妄想過ぎれば哀しいファンタジイー「火星人大襲来」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き


「正しい歴史認識」という言葉が飛び出すたびに、自分に都合の良いものだけが、

「正しい」と叫ぶのを、傍から見ていると「気の毒な妄想に冒された残念な人」が、思い浮

かぶし、直視すべき過去の記録写真に写っている現実から眼を逸らしていては、これか

らの進むべき道も混沌して、どこに向かうにしても「誰かのアイデア盗み」でしか、自己

実現出来ぬ・・・。





その昔の暮らしぶりを偲び、そこからこうやって近代化したという歩みを否定して、最初

から豊かな暮らしをしていたと強弁してしまうから、ファンタジィー扱いの頭脳と見られて

それこそ「哀れ過ぎる妄想」となってきてしまう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人々は過去、大韓民国は生活できない国だったが、現在は檀君以来最も良く暮らせる

様になったと話す。

もちろん、過去のどの時代より科学技術も発展し衣食住の資源も豊富でIMF、世界銀行、
国連など国際機構が大韓民国を先進国と規定しているから、違うとは言えない。

しかし、全世界の国家と時代別に比較すれば大韓民国が過去に生活できない国だった

かは異論があり、これは最近、経済歴史学者らによって提起されている。
大韓民国の歴史は三国時代、高麗、朝鮮と続くが高句麗、百済を含むすべての王朝

が500年以 長期間存続した国家で、世界の歴史上、大韓民国ほど王朝が長期間続い

た国はローマを含めていくつかの王朝しかない。すなわち大韓民国は歴史的に様々な

事件はあったが安定して平和で暮らしよい国だったということだ。





また、英国オックスフォード大学の歴史学者ジェームズ・ルイス教授は2007年‘Resea

rch ineconomic history vo 24'で1780年~1809年までの朝鮮熟練労働者の一日賃金

(米8.3kg)はイタリア、ミラノの熟練労働者一日賃金(パン6.3kg)や英国熟練労働者一日

賃金(パン8.13kg)を上回り、これは正祖時代の朝鮮は世界のどの国より暮らしよい国

だったことを立証すると記述している。
そして英国の経済学者アンガスは2001年OECDの発行物で発行した‘Development C

entreStudies The World Economy A Millennial Perspective’で1900年朝鮮の1人当り

のGDPは1990年価値基準で$850であり、これは世界27位でこの時期の英国は$4593

で世界1位、日本は$1135で世界24位、中国は$652で35位だったと推定した。

このような歴史的事実から大韓民国は1990年まで他国と比較しても生きにくい国では

ないことが分かる。
また、独創的なハングル、世界初の金属活字、亀甲船、朝鮮実録、農事直説/醫方類

聚など科学書籍、経国大典などの法典など朝鮮は世界のどの国家もできない独創的

な文化を発展させた。
しかし、私たちは大韓民国が過去にひどく生きにくい国だったと一般的に考えている。

なぜか?その理由は戦後国家の産業施設が破壊され、生き難かった歴史がそのよう

な認識を作ったこともあるが、日本の植民史観注入がそういう思考を持たせるようにし

た決定的原因だ。
日本は1854年、米国の武力威嚇で‘日・米和親条約’を締結し門戸を開放した後、地方

武士の幕府を滅亡させ、1868年、明治日王を中心にした現代的国家体系を確立する

明治維新を推進した。中略:日本の帝国主義思想の歴史)
このような日本の植民史観により日帝強制支配期の私たち国民は過去、朝鮮は生きら

れない無知な国家であり、朝鮮人は無能だから文明化された日本人に帰属したのは光

栄という思考が無意識的に注入された。また、その影響で今も大韓民国が過去、朝鮮

時代にも生き難く無知だったことから考えて、何か事件が発生すれば‘大韓民国はこの

程度’という敗北主義、消極主義思考が現在も残存していのだ。





朝鮮末期に朝鮮が間違ったのは大義と国民を重視する儒教文化によって西欧文明を

改革的に受け入れ、先進強大国に跳躍できなかったわけだが、朝鮮末期まで朝鮮は

西欧技術を除いて文化的でも経済的でも先進国的位置を維持し平和で暮らし良い国

