 METERS DOWN 

 

監督・脚本 : ヨハネス・ロバーツ 製作 : ジェームズ・ハリス、マーク・レーン 製作総指揮 : ウェイン・マーク・ゴッドフリー、ロバート・ジョーンズ、ウィル・クラーク、アンディ・メイソン、マイク・ルナゴール、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、イアン・エイブラハムズ、サイモン・ルイス 脚本 : アーネスト・リエラ 撮影 : マーク・シルク  プロダクションデザイン : デヴィッド・ブライアン 編集 : マーティン・ブリンクラー 音楽 : トムアンドアンディ

出演 : クレア・ホルト、マンディ・ムーア、サンティアゴ・セグーラ、ヤニ・ゲルマン、マシュー・モディーン

 

「あれ?これ今公開しているのじゃない?」

「いや、その前作。公開作の予習で観るのもいいだろ?」「いや、観る予定ないし!」

と冷たい娘の反応ではあったが、もうね、宣伝に偽りなし。上のポスター通りのことが起こります。以上!(笑)。

 

メキシコのリゾート地で過ごす彼氏にフラれ何かとグズグズしている姉と積極的な妹の姉妹。

姉を元気づけようと、酒場で知り合った現地の男たちに誘われ、サメを間近で見られるケージダイヴィングを体験することに。

 

翌日、海に向かう面々。この船やケージのボロさ加減がある意味分かりやすい伏線ですな(笑)。

因みに船長がなんとあのマシュー・モディーンなんだが、無駄なキャスティングと言うか、全然彼である必要がないのが凄かったりする(笑)。

水中5メートルのところで野生のサメのウォッチング。正直自分もやってみたい(笑)。

だが楽しかったのはほんの一瞬。ワイヤーが切れてさあ大変。ケージに閉じ込められたまま、あれ~と水深47mの海底まで落下してしまう。

何か47mって「深海ってほどじゃないか」と思うけど「おお、ウルトラマンよりちょっと深くて、昔のゴジラよりちょっと浅いくらいか」とつぶやく俺に「超大型巨人くらいっしょ?」という娘。親子そろってなんという換算してんだか(笑)。いずれにせよかなり深いということは理解できたぞ。

 

で、周囲を泳ぎ回るサメの恐怖に加え、そのサメから身を守る反面、脱出を妨げることになるケージ、救助を求めたくとも深すぎての通信遮断、何より迫りくる酸素欠乏と深海ゆえの潜水病・窒素酔いといった危機などなど「どれか一つで、もう気持ち的に死ぬわ」とダイビング経験のない娘もビビりまくる絶体絶命事象のつるべ打ち!(笑)

この極限状況の中で姉妹は無事脱出できるんかいな?という、1アイデアを複数のハードルでスリリングに描いてくれて、サクサク見れる良きサスペンス・スリラーでしたな。

 

まあ自分も何かコケると、次から次へと小さな不幸が雪崩の如く押し寄せるなんてのを何度も経験しているけど(笑)、それと比べるとどれも命の危険に直結するこれは嫌だよなあ。

救助を求めたくとも深すぎて通信が届かないってのが効いていて、通信が届くところまで安全圏のケージを出ていかねばならないってのがまずスリリング。

ケージを出るのも、隙間を通るのに一度マスクを外したりと一苦労なのが文字通り息詰まりますな。

積極的な妹が、姉を落ち着かせながら隙間から外へ出て数メートル上昇し、何とか通信がつながり生存を知らせと助けを求めることができて一安心。

しかし深いから暗くて視界が悪い。自分たちを乗せた船のエンジン音だけが遠ざかるのがわかる絶望。

で、姉はダイビング素人だからワーワーキャーキャーしていたらボンベの酸素がどんどん無くなっちまうが痛いところ。

 

ただ、八方塞がりながらマシュー・モディーンの船長は決して悪い男ではなく、つながった無線で励まし、部下のハビエルに予備のワイヤー持たせて助けに行かせるが、これは案の定の結果。

 

それでも一度は助かるかと思って安心するも、さらに事態が悪化。

「尺がまだあるなあと思ったらやっぱりね!」と容赦なくツッコミいれる娘も怖い(笑)。


迫りくる酸素不足にボンベを落としてくれるのはいいが、それを手に入れるのも一苦労。
急いで上がれば潜水病になっちゃうし、ボヤボヤしていたらサメが来るし。
 
視界が悪いから、暗闇から突然迫ってくるサメには娘ともども何度もビックリ。ここは完全ホラー演出でしたな。
加えて何度も怪我をしてしまう2人。
怪我するたびに、もわ~と血が広がり「サメがきまっせフラッグ」が立つのもヒヤヒヤで。

妹に代わってパニックだった姉が奮起するものの…という決死の脱出劇の行方は皆さん確かめてみてくださいな(笑)

水着のおねーちゃんを楽しむようなお色気シーンは皆無ながら(笑)、酒飲みながら観るには充分そこそこ楽しめた本作、公開中の続編?も期待できる良きスリラーでありました!

