歪んだ姿勢は、メディアても何でもダサくなる「inchon」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

メディアとしてより、偏狭な姿勢のまま「自分にそぐわない意見」を退けることには、

熱中しながら、絶対的言論統制に躍起になる。

なんとも傍から見ていたら、滑稽過ぎるってなところの記事には、自分達の基準から

逸脱したら「さらし者扱い」をして恥じないのだから、批判する言論統制を自分達は

それを薦めるってな、「頭大丈夫?」状態の以下のような記事では・・・。

 

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長崎県平戸市の黒田成彦市長は6日、9月の安倍晋三元首相の国葬に出席した際、自身の

ツイッターに「反日勢力よ。この静かな反撃を直視せよ!」などと投稿した意図について

「国葬そのものの評価が分かれる中、(多くの)献花者を見て、感極まってあのツイート

になった。反日勢力という言葉は慎むべきで反省している」と述べた。市役所で報道陣の

取材に応じた。
9月27日に実施された安倍元首相の国葬に、黒田氏は県市長会の代表として出席。その日、

自身のツイッターアカウントで、妻から届いたという「一般献花する人の列が凄(すご)

いね~ 今までテレビは国葬反対の人ばかりを写していたから、賛成の人の静かな反撃を

感じるよ」とのメールを引用し、「まさにその通り。妻と共感できて、少し涙ぐむ。テレ

ビよ、反日勢力よ。この静かな反撃を直視せよ!」と投稿した。6日時点で削除していない。
取材に黒田氏は、国葬実施の是非が議論となり、安倍元首相への評価が分かれる中で開催

される国葬について「不安というか、穏やかではないなと予想していた」という。そんな

中、当日を迎え、国葬会場の日本武道館への道中で、一般献花に並ぶ長い行列を目にして

「感極まった」と話した。
黒田市長は、国葬前にツイッター上で、反対派から「黙?(もくとう)の時間に音を鳴ら

そう」といった投稿があったうえ、駐日の外国大使館に国葬への出席を見送るよう働きか

ける呼びかけもあったと指摘。「国葬反対、安倍(元)総理に共感しない人の中に、分断

された日本を世界に表明させて(日本の)地位をおとしめようとした人がいた。(反日勢

力という言葉は)その人たちを表現したつもりだったが、国葬反対者は反日勢力と(私が

決めつけたと)誤解を受けた」と釈明した。「(国葬反対の)全体を指しているわけでは

ない」と強調した。
黒田市長によると、投稿への反響が市役所にもあり「反日勢力という言葉が強烈だったこ

とへのおしかりも受けた」と紹介。「(ツイッターの)文字数の制限と私の感情の膨らみ

方に差異が出て、ああいう形になった。反日勢力という言葉は慎むべきで、反省している」

と重ねて釈明した。(土居貴輝)

朝日新聞 2022年10月6日 19時00分
https://www.asahi.com/articles/ASQB65KP4QB6TLZU001.html?ref=tw_asahi

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「言葉狩り」に秀でたメディアは、流石に細々したところでも監視しているのか、まさかの

「人民の監視」の役目を負っているてな具合の記事を読むと、歪む「死生観」が透けて見える

のだが、まして下の画像のような「金のための宗教」体現の、あっちの宗教と同じなのは、いか

したものだろう。

 

 

この宗教が論外なのはもちろんだが、これだけがとなるといささかトホホではある。

これ以外にも「いかがわしい」と傍から見ていると思える団体も数多あるのである。

まぁ、この団体も信者が先細りになるのは仕方ないとしても、ここがスポンサーに

なって映画となると、献金も駄作の予算に回されていたのはトホホである。

以前、その映画を取り上げているのだが、再度それを取り上げてみる。

にしても、金に釣られてってところと、グダグダな物語は、それなりに関係者は

スポンサーが分かっていたので、「手抜き」敢行だったと、今更ながらにアメリカ

気質の「リアル」な姿勢を見せているかのようである。

 

