偏ったメディアの無様さをあざ笑う『スターリンの葬送狂騒曲』 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

 

メディァの中には、国内的にとっても怪しい「警鐘」をもって、国民を洗脳するかのような

ところが存在して、盛んに「下げ記事」にいとしんでいる処もある。


 

そういった処を、端的に表現すれば「民衆の敵」と相成りそうで、どうでも良いことでも、

それこそ「どっかを擁護」それ以外をアクと決め込むような偏りすぎたってなものを読んで

いると、歴史も何でも「歪曲に引きずり込み、加害・被害」のステレオ化としてしまうのに

は、いささかトホホではある。

 

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平和祈念館開館、ウトロに笑顔
(朝日新聞 2022/05/01)

施設ができたことは夢のようだ――。30日、在日コリアンが多く住む京都府宇治市伊勢田町

ウトロに「ウトロ平和祈念館」がオープンした。立ち退き問題や差別に直面した歴史を振り

返り、住民らは開館を喜び合った。
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午前にあった開館式では、ウトロ出身の歌手、鄭雅美(チョンアミ)さん(44)が朝鮮民謡

アリランを歌って開会。「ウトロを守る会」で住民を支えてきた田川明子館長(77)=宇治

市=が「ここを訪れて、人と出会ってください。戦争でできた町・ウトロから平和を発信し

たい」と呼びかけた。趙成烈(チョウソンリョル)・在大阪韓国総領事は「韓日民間交流と

協力の新しい象徴に」。松村淳子(あつこ)・宇治市長も「約3千人の外国人が宇治に暮らす。

誰もが安心して暮らせる多文化共生、国際交流を推進していく。多くの人がウトロの歴史を

通じて人権について考え、平和を願う場に。日韓市民の交流拠点にも期待する」とあいさつ

した。韓国民団、朝鮮総連の京都の代表者も祝辞を述べた。府山城広域振興局の稲垣勝彦局

長も参列した。
町内会長の田中秀夫さん(74)は「やっとここまで来た。歴史を知ってもらい、仲良く共に

暮らすのが一番」と言う。建物を施工した金山源一さん(58)は「感無量」と明かした。

長く町内会長を務めた父の教一さん(2016年死去)を見て育ち、「自分も役に立ちたい」と

思っていたからだ。ウトロを30年以上撮るカメラマン、中山和弘さん(62)=京都市左京区

=は「日本に暮らす外国籍の人の歴史や直面する課題に関心をもってもらえれば」と話した。
一般公開されると、一時は順番待ちの列ができたほどだ。メモをとりながら見学した京都精

華大4年、五月女(そうとめ)侑希さん(23)=奈良市=は、サークルで在日コリアンのこと

を知った。「『国と国』ではなく個人主体の展示で、思いが伝わった。教師をめざしており、

課外学習などで訪れてみたい」と話した。
ウトロ地区(2・1ヘクタール)は戦時中、国策の京都飛行場建設で集められた朝鮮人労働者

の宿舎に、子孫らが集まり住んだ。住民は地権者に土地明け渡しを求められ、2000年に敗訴

確定したが、日韓の支援で土地の一部を買い取った。いまは約60世帯の100人が暮らす。

宇治市が整備する公営住宅2期棟(12戸)が来春完成し、希望する住民全てが入居する。

3階建ての祈念館はその隣に建った。
開館は金~月曜の午前10時~午後4時。5月2日は休館。入館料300円、小学生100円。

電話は0774・26・9222。
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この日は、ウトロ平和祈念館の意義を支援者や住民が語るオンラインの討論会もあった。