社内でコロナPCR検査陽性者が出たので今日は急遽テレワークになる。

どうも先週カラオケバーかなんかに行ったらしくそこで感染った模様。
こっちはアポを取っていた客先に行けなくなったりバタバタなのに。

仕事で出張などで感染ったのならともかく、夜の飲みで「いや、ここはやめておこう」と判断すれば行かずに済んだ店のはず。これだけ危険が叫ばれているのに何でそこに行くかなあ。

はっきり言って、役員のくせに馬鹿じゃねーの?仕事もしてないくせに何やってんだよ。
以前から「自分さえ良ければ」タイプだったが、今回は本当に自覚の無さに呆れる。状況の報告連絡は来るが謝罪の言葉は誰も聞いていない模様。まあそんな人間なんだな。

社内でマスクもあまりしてなかったから周囲の席の連中は戦々恐々だ。
幸い自分は彼とは濃厚接触はないし、保健所の判断待ちだし、どうやらクラスタ化などはない見込みとは言え、みんな家族もいるし、俺なんて年老いた両親も同居している。もしものことがあったらどーしてくれんだよ、と思う。

コロナ感染者を差別するつもりはないが、無自覚に危険な行為をしてかかった奴には、正直全く同情しないし、いっそ重症化して己の軽率な行為の反省でもすればいいと思ってしまう心の狭い俺(笑)。

まあ文句言っても始まらないが、報道の中の話がこんなに近くに迫ったことには、恐怖した。

本当にいつ誰が感染してもおかしくない状況。
皆さんもどうか気をつけて。
そして油断せず最大限「かからない努力」と共に「万が一感染しても広げない努力」も続けていきましょね。



梅雨も明けて暑くなった週末。久々に男臭いアクションが観たくなり取り出したのがこれ。
SPL/狼よ静かに死ね 2005年)

殺破狼  SPL: Sha Po Lang

Kill Zone   SPL: Kill Zone


監督・脚本 : ウィルソン・イップ(葉偉信) アクション監督 : ドニー・イェン スタントコーディネーター : 谷垣健治 製作 : カール・チャン 製作総指揮 : チャン・ターチー、パコ・ウォン 脚本 : セット・カムイェン、ン・ワイラン 撮影 : ラム・ワーチュン、チェン・マンポー 編集 : チュン・カーファイ 音楽 : チャン・クォンウィン、ケン・チャン

出演 : ドニー・イェン、サモ・ハン、サイモン・ヤム、ウー・ジン、リウ・カイチー、ダニー・サマー、ケン・チャン、

ティミー・ハン、谷垣健治


原題の「殺破狼」は「シャー・ポー・ラン(Sha Po Lang)」と読み、中国の占星術において、吉凶ともに人生に極端な影響を与える凶星と呼ばれる3つの星すなわち、七殺星・破軍星・貪狼星のことだそうだ。

これらの頭文字である「SPL」はやはりわかりづらいのか英語タイトルは「Kill Zone 」=「戦いで多くの死者が出た地域」。まさにタイトル通りの殺伐とした映画だった。


同じウィルソン・イップ監督、ドニー主演のコンビの大好きな「導火線 フラッシュポイント」(←レビューはこちら)

が文句なしの熱い闘い大盤振る舞いの激アツアクションだったのに対し、この「SPL」はどちらかというとジョニー・トーのドラマのように、男たちの絆と共に救いのない哀しい結末が待っている、苦いノアールアクションだった。


まあ同じコンビの「イップマン」シリーズがアクションシーンもさることながら、ドラマにも見応えあるのは確かで、そのバランスも毎回非常に良いのだが、何せ本作はイップ監督とドニーの最初のコンビ作。正直言ってそのバランスはまだ今ひとつだったかな。