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自分達の祖国の経済が逼迫している現状であれば、外にいる人にとっては「何やっ
てる」からの批判も簡単に出来ようが、そこは密告社会みたいな自国内では、不満
があれど、押し黙るのが処世術なのは、これまでの独裁政治体制下ではままあるこ
とで、日本に居るからこそ「声をあげることが出来る」その事実と「反日的言論」
という狭間は、到底「友好」とかの戯言では解決しない問題だし、権利と義務を
履き違えれば、嫌悪感が増す元になって来る。
自国の民も、他国に暮らす民をも苦しめる体制が続くのは、はたして良いことなの
か・・・、そこらの「輝かしい祖国」としての誇りからずれるのであれば、やはり
体制崩壊に向かう言動を、日本国内からも発信して行かなければ、万民が健やかに
暮らす祖国とはならないし、まして「分断国家の軋轢」ばかりを生む・・・。

その「分断国家」になってしまった元凶は言わずと知れている「朝鮮戦争」なのだ
が、国連軍対北朝鮮という図式には「南朝鮮」の不甲斐無さしかクローズアップせ
ず、その後の「他人の助け」無しには成し得なかった経済発展も、またその時、異
国の地で命を落とした国連軍の兵士への「感謝・慰霊」ははたして・・・。

そんな南朝鮮の窮地を救った「アメリカ軍の奇襲作戦」を描いたものに、大金を
はたいて制作されたものに「inchon」がある。

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実際の当時の報道にも、この絶対的窮地を挽回する「作戦」として指揮をした
「マッカーサー」の手腕は、今更ながらに評価されて良いものだろう。



この作戦を中心にして描いた映画が以下のものだが・・・。
金を使ったものだから、良いものとはならずの典型的なものとして、その名が
映画賞に残っているのは、なんとも・・・。

 

 


「inchon」 八十二年未公開作

今ではなかったものとでも見ているかの「朝鮮戦争」だけにこんな作品がある
のは知らなかったが、配役を見れば日本公開をしてもおかしくない。
ローレンス・オリビエにジャクリーン・ビセット、デビット・ジャンセン、三
船敏郎と名だけは知られているし、監督はテレンス・ヤングである。
ただ、俳優も監督もさて「やる気があったか」となれば、やはり金の割には
出来そのものはゴールデン・ラズベリー賞を獲るだけのことはあるということに
なって来る残念な作品である。
歴史的事実の「奇襲作戦」を敢行する作戦とかのくだりはそれ程でもないが、灯
台奇襲奪還、日本人の機雷除去を経て、海兵隊の上陸等が緊迫感なく続き、実写
フィルムとの編集による戦闘、幾度となく使いまわされるジェット戦闘機の隊列
飛行にあわせた爆弾炸裂シーンでは、アクション得意の監督のなせる技かとも、
思える出来には、なるほどねぇと・・・。
まして大群衆が歓迎するマッカーサーの首都入場からのシーンの力のなさは
いかがしたものだろう。
南朝鮮の民の歓迎振りと、醒めたマッカーサーの対比には戦勝気分はない。
もっとも「朝鮮戦争」は終結したのではなく、休戦協定が結ばれて今日に至る
のだから、これはこれで当然かもしれない描写で、その後マッカーサー解任が
ドキュメントで映されてエンドになるのだが、戦争映画としては「しょぼ」とし
か思えないものになってしまっている。

軍人であるマッカーサーは、戦いが始まれば完膚なきまでに勝利するべしとする
気概があって、この泥沼化する「朝鮮民族紛争」においては、イライラのし通し
で、「原子爆弾使用」を提案し、時の大統領トルーマンの采配から将軍罷免を受
けるとなるのだが、こと戦争においては軍人の方が、後々ののことを斟酌してい
たし、何より兵の犠牲の上の勝利に対しての心構えがシビリアン・コントロール
選りすぐれていた・・・。
今日の北朝鮮の愚行に対して、あの当時の完膚なき勝利は、今日の世相を変えてい
た可能性が高いものとなっていたろう。
あのベトナム戦争もマッカーサーにすれば「勝利を得られず兵の消耗のみのもの」
として反対を進言しているのだから、アメリカとしても世界も優れた軍人の視点を
再認識すべきな「世の動き」ではないだろうか。
兵も国民であるの、軍人だからこその視点は政治家の見習う点ではないだろうか。

 

 

                  といったところで、またのお越しを・・・。