館を運営するウトロ民間基金財団の郭辰雄(カクチヌン)理事長が進行した。
「ウトロを守る会」をつくって住民を支援してきた田川明子館長は「ウトロを知らない日

本人がたくさんいる。多くの人とウトロで出会うことで自分の中に豊かなものが実る。

私の経験から言える」と、日韓の人に向けて呼びかけた。
展示を考えた勝村誠・立命館大教授(日本政治史)は「日本の植民地支配がなければ、なか

った町。平和・人権の博物館としてこれで完成ではなく、未来へ平和をどう実現するか、発

信する役割がある」と強調した。
韓国の支援団体「地球村同胞連帯」の崔相九(チェサング)さんは「日本だけでなく、韓国

も在日同胞に目を向けてこなかった。ウトロだけでなく、同胞が置かれた問題を乗り越えた

い」と述べた。
ウトロで70年以上暮らす2世の金山炭江(韓金鳳(ハングンボン))さんは上下水道が整備

されておらず井戸水に頼っていた頃、きれいに洗濯できなかった生活の様子や、市民運動に

助けてもらったことなどの苦労を知ってほしいと語った。公的住宅に住民がみな入居しても、

ここで「ウトロ喫茶」を続けてほしいと、交流への思いを話した。(小西良昭)



飛行場建設で集められた朝鮮人労働者の宿舎に、子孫らが集まり住んだ。住民は地権者に

土地明け渡しを求められ、2000年に敗訴確定
(朝鮮日報 2007/09/21)



京都府宇治市ウトロ地区の土地売買交渉期限(9月末)が再び近付いている。

今月過ぎれば解決するのか、再び期限を延長するのか、あるいは住民たちが強制的に追い出さ

れるのか、今のところは分からない。ただはっきりしているのは、住民や支援者の力だけでは

限界があるということだ。
ウトロ地区の問題は、表面的にははっきりしている。65世帯203人の在日韓国人たちが6000

坪(約1万9800平方メートル)ほどの「他人の土地」で生活しているということだ。

地主は「金を払って土地を買うか、土地から出て行け」と主張しており、住民たちは「出て行

くことはできない」と主張している。
この問題は、法的にはすでに結論が出ている。日本の裁判所は2000年、最終的に地主の主張を

受け入れた。約60年にわたり土地を耕しながら生きてきた住民たちの居住権を認めなかったのだ。
しかし、日本社会における在日・韓国朝鮮人問題がそうであるように、ウトロ問題も歴史的な

背景を排除することはできない。一時、日本に住むすべての外国人が特に不満もなく諮問捺印

に応じていたときにも、在日韓国・朝鮮人たちの諮問捺印は差別と人権問題という観点で早く

から廃止が検討されていたのと同様だ。 「日本が仕事をさせるために連れてきたのなら、最

小限の人権は保障すべき」という論理だ。戦後何の補償も受けられなかったウトロ地区の住民

も、この論理で今日まで来ている。
 

◆住民たちはどのようにしてウトロへ来たのか
 

ウトロを強制徴用と関係付ける見方が多い。日本政府による徴用令により1941年から始まった

韓国人強制労働の犠牲者、またはその子孫だというのだ。ウトロ地区の形成は、戦時中に軍の

飛行場建設労働者たちが不毛の地だったこの地域に仮住まいを始めたことがきっかけだった。

飛行場の建設が始まったのは1941年。こうして強制徴用とウトロを関連付ける先入観が生じた。
しかし、この地で働いていた韓国人労働者1300人は、当時の徴用令により連れて来られたわ

けではない。ウトロ国際対策会議ホームページには「いくつかの誤解について明らかにする。

(ウトロ地区の韓国人労働者たちは)銃剣による直接の武力により移住したわけではなかっ

たとしても、故郷で生活ができなくなった植民地の国民が、経済的問題などさまざまな理由

により、自らの思いとは関係なく植民地宗主国へと移住したケース」と説明している。
韓国の国務総理傘下「日帝強占下での強制動員被害者の真相究明委員会」も昨年末の報告書で、

「強制徴用者ではなく、日本に居住していた朝鮮人がほとんど」と明らかにした。1930年代

末、さまざまな理由で植民地朝鮮の経済的貧困を避けるために日本に渡った人たちだったと

いうことだ。
もちろん昨年12月に死亡したウトロ地区住民のチェ・ジョンギュさんのように、本来は日本

の他の地域の炭鉱に強制徴用され、後日ウトロへと移住した住民もいる。しかし「徴用かど

うか」は、ウトロの歴史的な意味を強調しようとして事実関係を明らかにしてこなかった韓

国のマスコミの過ちであり、本質的な問題ではない。ウトロ地区の住民たちは日本による植

民地政策の被害者であり、最後まで韓国の国籍を放棄しなかった韓国人であるという事実は

変わっていない。
 

◆ウトロ地区問題はなぜ起こったのか

ウトロ地区が国有地だったなら早期に解決していたという意見もある。国有地ならば、どの

ような形であれ長期間居住していれば住民に居住権を認めるケースが多かったからだ。

しかし、ウトロは名目上軍の飛行場建設を引き受けた日本国際航空工業(国営企業)の所有

地だった。戦後に軍の飛行場建設が中断した後も、ウトロ地区は企業所有のままだった。
その後ウトロ地区は多くの曲折を経た。戦後、軍需企業からバスやトラックを製造する自動