彼らのコンビ作を遡って観る形になってしまったが、順番が悪かったかなあ、と思うくらいだが、バランスは悪いもののハードボイルドなドラマには引き込まれたのもこれまた確かだった。


1994年香港。裏社会のドン、ポー(サモ・ハン)の逮捕に執念を燃やすチャン刑事(サイモン・ヤム)は、ついにポーの犯罪を立証する重要証人を得るが、護送中に車に突っ込まれポーの手下ジェット(ウー・ジン)に瀕死の証人を刺殺される。証人を失い、ポーは証拠不十分で釈放される。

3年後、チャン刑事は退職の日が迫っている。彼は3年前に暗殺された証人の娘を養子縁組をして育てているが、チャン自身も頭に悪性腫瘍があることがわかり重病で余命わずかとなっての退職なのだ。

ポーに憎しみに近い感情で逮捕を狙うサイモン・ヤムと部下の3人の刑事のチームの描写はなかなかハード。

反面4人が娘と遊ぶ海辺のシーンなど、ちょっとジョニー・トーっぽさを感じたりして。

チャンが率いていた捜査チームは後任のマー刑事(ドニー・イェン)を迎えることになる。彼は凶悪犯を素手で殴り廃人にしてしまった過去を持つ札付きの刑事。思えば「導火線」でも同じく「武闘派のマー刑事」だったな()


チャンの引退前にポーを追い詰めようとする面々だったが、そこに3年前に潜入捜査に送り込んだ同僚が死体となって見つかる。

チャン刑事とその部下たちはポー逮捕に焦るあまり、直接の殺害者を亡き者にして、罪をポーに押し付ける証拠の捏造など次第に暴走していく。そんなチームの行動に、マー刑事は戸惑いを見せるのだが

おお、谷垣健治が下手人のチンピラ役だ!


目的のために手段を選ばず、どんどん暴走するチャンのチーム。対するサモ・ハンのポーが裏社会のドンというだけで具体的にどんな汚い仕事をしているのか説明はあまりなく、保身に手段を選ばない冒頭でその悪辣さはわかるものの、自身も子供が流産をし、3年後はやっと授かった子供と妻を心から愛している描写の方が目を引く。

ポー逮捕のために証拠捏造も厭わないチャンだが、部下たちはそれに追従するのみならず、ガサ入れの際にポーたちの金を横領し、チャンと幼女のための資金にしようとしていたりする。


どちらも悪いことをしながら良いことをし、良いことをしながらも、悪いことをしている。

「やり過ぎ」なのはわかっているが止まらない。

対決するチャンとポーのドラマが悪くないだけに、ドニーの存在、及び彼が引き受ける格闘シーンとのバランスが、ちょっと座りが悪いのが難点だ。


だがクライマックスに向け物語は加速する。

証拠が捏造されたことがわかり釈放されるポー。逆にチャンは追われる身となる。


その日は父の日。ポーもそうだが、チャンのみならずその部下たちも誰かの父であり息子だった。

その部下たちがマーの目の前でポーの手下ジェットの手で次々と亡き者とされる。



落とし前をつけに行くチャン。チャンの後任としてポーのやり口に怒りを募らせるマー。


ここからはマー対ジェット、マー対ポー、すなわちドニー対ウー・ジンと「イップマン」に先駆けて実現していたドニー対サモ・ハンの格闘シーンが続くのだがこれまた殺伐としていてね。

ドニー対ウー・ジンの特殊警棒対ナイフ(と言うよりドスだな)は速い・怖い・痛いの三拍子揃った凄まじくスリリングな闘いとなる。

もちろんコレオグラフで手順が決まっているのだろうが、正直、得物無しでたっぷりカンフーのみでの闘いも観たかったけど、本当に殺し合っているとしか見えない迫力に免じて良しとしたい。


そしてドニー対サモ・ハン戦!

