嗤う伊右衛門 | B級パラダイス

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              「嗤う伊右衛門」京極夏彦 著 角川文庫


・・・ただ、ただ哀しい物語だった。

好きな京極作品ながらなんとなく敬遠していた一冊をやっと読了。
お気に入りの巷説百物語の主人公御行の又市が登場するのを知って読みだしたのだが
百物語の切なさとはまた違う切なさが全編を覆う京極版「四谷怪談」だ。

そもそも四谷怪談自体を俺も良く知っているわけじゃなく
お岩さんが、欲に駆られた夫である伊右衛門に騙され、耐えに耐えた揚句
毒を盛られ、醜く顔を腫らして亡くなって「恨めしや~」と化けて出る・・・
なんていう基本ラインしか覚えてないし
中川信夫監督の名作と呼ばれる「東海道 四谷怪談」も観ていない状況で
そういう意味では原作(どれを原作にするかによるが)に囚われず
純粋に物語として「嗤う伊右衛門」そのものを楽しむことができたのは却って良かったのかも知れない。

京極作品の「京極堂~百鬼夜行シリーズ」でも「巷説シリーズ」でも
人が人を愛するが故に起こる悲劇、すれ違う想いが届かぬ哀しさが描かれた事件も多かったが
他より随分薄いこの一編ほど様々な「想い」が「愛の形」がどれも悲劇に収束していくものは記憶がない。

お岩の伊右衛門を想う様。伊右衛門が岩を想う姿。
武士の娘である以上に清冽で、理が勝るあくまで「正しい女」の強い岩。
すでに顔の崩れた岩を想い遣るものの言葉足らずで不器用な伊右衛門。
すれ違っているとしか見えないのに強まる互いの想い。
なんとかならないのか・・・と読んでるこちらも苛立つほど、
深い想い故に態度に出ない情。想いと反対の方向に動いていく行い。
悪党与力伊藤喜兵衛の策略もあったとはいえ
「伊右衛門殿さえ幸せであれば」と伊右衛門に真実を告げず家を出る岩。
「岩が戻れるように家名を守らねば」と理不尽な仕打ちに耐える伊右衛門。
二人にだけわかる、いや、互いの心にだけ存在する
その情けの、その想いの、愛の形が哀しかった。

他にも様々な想いが交錯する物語だ。
喜兵衛がお梅に注ぐ歪みきった情愛。そのお梅が伊右衛門を慕う。
民谷又座衛門が娘 岩に注ぐ愛情。直助が妹お袖を慈しむ・・・
どれもこれも・・・強すぎる故か、ゆがみ、ひずみ、ちょっとした力で凄惨な方向に転ぶ。

これらを見つめる又市の視線もまた、哀しい。
どうやら百物語より先にこの作品で初めて登場したらしい又市は
妖怪仕掛けをすることもなく、弁舌も役に立たず後手後手に回った揚句
たくさんの人が亡くなるのを最後まで観ているしかない傍観者だ。
「巷説」とは違って彼は誰も救えない。
「醜いから・・・」彼もまたこの話の中で「母」を亡くす。

様々な関係が、想いが、愛の形が歪めば歪むほど
岩と伊右衛門のふたりの絡みあわないのにストレートなその想いが純化されてこちらに迫る。

耐えに耐えて死してから「恨めしや」と化けてでる岩はどこにもいない。
耐えに耐えた後、決着をつけるのは伊右衛門だ。
凄惨な・・・鮮血に彩られた修羅場でわかる伊右衛門の強く深い想い。
岩には届いていたのだろうか。

「笑う」のではなく「嗤う」伊右衛門。
下から見上げていた彼が最後に「嗤った」のは喜兵衛か?それとも岩を理解できなった世間であろうか?

蜷川が監督した映画、そして東海道四谷怪談、凄く観たくなった。