車会社へと変わった日本国際航空工業は1962年に日産車体と合併し、ウトロ地区も日産の

所有となった。日産車体は、韓国でも自動車を販売している日産自動車系列だ。
その後、ウトロ地区は個人所有を経て1987年、西日本殖産という不動産会社に転売され今

日に至っている。現在、ウトロ地区の住民と土地売却交渉を行っているのは西日本殖産だ。
しかし、この過程で恥ずべきことが起こった。
日産車体からウトロ地区の土地を買い取って西日本殖産に転売した個人とは、ウトロに住

む在日韓国人、A氏[許昌九(通名:平山桝夫)]だったのだ。売却金は3億円。
 A氏に資金を融資したのも在日韓国人団体である在日本大韓民国民団(民団)」の幹部B

氏であり、そのB氏がウトロ地区を買い取るために急きょ設立したのが西日本殖産だった。

A氏は日産からウトロ地区の土地を買い入れた直後、「土地を4億円で買い取った」と主張

し、西日本殖産(B氏)から4億4500万円を受け取り転売した。このように同胞をだまし

て巨額を手にしたA氏は夜逃げし、B氏もまた西日本殖産を1988年に日本の企業に売却、

ウトロから手を引いた。当時B氏がいくらで西日本殖産(ウトロ地区)を売ったのかは明

らかではない。
また別の同胞もいる。2004年、ウトロ地区の所有権は一時西日本殖産から井上正美とい

う個人に移った。井上氏は05年5月、韓国のマスコミとのインタビューで自らを在日3世

と主張し、韓国政府にウトロ地区を5億5000万円で買い取るよう要求、韓国政府による

買い上げ論議に火をつけた人物だ。当時の潘基文(パン・ギムン)外交通商部長官が国

会で政府による支援について言及したのもその年の11月だっ
しかし日本の裁判所は06年9月、井上氏の所有権は無効との最終的な判決を下した。

契約額が社会通念に比べて非常に低額という事実を理由に、売買契約は西日本殖産職員

による職権乱用にあたるとの判決を下したのだ。契約額は明らかではないが、当時の日

本の新聞を調べると2000万円だったとの記事がある。井上氏は後日、ウトロ地区の土

地売買で暴力行為を行ったとして日本の警察に逮捕された。
 

◆解決方法は韓国が買い上げること

戦後、日本政府がウトロ地区の土地を住民に払い下げるのが根本的な解決策だった。

国営企業の所有だった当時、国営化できる機会もあったが、日本政府はそうしなかった。

逆にウトロ地区の朝鮮人学校を閉鎖するなどの弾圧を行ったのだ。ウトロ地区が一旦は

民間企業に売却された以上、日本政府が下すことのできる方法はない。歴史的な責任を

負って土地を買い入れ、在日韓国人に与える可能性もまったくない。1965年の日韓条

約で個人の請求権は消滅したとの立場を一度も覆していないからだ。
現実的な解決方法は、韓国が買い入れることしかない。「韓国」とは、ウトロ地区に住

む在日韓国人、韓国政府、韓国国民すべてが含まれる。韓国では過去3年の募金活動に

より約5億円が集められた。

またウトロ地区の住民たちも自ら約3億円を準備している。ウトロ地区の住民たちは、

土地の相場を7億円ほどとみている。残りは韓国政府に負担してほしいというのが住民

たちの願いだ。

もちろん、交渉で決まった最終額によりそれぞれの負担額がさらに増える可能性もある。
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記事全文→京都の『ウトロ問題』では、在日が在日を騙す恥ずべきことが起きていたニダ!