カンフー戦の後は「導火線」で大きく取り入れられていた「総合格闘技戦」の試作とも言える、カンフーに投げや関節が目立つファイトシーンが連続でこれまたご馳走だった。

何だかやられているシーンの写真ばかりだが(笑)サモ・ハンまだまだ身体動いてて尊敬するわ。


もちろんこれらのファイトシーンが目当てで購入した本作だが、アクションは短め。それでも谷垣健治らと作り上げられた、当時としては「カンフー」の枠を破りつつあった試みはやはり興奮する。


とは言え、ラストのビックリな展開も含め、誰もが幸せにならない「苦いドラマ」として記憶したくなる一本だ。

無茶な展開が多いことも認めるが、それでも尚、破滅の道に皆が走り出す、「イップマン」や「導火線」とも違う、ズシリとした重さが見応えがあった一作だった。

「殺破狼」の題字は、達筆として知られる香港の人気俳優アンディ・ラウによるものだそうだ。


英題「Kill Zone 」そのものの物語なれど、ここは「殺破狼」の文字がやはり似合う。「狼よ静かに死ね」という邦題のありがちなサブタイトルも好み。

このシリーズ、あと2作も追いかけなくては!(笑)


意図したわけではないのだが、このところ地獄だの血だのデスなど殺伐としたワードがタイトルに入る映画の記事ばかり書いていて、また今まで以上にグロいキャプチャーなど調子に乗って掲載していたのだが、こんな時に限ってアクセスがやたら増えてかつてない数字になっているんで恥ずかしいったらありゃしない(笑)。


まあ優しい出来事や心が温かくなる記事を書くのも少ないのも事実だが、せめて普通の映画とか、悪くてもマカロニ・ウエスタンの時にアクセス増えて欲しかったぞ(笑)。
よりによってこの血みどろ映画群の時にいらっしゃった方が「なんなんだこいつは」と思われているんじゃないかと、気の小さいおっさんとしてはちょっとアワアワしていたのでした(笑)。

そんな本日、たまたま目にしたサイトから、この映画を想いだしたので口直しに書かせていただきます(笑)。

小さな恋のメロディ (1971年)
MELODY
監督 : ワリス・フセイン 製作 : デヴィッド・パットナム、デヴィッド・ヘミングス 脚本 : アラン・パーカー 撮影 : ピーター・サシツキー 音楽 : ザ・ビー・ジーズ
出演 :マーク・レスター、ジャック・ワイルド、トレイシー・ハイド、シーラ・スティーフェル、ジェームズ・コシンズ、ロイ・キニア

何度か「懐かシネマ」シリーズの記事で書いたが、中学生になって「映画館で映画を観る歓び」を覚え、「コンドル」の記事で書いたように、この頃はいつも一人で地元の洋画専門館でかかる映画をジャンルを問わず観るようになっていた。


この愛しい映画を初めて見たのは1976年。中学2年生の夏だった。

当時の映画メモを見るとその夏は8/7に静岡のロードショー館で、「大地震」に続くセンサラウンド方式が謳い文句だった「ミッドウェイ」を観て、夏休みも終わる8/29にこの映画を、2日目後の8/31にアラン・ドロンの「ル・ジタン」などを観ているから、自分にしては珍しく夏休みの宿題を早めに仕上げたのであろう(笑)。しかし14歳にしては渋いチョイスだな(笑)。

「小さな恋のメロディ」は1971年の映画だから当然リバイバル。併映はその後もずーっと同じ犬が活躍する映画を撮っているジョン・キャンプの「ベンジー」の第一作だった(笑)。

当時は今以上にジャンルにこだわらず、飢えているかのように何でも観ていたが「ベンジー」はともかく(笑)、この映画には本当にやられた。

入替制など小賢しいシステムではなかった地方の映画館故、最初にこれを見て心が躍り、併映のベンジーを見た後に、もう一回これを観てから帰ったのを覚えている。

思春期で好きな女の子もいたけど、告白する勇気など持ち合わせていなかった坊主頭の14歳の俺には眩しいくらいに素敵な映画だったのだ。

とにかくビージーズの曲の数々が素晴らしかった。その後「卒業」とか「イージーライダー」など既存の曲を劇中で使用している映画も数多く見たが、この映画での彼らの曲は、既存曲ばかりなのに、この映画のために書き下ろしたとしか思えないくらいドラマと曲が見事に一体となっていて、50年近く時を経た今でも曲を聞けばシーンが浮かび、シーンを見れば曲が頭の中に流れるくらいはまっていた。


マカロニウエスタンをはじめとする様々な映画音楽の楽しさを覚えた時期だったが、初めて買ったサントラ盤もこの「小さな恋のメロディ」だったものなあ。そのくらい夢中になったのだ。

「In The Morning」ではじまるロンドンの朝。
典型的な中流家庭のダニエルと、貧しい労働者階級であろう、やんちゃなトムはひょんなことで仲良くなる。学校帰りにロンドンの中心部へ遊びに行く中、流れる「Give Your best」が凸凹な2人の友情を表してとても心地良い。

