今日も暑くて涼しい部屋にお篭り。映画を観ようとしたら、珍しくかみさんからリクエストがあり、これを取り出した。
さびしんぼう(1985年)
監督・脚本・編集 : 大林宣彦 製作 : 小倉斉、山本久 プロデューサー : 森岡道夫、久里耕介、大林恭子 原作 : 山中恒 『なんだかへんて子』 脚本 : 剣持亘、内藤忠司 撮影監督 : 阪本善尚 衣裳 : 山田実 音楽監督 : 宮崎尚志 美術デザイン : 薩谷和夫
出演 : 富田靖子、尾美としのり、藤田弓子、小林稔侍、佐藤允、岸部一徳、秋川リサ、入江若葉、大山大介、砂川真吾、林優枝、柿崎澄子、明日香尚、峰岸徹、根岸季衣、浦辺粂子、樹木希林、小林聡美
「人が人を恋うるとき、人は誰でもさびしんぼうになる」〜大林宣彦
4月に惜しくも亡くなってしまった大林宣彦監督。正直全ての映画を観ているわけではないが、あの80年代、所謂「尾道3部作」にはすっかりやられ、かみさんと尾道旅行まで行ったくらいだ。彼の“自主映画”の匂いが色濃い、ノスタルジックで切ない映画たちが大好きだった。
8ミリ映画を撮っていた身としては涙無くして見れない「転校生」。同じタイムリーパーものの「ある日どこかで」の記事で少し書いたが、あの日あの時の原田知世の魅力と、物語の切なさに悶絶した「時をかける少女」。この宝物のような2作に続く本作は、大林監督の故郷尾道市を舞台に、ショパンの「別れの曲」に彩られた切ない青春ファンタジーだ。
だが、物語は前2作と比べるとかなり歪だ。
だけど切ない。悔しいがこれが映画のマジック。
(以下ネタバレ有りなんで申し訳ない!)
寺の住職の一人息子ヒロキはカメラ好きの高校2年生。母親からは事あるごとに「勉強しなさい」と言われ、さえない毎日を送っている。
彼の唯一楽しみは隣の女子校で放課後になるとショパンの『別れの曲』を弾く少女の姿をファインダー越しで見つめること。
彼女を勝手に“さびしんぼう”と呼んでいたヒロキの前に、ある日、ピエロのようなメイクにダブダブのオーバーオールの謎の女の子が現れる。
“さびしんぼう”と名乗るその女の子は神出鬼没で、ヒロキ一家をかき乱すが…。
ヒロキと友人たちとの悪ふざけなどの日常に挟み込まれるコメディチックなシークエンスが35年前の初見の時も「うーん」と思ったのだが、今回もまただったのだなあ(苦笑)。
秋川リサなんてほとんど顔も映らず「パンツ見せ要員」だし(合計3回は多すぎる(笑))、大林作品常連の入江若葉のPTA会長もやり過ぎ(笑)。
大林監督ならではのサービスなんだろうが、どうもこのあたりの収まりが悪いのだ。
それを除けば、本作もまた切なさに彩られたファンタジーであることは間違い無いのだが。
「転校生」も「時をかける少女」も主人公たちの「恋」は成就しない。
「さよなら、俺」「さよなら、私」と呼び合い、入れ替わった互いを慈しみながらも別れた「転校生」。うう、あのラストは想い出すだけで今でも切ないぞ。
そして記憶を改竄されながらも、時の彼方に去ったその人を一途に想う「時をかける少女」。
同じように本作でもヒロキが見つめていたファインダー越しの美少女、橘百合子とは良い雰囲気になってもやんわりと拒絶されてしまう。
まあ、これはまだいい。学校にいるところとは言え、ずーっと覗かれていたなんて、見方を変えれば今ならストーカー的で気持ち悪いと思われても仕方ないし(笑)。
まあ、百合子はヒロキを決して嫌っていたわけじゃないのはわかる。ピアニストを目指したかったが学校で弾くくらいしかできない。母親の形見の着物を着て、魚の買い物を減らし病弱な父親がいる。家まで送ると言うヒロキに対して、恥ずかしいからと断る。恐らく大きなお寺のヒロキとの「生活の差」を感じていたのだと思われるが…。
「あなたが好きでいてくれた、こちら側の顔だけ見て」と言い残し去っていくなんて、美しすぎて男の願望通りでしかないのも認めるけど、それでも去られる方は切ないのだ。
当時の俺のような多くのボンクラは同じような経験が多いだろう。「凄いチャンス」があっても自分が悪くなくても、笑ってしまうくらいいつも手の隙間から「幸せ」はすり抜けてしまうものだった。だから当時のヒロキへのシンパシーは今まで以上だったものだ。
富田靖子が演じているから当然だが、物静かな百合子とそっくりだが対照的な“さびしんぼう”もまた切ない。
百合子のところから帰り、遅くなるヒロキを待つその姿。
水に濡れたら消えてしまうのに、最後のお別れを言うために土砂降りの中、びしょ濡れで大好きなヒロキを待つ“さびしんぼう”のいじらしさ。
本当に切ない泣き笑い。
流れる「別れの曲」に胸をかきむしられる。
どんなに邪険にしてもついてくる奇妙な子。大好きだよと絞り出すように囁いて、まるで黒い涙のようにメイクが落ちて、思わず抱きしめた瞬間、彼女は消えてしまう。
切ない。切ないのだが収まりが悪い最大なのがこの“さびしんぼう”その人なのだ。
謎の女の子“さびしんぼう”の正体は若い頃のヒロキの母親(藤田弓子)。
これが唯一にして最大の歪さと言ってもいい。
どんなにヒロキが好かれても、相手がいくら若い時の幻影とはいえ母親ではねえ。
頭が良くてショパンの別れの曲をひく「ヒロキ」が、16歳当時の彼女=“さびしんぼう”の理想の男性。
で、結果的に息子にそれを重ねているってのが、ちょっと座りが悪いのだ(笑)。
そんな名前を息子につけたことを知ってか知らずか「かあさんの全部を引き受けたから結婚した」「お前も人を好きになれ」と言うヒロキの父親の小林稔侍は物凄くかっこいいんだけど。
まあ“さびしんぼう”を通じて「得体の知れない大人の代表 親父殿」(なんせ前述の台詞がある風呂のシーン以外はお経しか上げていない)と「美しい潤いの欠片もない たつ子殿」と冒頭で評していた、両親の若い頃や「想い」を知ることにはなるのだ。
35年前はヒロキの立場で観ていたけど、もう、俺もすっかり小林稔侍と藤田弓子の立場なんだよなあ。
今見ると2人もそうだが、いい加減な教師の岸部一徳もみんな若い若い。そりゃ尾美としのりが高校生なんだから当たり前か(笑)。
それでも最近のイケメンしか主役じゃない凡百の青春映画より、尾美としのりと言う冴えない男を、俺たちがシンパシーを持ちやすい彼を主人公に据えてくれた大林映画はやはり宝物だったと思うのだ。
大林監督その人の分身のように冴えない役を演じてくれた彼が、今でも活躍してくれているのは友人が元気でいるように本当に嬉しい。
ラスト、親父殿の跡を継いで住職になったヒロキの隣には百合子さんによく似た面影の女性がいる。
二人は結ばれなかったはずだが、ヒロキが彼女に送ったオルゴールが写るのは…?
そんな想像力の余地を残してくれる大林監督の「A MOVIE」が大好きだった。
この「さびしんぼう」は当時しばらく別れていたかみさんと復活して半年ぶりに観た映画だったことを今想い出したぞ(笑)。
大林監督最後の新作も久々劇場で観ようかねえ。