ラッシャー木村逝く・・・ | B級パラダイス

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また一人昭和の主人公が・・・ラッシャー木村さんが亡くなってしまった。

最近はプロレスとも縁遠く、引退していたことさえ知らなかったんだが
2003年よりノアの終身名誉選手会長という立場だったのか・・・。

大相撲を廃業後、日本プロレス~東京プロレスから国際プロレスに移籍したという経歴
このあたりはさすがに覚えてないが、
国際プロレス時代には客寄せのため過激な金網デスマッチをいていたこと、
とにかく華もなく、技というより流血のイメージが強いレスラーだった彼が
俺の中で強い印象を持ったのは、やはり国際プロレス崩壊後に新日本プロレスに参戦してからだった。

アニマル浜口、寺西勇とともに新日への殴り込みというヒール扱いで登場したものの
その人柄の良さは隠せず、殺伐とした雰囲気の初参戦時のマイクアピールで
荒々しいアニマル浜口の啖呵のあと「こんばんわ・・・」と礼儀正しい第一声を発してしまったため
当時の新日ファンはかなりずっこけ、彼を軽く見たものだった。
この「事件」はその後の「マイクパフォーマンス」のルーツになったのは確かだが
最初がこれだった故に「はぐれ国際軍団」は新日=猪木のまさに噛ませ犬的役割しか与えられなかった。
猪木との1対3のマッチメークなんて本当に屈辱的だったろうな、と今になって思うが
あの時は彼も生き残るために必死だったんだろう。
その後長州力の台頭もあり、アニマル浜口が袂を別つ形になってからは影が薄くなって・・・
ってこのあたり書きだすときりがなくなるからまた今度。

それでも全日に移籍してマイクパフォーマンスで有名になり、馬場との義兄弟タッグになるまでは
ラッシャーは充分「怖い」レスラーだった。

80年代前半の夏のある日、まだ新日に彼がいた頃の話だ。
当時大学の映画研究会で8ミリ映画を撮ってた俺たちは、
先輩の撮影に付き合って下北あたりをロケでウロウロしてたんだが
皆で一休みしようとテラス風の2階にある喫茶店に入ろうと階段を上って行ったら
まずでっかい紀州犬が目に入った。
そのまま視線を上げると・・・その犬を連れた派手なヤ●ザ風のシャツを着た更にデカイ人間が見えた。
さらに視線を上げてみるその顔は・・・ギザギザの額のラッシャー木村だったのだ!

あとから想えば彼もぼーっと立ってただけなんだが、なんだか凄い威圧感を感じたものだった。
「あ、すいません・・・」と撮影機材を持ったまま小さくなって横を通った我々は
彼が階段を降りるのを確かめたあと一斉に「ラッシャー、こ、怖ぇ~!」と騒いだものだった・・・。

握手やサインを求める雰囲気じゃなかったのだ。
だって「はぐれ軍団」の総帥だったからね(笑)

全日に行ってからのマイクパフォーマンスの楽しさや
何故か審査員してたイカ天など、コワモテだけどユーモラスという
後年の幸せそうな彼の姿も悪いものじゃなかったが
俺にとっては下北沢で遭遇したあのデッカくて怖かった印象。
肉体の圧倒的な威圧感と、変色して盛り上がったギザギザの額が忘れられない想い出なのだ。

そうか、亡くなっちゃったんだなあ。また寂しくなっちまうな・・・。
お疲れ様でした。謹んでご冥福をお祈りします・・・。