そんなある日、2人は学校で女子生徒がバレエの練習をしている部屋をのぞき見をする。その中の一人の少女の姿にダニエルは魅せられてしまう。

その美しい少女の名前はメロディ。
ダニエルは彼女に一目で心を奪われ夢中になってしまう。

メロディを好きになったがはっきり打ち明けられないダニエルだが、食事の時間に隣に座ろうとしたり、ダンスパーティでは一緒に踊ろうとしたりと、ぎこちなくも意思を伝えようとするのが、当時「俺にはできねえ~」とヒヤヒヤしながら観たものだった(笑)。

音楽室でリコーダーを奏でるメロディにチェロで合わせるダニエル。目と目が合う2人。メロディの親しみのこもった視線にダニエルの幸せそうな顔!

ダニエルの気持ちに気づき心穏やかではないが、まだすましているメロディ。

決して「美少女」ではないし当時も好きなタイプではなかったが「Melody Fair」が流れる中、縁日の金魚を嬉しそうに手にするメロディの愛らしさには本当にノックアウトされた。


「Love Somebody」の流れる運動会のスケッチ。運動が苦手なダニエルがメロディを想いながら走って走って走って1等賞になって、気絶する(笑)。そのよくわかんないパワーは当時の俺も信じられたな。

宿題を忘れたか何かで厳しい先生にお尻を叩かれる罰を受けるダニエルとトム。トムはズボンの中に本を隠してやり過ごすが、ダニエルはあっさりバレて散々叩かれて半ベソに。
そんなダニエルの帰りを待っていてくれたメロディ。
「ダニー、遊びに行こう!」と誘うトムの声を振り切るかのように去ってしまうダニエルとメロディ。
遊び仲間のダニエルの気持ちがメロディに行ってしまい、一人になるトムがまた切ないんだ。

ダニエルとメロディ2人での初デートはお墓。木洩れ日に光る2人の輪郭が美しくて。
お喋りしながら2人で齧りあうリンゴ。羨ましかったなあ。
50年連れ添って奥さんが亡くなった後にすぐに旦那さんが亡くなった夫妻のお墓を見ながら語る2人。
「もう一週間愛してる」だと?この野郎!なんて気にならなかったダニエルの一途な想い。
バックに流れる「若葉のころ」の切ないこと切ないこと。

やがてダニエルとメロディは学校をサボって遊園地や海へ。楽しげな2人の姿に「Give Your best」がまた流れる。ずっと一緒にいたいと感じる2人。

学校をサボったことで先生に叱られるも…
好きな人とずっと一緒にいたいから結婚したいというダニエルとメロディ。
誰にも理解されない。2人だけの気持ち…。

大好きだから、一緒にいて幸せになりたいだけなのになぜいけないの?
このシンプルな問いに、大人たちがうまく答えられない。

ダニエルとメロディの仲に嫉妬していたトムが、そんな2人を応援してクラスの連中を巻き込んでガード下で行う子供達だけの結婚式。
追いかけてくる先生や外見だけのダニエルの母親への子供たちの反撃。

発明狂の生徒が何度も失敗していた爆弾が最後の最後に見事に成功、ダニエルの母親の車を爆破し、勝利する子供たちが痛快この上ない(笑)。

トムに見送られてトロッコでどこまでもどこまでも漕いでいくダニエルとメロディ。
流れるCSY&Nの「Teach Your Children」。
その先に何が待つかなんて当時は想いもしなかった、多幸感溢れるエンディング。

少年少女の淡い恋心を描いた作品は数多くあるが、いいおっさんになった今でもちょっと胸が締め付けられてしまう稀有な作品なのだ。

マーク・レスターとトレイシー・ハイドの初々しさ。
悪ガキトム・オーンショーのジャック・ワイルドの兄貴っぷり(笑)
その他の名前も知らぬクラスメートの連中の存在感。
タバコも吸えば酒も飲み、ついでに爆弾も作る大人たちへの反抗のハチャメチャさの何と楽しいことよ(笑)。

瑞々しさとか清々しさとか、もう自分にはないキラキラした時間がここにある。
微笑ましくも切ない今でも宝物のような一本だ。
まあ当時は年頃の男子なんで「小さな恋のメロディ」が大好きなんだ!とは女子の前では決して言わなかったけどさ(笑)。