というように、あっちのメディアの原因の元とは違って、国内メディアの様は、真理追究

よりはどっかを擁護しか頭にないみたいで、それこそ下の画のような一見で分かる絵にも

劣るでは、いささかメディア劣化の著しさを見せつけられているようだ。

 

 

その紛争渦中の処としては、なんともはやな過去の悪夢の再現みたいな圧力には、誰でも

断固として抵抗するのではないだろうか・・・。

 

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ウクライナ農家、ロシア軍が大量の穀物を略奪と証言 飢餓の歴史再来の懸念
2022.05.06 Fri posted at 18:20 JST
(CNN) ロシア軍がウクライナの占領地で農家から大量の農業機械や穀物を略奪してい

ると、複数の関係者がCNNに語った。
ルハンスク州の当局者によると、同地でこの春の種まきは行われていない。別の当局者に

よれば、ロシア軍はヘルソンで収穫量の70%を無条件で引き渡すことを条件として農家

の種まきを認めたが、ほとんどの農家は拒んでいるという。
詳細 CNN 2022/5/6
https://www.cnn.co.jp/world/35187137-2.html

 


 

穏やかな口調が時折、熱を帯びた。
「毎日毎日、プーチンの悪口ばかり。最近はブチャで虐殺したと。あれ、虐殺したのは

ウクライナの軍、警察当局、治安当局ですよ」
4月9日、東京都文京区の区民センター。2005~08年に駐ウクライナ大使を務めた馬渕

睦夫(むつお)は、講演会に訪れた約260人に向けて言い切った。記者も講演を聴いた。
ウクライナのブチャで見つかった多数の民間人の遺体をめぐっては、ロシア側が「ロシア

軍が掌握していた間、暴力行為に遭った住民は一人もいない」と主張。だが、遺体はロシ

ア軍の支配下にあった3月中旬から存在した可能性が高いことが衛星写真の分析で判明し、

多くの国々はロシア軍による虐殺とみなしている。

…続きはソースで(会員記事)。
https://www.asahi.com/articles/ASQ521DMRQ4FTIPE017.html
2022年5月3日 14時00分

 

 

2022年5月20日、韓国メディア・韓国経済は、「日本のメディアが対韓輸出規制について

『失敗だった』と認めた」と報じた。
記事は20日に公開された、日本経済新聞のコラムを紹介。その中で「日韓間の争点は多々

あれど、3年前に実施した半導体材料の輸出規制は失敗だった」との文章が書かれていた

ことを伝えた。
コラムは輸出規制の理由について、「表向きには『輸出管理に不適切な事案があったから』

と発表していたが、安倍晋三元首相は『元徴用工訴訟で対応を示さない韓国政府への事実

上の対抗措置』という認識を示していた」と指摘。また、「『韓国半導体産業全体に打撃

を与えるレバレッジの高い制裁手段』との評価もあり、有権者の『反韓感情』」に訴える

狙いもあったことも想像に難くないが、韓国が受けた被害はさほどではなく、むしろ道義

的な優位性を与えてしまった。日本の通商政策の歴史における『黒歴史』というべき」と

分析している。
これに対し記事は、「輸出規制以後、サムスン電子やSKハイニックスなどの韓国半導体企

業はサプライチェーンの『国産化』に注力している」とし、「日本の大手化学メーカーの

住友化学も、100億円以上を投資して韓国に規制品目の一つであるフォトレジストの工場

を新たに建設している」と報じた。
この記事を見た韓国のネットユーザーからは、「日本の本性がよく表れている事件」

「これは本当に日本が愚かなことをしたと思う」「物を売りたい側が買い手に対して規制

する意味が?」「日本は常に警戒すべき国。本音と建て前が全く違うから」「今頃認めて

も仕方ないのにね」「安倍さんありがとう」などと日本に対する批判の声が多く寄せられ

ている。
また、「文前大統領は日本相手には頑張っていた」「文前大統領が輸出規制に対し、部品

・材料分野の国内の生産力を高めたのは完璧な対応だった」「日本に謝罪すべきだと言っ

ていた政治家や学者は追放すべき」など、文前大統領を称賛するコメントも多く見られた。

(翻訳・編集/丸山)