杉田かおるが吹替をやっていたTV放映版も良かった。
上の写真にある、メロディが両親に「一緒にいたいだけなのになぜいけないの?わからない、わからないわ」と訴え泣くシーンをやたら覚えているな(笑)

愛読していた「ロードショー」誌で、本作以外に作品がないにもかかわらず、毎月トレーシー・ハイドが女優1位に選ばれ続けてた気がする(男優はブルース・リーだった)。
そういえば応募すれば必ずもらえるという触れ込みの、トレーシー・ハイドの声が入ったソノシートプレゼントにも応募して、到着を首を長くして到着を待ったものだった。

その後上京して大学に入った81年。
夏休みに入り7月中旬から2週間で30本くらい毎日のように名画座などをハシゴしていたあの夏。日本での上映権が切れるとかで、最後のリバイバルロードショーとして公開された時も観に行ったな。
映画を観る金はあっても飯を食う金がなかったのに、とうとう金が底をついた頃に、弟が東京に遊びに来たいというので金を持ってこさせ、それで観にいった記憶がある(笑)。
最近でも午前十時の映画祭で上映されたそうで。チェック漏らしていたなあ。俺と同じように「もう一度スクリーンで観たい」という人が多かったんだろうね。

不思議とこの映画は「研究」することが無かった。監督のワリス・フセインはその後ぱっとしなかったが、脚本のアラン・パーカーはその後も製作のデビット・パットナムと組んで「ダウンタウン物語」や「ミッドナイトエキスプレス」を監督しキャリアを伸ばし「フェーム」や「エンゼルハート」なんかも監督してましたな。

他にも「サスペリア2」に出ていたデビッド・ヘミングスが製作に名を連ねていたのか!とか、撮影 のピーター・サシツキーって「ロッキー・ホラー・ショー」や「スターウォーズ帝国の逆襲」も撮影したり「戦慄の絆」以降「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や最新作の「マップ・トゥ・ザ・スターズ」までクロネンバーグとずっと組んでいるとかは初めて知ったところ(笑)。

そんないろんな映画人がキャリアの初期に作ったこの映画、何といってもマーク・レスターやトレイシー・ハイド、そして同級生役の何人かとは未だに親交があるというのがいいね。
ジャック・ワイルドが若くして亡くなったのはほんと惜しい話だが。

アメリカではない「イギリス」らしさ満載ってのも新鮮だった。
あの年齢の時に観たが故だということは自覚しているが、今もなお本当に魅力的な映画なのだ。

多分何不自由のない子供たちが主人公だったらこうも魅かれなかったろう。メロディの家は裕福でもなく父親は保釈中だ。ダニエルの親は溺愛はしても気持ちに寄り添ってはくれない。
そんな2人が寄り添うように互いを愛しむ。
2人よりおそらくもっと貧しいガキ大将のトムがそんな2人を応援する。今観てもこの関係性が微笑ましくも愛おしい。

血まみれ映画ばかり観ていても一挙に純粋な気持ちを思い出させてくれるこの奇跡のような映画。繊細さとユーモアが両立し、素晴らしい音楽に彩られた俺の心の一本のご紹介でした(笑)。

では大好きな「若葉のころ」を…

というわけで土曜はかみさんと娘が帰宅する前に、憚れ映画もう一本行っちゃえとホドリゴ監督の2作目にも手を出したのだった!()

吸血怪獣 チュパカブラ 2011年)

A NOITE DO CHUPACABRAS

監督・脚本 : ホドリゴ・アラガォン 製作 : キカ・オリヴェイラ、マイラ・アラルコン 製作総指揮 : ヘルマン・ピドネル 撮影 : セクンド・ヘゼンヂ

出演 : ワルデラマ・ドス・サントス、ジョエル・カエターノ、ペッテル・バイエストルフ


前作と比べると予算が少しアップしている気がしないでもない第2作。調べたら一作目が5万レアル(約230万円)、この二作目が16万レアルだから730万くらいにはアップしたようですな(笑)。

撮影は流石に別の方に任せたアラガォン監督だけど、このジャンルへの愛情溢れる自主制作系スプラッターのスタイルは良くも悪くも変わらず(笑)。CGはおそらく皆無、ある意味時代逆行的な手作り感いっぱいの泥臭さが微笑ましいのだ。


しかしゾンビに続いて有名UMAを題材にどんな感じかと思えば、こちらの予想の斜め上を行くストーリーだった()。

妊婦の妻マリアと共に帰郷したドゥグラスを出迎える母親と兄弟たち。最近家畜が殺される事件が頻発、愛犬も死んでしまった父親は「チュパカブラの仕業に違いねえ!」と言うが、皆は昔から因縁のあるカルバーリョ家の仕業ではないかと思っている。

ドゥグラスらシルヴァ家はカルバーリョ家とは土地を巡って以前から犬猿の中。

肉を売りに行った店で飲んでいると
カルバーリョ家のボンクラ兄弟も来て鉢合わせ!