レコードチャイナ 2022年5月23日(月) 8時30分
https://www.recordchina.co.jp/b894525-s39-c100-d0201.html
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記事を書く人によっては、流石にとんだものとして、内容が著しく真実から遠ざかるなんて

のがあると、メディアの存在も国があってのものと、理解出来てしまう。

当の渦中の兵士の生の声を聴けば・・・。

 

 

 

普通の感覚なら、厭戦感覚が兵士に溢れていては、戦果も思い通りとは違っていても、仕方

がないものだろう。

ましてその昔の独裁者と同じ辿れば辿れば、後に待つのは自国の庶民の反感と相成りそう。

 

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ロシア革命を経てレーニンの亡き後、1953年で息絶えるまでソビエト連邦共和国の最高指

導者であり、絶対権力をほしいままにしたヨシフ・スターリン。じつはプーチンはこのス

ターリンをロールモデルにしていると言われている。
前編記事『プーチンよりもヤバい…ロシア、旧ソ連の独裁者「ヨシフ・スターリン」“銃殺”

と“粛清”の歴史』では、猜疑心の強いスターリンが権力の座についたのちの大粛清の中身に

ついてをお伝えした。自らの側近を次々と銃殺していくスターリンの加速していく狂気はど

んな末路を迎えたのか…。
自らの警備隊長も粛清
スターリンは次のターゲットと心の中で定めた人間を昇進させることさえした。自分が信頼

を勝ち得ていると思った時、その名前はスターリンの抹殺リストに密かに書き込まれている

のだ。「ロシア全史を通じて最も血まみれの年」とされる1937年、スターリンは自らの警

備隊長パウケルも銃殺刑に処した。
その年、59歳になるスターリンはクレムリンから30kmほどの秘密の別荘に居を構えていた。

夜型のスターリンが執務を終える深夜、数台の黒塗りの高級車がクレムリンを出て政府専用

道路を走り去る。
どの車にスターリンが乗っているかは極秘だったが、彼の隣には常にパウケルが乗っていた。

そのパウケルがある日突然、消された。
パウケルは罪を犯したわけではない。ただ他の政治局員が、犬や子供の服を手に入れる便宜

を図っていただけだった。もはや銃殺刑に合理的な理由などなかった。

ロシア革命を経てレーニンの亡き後、1953年で息絶えるまでソビエト連邦共和国の最高指

導者であり、絶対権力をほしいままにしたヨシフ・スターリン。じつはプーチンはこのスタ

ーリンをロールモデルにしていると言われている。前編記事『プーチンよりもヤバい…ロシ

ア、旧ソ連の独裁者「ヨシフ・スターリン」“銃殺”と“粛清”の歴史』では、猜疑心の強いス

ターリンが権力の座についた…  

 

プーチンがお手本にする「狂気の独裁者」ヨシフ・スターリン、そのヤバすぎる末路

(週刊現代) @gendai_biz

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あちらの権力者の末路を映画で描けば、ブラック・コメディでの独裁の哀れも手伝って、

クススと密かな笑いになる異様な異世界を見せてくれる。

それが『スターリンの葬送狂騒曲』という映画である。

 

 

 

 

 

『スターリンの葬送狂騒曲』 十八年公開作

独裁者の晩年から死を経ての、次期独裁者いやリーダー争いの顛末を極端に皮肉った

ブラック・コメディ映画。

もちろんやたらめったら独裁者を揶揄してのものだけに、その姿勢が滑稽に映り込む。

にしてもこれがロシアでは上映禁止になるのだから、その閉ざされた社会性は、今に続く

独裁の全体主義の皮肉ではある。

もちろんコメディにでもしないと、とてもではないが映画として成立しななそうだし、

赤いカーテンら隠された横暴やら残虐きわまりない「粛清」とかでは、告発映画並の

衝撃だが、それでは「ドキュメンタリー」と変わらずで、そこはクスクス笑える皮肉を

込めたものとしたのが、独裁者の滑稽さを際立たせるブラック・コメディとした方が、

皮肉さ加減が引き立つというものである。

もっともその権力者がいたところでは、そりゃ公開禁止も止むおえないかもだが・・・。

 

 

 

「赤い闇」 二十年公開作

未見、以下の様な動画を見ていると・・・。

 

 

 

 

                      といったところで、またのお越しを・・・。