腐った肉を食わされたこの連中が激怒して大喧嘩になったことをきっかけに、この二つの家族が疑心暗鬼のまま、父親の事故死を殺されたと勘違いしたことでシルヴァ家の兄弟が昔年の恨み晴らすべく、ついに銃を持って先制攻撃に!

まるで昔観た「ロリ・マドンナ戦争」のように徹底的な殺し合いに発展する一編。

(「ロリ・マドンナ戦争」わかる方いらっしゃるかな?もう一回観たいなあ)


え?チュパカブラ?ああ、出てきますよ()

両家の兄弟どもが、よくぞまあの揃いも揃っての短気なボンクラ揃いなんで、当然のことながら血みどろの殺し合いになるわ、インテリのドゥグラスが暴力に目覚めるわの「わらの犬」的な(って褒めすぎだな(笑))転がり具合の話は、チュパカブラ無しでも成立するくらい濃厚なんだけど、兄弟たちが殺し合ってる間に、父親を亡くし悲嘆に暮れる母親がチュパカブラに襲われ、マリアと兄嫁も逃げだすのだ!

カルバーリョ家との抗争は旗色悪く、一人敗走するドゥグラスを追いかけるカルバーリョ家の末っ子。ところがここから訳がわからないのが()、あわやというところで山の中で暮らす男に拉致される。


こいつがなんと人喰い男で、殺した末っ子の内臓を喰らい、黒魔術的な呪文を唱えると脱皮して若返るという、全く本筋に関係ないシークエンスがどんと用意されている()

全く訳がわからないが、末っ子を殺されたカルヴァーリョ家の連中が人食い男を始末している間に逃げ出すドゥグラス。ああ、一体あの男はなんだったのだ?!(笑)


再びカルヴァーリョ兄弟たちに追い詰められたところに今度はチュパカブラが登場!カルヴァーリョ兄弟たちも一人また一人と血祭りに。

生き残った長兄とドゥグラスは共闘しチュパカブラに立ち向かうも、イカれた長兄はチュパカブラに殺される。

ドゥグラスは必死で抵抗。下の写真の通り、最初の写真のインテリドゥグラスも悪鬼のような形相で、チュパカブラを石で滅多打ちに!頭部は原型を止めないくらいにグチャグチャにされ漸く倒されるのだった。


翌朝。何とか逃げ延びていたマリアはドゥグラスに声をかけるが、振り返った顔は、なんと、チュパカブラに変異している…え?噛まれるとチュパカブラになっちゃうんだっけ?とこちらが驚いているうちに終わっちゃう、投げっぱなしジャーマンのような一作でした(笑)


前作『デス・マングローヴ ゾンビ沼』と次作の『シー・オブ・ザ・デッド』は同じ舞台を共有する三部作で、登場人物の一部も重なっているとのことだったが、少なくとも「デス・マングローブ」と出てくる役者は同じでも役柄的には重なってなかったような(笑)。


冒頭で死んでしまうシルヴァ家の父親は、前作で男気を見せたガイドのおっさんだったし、何よりびっくりだったのは騒動のきっかけになった店で一人酒を飲んでいて退席する男が前作の主役のルイス役だった男優とわかっていたが、YouTubeでたまたま見つけたメイキング映像を観ると、なんとその彼がチュパカブラの着ぐるみに入っているではないか!

ウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏が次作のウルトラセブンでアマギ隊員を演じたのと逆転した関わり方をしていたのも微笑ましい限り!(笑)


かように前作から3年経っても和気あいあいと作っていたであろうことがわかる本作。せっかくのUMAネタなのに、このモンスター退治ではなく、家族間闘争に物語の軸足を置いているのが新鮮と見るかかったるいと見るかは微妙なところだが、景気良い血糊の量と、相変わらずの手作り感にとりあえずまた点数は甘くなってしまうのでした(笑)。


愛読ブロガーさんの記事で気になっていたブラジル産ホラーをGYAOで視聴!まずはこれだ!

デス・マングローヴ ゾンビ沼 2008年)

MANGUE NEGRO


監督・脚本・撮影ホドリゴ・アラガォン

製作総指揮ヘルマン・ピドネル

出演ワルデラマ・ドス・サントス、キカ・オリヴェイラ、ヒカルド・アラウージョ


低予算ですよ!と言うのが画面から漂ってくる一作(笑)。公開された2014年当時は本邦初公開のブラジル産ホラー映画だったそうな。

監督が撮影までやるなんて自主映画でもあんまりないが、オフィシャルサイトによるとわずか7人のスタッフによって3年がかりで撮影されたそうだ(笑)。

マングローブに囲まれ近代社会から取り残されたような漁村を舞台に、川でカニやカキを取っている家族たち。

環境汚染のせいか不漁な上に何だかグロテスクなそれを食べているせいか、結構人体に影響出てるんじゃないの?とか思っていると案の定で(笑)突然ゾンビ化したりする。

主人公の臆病なルイスは愛するハケルを助け、彼女を守るためにために襲いくるゾンビをかわしながら、危機また危機を乗り越えていくストーリー。


貧困や環境破壊も匂わせつつも、そちらの方向を声高に叫ぶこともなく、ひたすら血みどろ描写に力を費やしている思い切りの良い(志は低い:褒めてます)一編だった(笑)。

水に沈んでいたり湿地帯にいた割にはそれほど土左衛門化してはいないとは言え、一体湿地帯で何人死んでいたんだってくらいゾンビはかなりの数が出現するんだが「景気良いスプラッター描写」と言うには憚れるぬちゃぬちゃ具合でねえ。


何よりなんか汚いのよ()。都市部ではなくジャングルに近い湿地帯が舞台なんで、なんか「サンゲリア」に近いばっちいイメージなんですな。

前にインド製作の「ザ・デッド : インディア」を観た時は、カラカラに乾いていてこれも暑苦しくて嫌だと思ったが、こっちの湿気充満感の方がより嫌だなあ。

このCG全盛の時代に、中にはかの「バタリアン」のタールマンやオバンバ的骸骨ゾンビに近いものなどもいて、手作り感覚も満載。ちょっと製作年度を確認したくなる懐かしい手触りなのはご愛敬で()。


しかし、GYAOの紹介で、かの伊藤美和をして「ゾンビ映画の殿堂入り作品としても良いほどの出来」と、書いてあったわりには、映画としては正直今ひとつだったなあ()


カットのつなぎがやたらとフェードイン/フェードアウトを多用するのも意味ありげで全く無く、時間軸を少しずらしてエピソードを繋ぐのもなんか下手くそなんで、これらの演出がだんだん鬱陶しくなるなどあまり効果的とは言えず、冴えてはいない。

宣伝文句にあった「900ガロンの血糊を使用」はちょっと水増ししてるようだし()、「ラテン色溢れる鮮やかな映像効果」なんて紹介も、最初から色褪せたような色調、夜になってからはモノクロ映画かと思うくらいの暗さでいかがなものかと()。

ゾンビに噛まれたヒロインを助けるために、シャーマンの婆さん(写真の通りゾンビに見えるがいい人(笑))の助言でフグの毒を与えて一度死なせて「悪いもの(=ゾンビ化)」を「置いてきて」新たに復活させるってのが新しい解釈で、ブラジルらしい考え方なんすかね?


そのフグを捕まえに行く時にゾンビに追われて逃げた挙句、底無し沼にはまっていた最初の写真のガイドのおっさんをルイスは偶然助けるのだが、いくらなんでも沈んでいる間に窒息死するだろ!ってくらい時間が経っているから(笑)、最初はてっきりゾンビ化していると思ったら人間のままで「いやあ、助かった」とか言っているんでビックリだったぜ()。


他にも下顎をもがれた父親ゾンビが娘の顔を舐め回すとか、趣味の悪い描写も満載(笑)。まあ我がブログ同様「これが好きなんだ!」という想いだけが迸る作り。その想いだけはしっかり受け止めましたぞ(笑)。


しかし、娘とかみさんがいない時でなきゃ観られないかと鑑賞したが、せっかくの休日になんでこれで時間を潰してしまったのだろうとちょっと反省する一本なのであった(笑)。

では興味のある方は予告編をどーぞ!