であった。すなわち東洋国家では良く暮らしていたが、国家に剛悍軍隊と経済力(技

術と資金)、民族意識がなければならないという西欧の現代式思考に適時に転換でき

なかったことが国権剥奪の痛みをもたらした。
大韓民国は日帝強制支配期の日本の収奪と植民地的経済構造で厳しい経済状況を

験し、1945年解放後も6・25戦争によって国家経済が破綻、1人当りのGNPが60ドル

という最貧国に転落したが、民族の底力で経済を起こして世界10大経済強国に浮上し、

檀君以来最も良く暮らしている。
かし、今、日本の極右主義者らは過去の帝国主義歴史意識を持って日本が韓国の発

を助け、独島(ドクト、日本名:竹島)は日本領土と妄言して韓国を侮辱し、日本民族

の優秀性を強調して強力な日本を作る歩みを継続している。
の歴史に自負心を持つ国民はいかなる困難の中でも敗北主義に陥らず、強い国家を

作ることに力量を集中することになるが、そうでない国民は困難が近づく時、お互いの

せいにして国家を奈落に落としかねず、これは日帝強制支配期に数多くの親日派を作

り出した過去の歴史からも分かる。
また、近・現代史から分かるように、国家は強くなければ国際社会から認められず、究

極的に国民が安らかで良く暮らすことができない。また、私たちの子孫が繁栄してこそ

私たちの世代の未来も意味がある。従って、私たちは大韓民国の歴史に対する正しい

認識で自負心を持つべきであり、未来の大韓民国を準備できる客観的で未来指向的な

歴史観を子孫らに教育し、民族を団結させて周辺国から無視されなかった栄光の大韓

民国を建設していかなければならないだろう。

・ジュンヨン(元陸軍小将)

*出処:月刊自由7月号
ソース:コナスネット(韓国語) 大韓民国は生きられなかった国だったのだろうか
http://www.konas.net/article/article.asp?idx=37318
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


どこか「過去についての劣等感」が覆いかぶさり、それを払拭するのに、ファンタジィー

的歴史を持ってくるから、読んでいて失笑し同時に憐れさ全開になる。

すべてにおいて惨めな過去を否定して妄想で済まそうとする気質は、完璧に憐れみの

対象だが、それにしたって「自分で自分を正す」という姿勢がないと、真似すべき国が低

迷してしまえば寄生先を見失い、自分達も迷走して事故が起きれば「覆いかぶさった妄想」

が剥がれ、真っ先に逃げ出すのは過去と同じくと、全く過去が表に出てくる。

結果的に「失敗に学ぶ、真摯な態度」がない限り、すべてにおいて過去のループで廻って

いる残念過ぎる人々・・・。


で、作る人が造る人だと、それこそ「文明が数段進んでいる異星人」も、なんともおばかさ加

減で、リメイクなのにすべて壊す「お笑い」と・・・。

上のえらそうな「文章の中身のなさ」が相通じるのが、やはりラリー・ブキャナン物と相成っ

て「邦題は火星人大来週」とまがまがしいが、その実態はトホホすぎる一品。




http://www.youtube.com/watch?v=grbv-zBRK1A

「火星人大襲来」 六十八年未公開作


こんな邦題だと、スペクタルものの壮大な物語と、誰でも錯覚しそうだが、そこは監督が

ラリーとなれば、それこそトホホを通り越してゲンナリしてくる。

何しろアメリカ軍に届いた火星からのメッセージは「生殖異常で女が足りない」から女を

よこせ、で、掻っ攫いにそちらに行くって、円盤登場・・・。

それが降り立ったのは元製氷工場。

の、前に何の関連もないが「女が画面から消える」シーンを出して、それなりに映画の内容

を出だしで明示だが、それからの地球人に成りすました火星人の街中での女物色が延々と

続く。

それも地球の男が夢中になるような肉感的エロエロな女として、物色する場所がストリップ

とか、そして催眠術を使い云々・・・、高度に発達した文明を誇る火星だというのに、正に

もてない男の行動原理ってのが、さすが監督が凡才だと発想が限られてしまう。

こんなところはファンタジィー・ヒストリーを朗々と綴るどこかと、良く似ていて哀愁が漂って

哀しき火星人、何より女ほしさなのに、火星人リーダーは純粋な恋愛をしてしまうとか展開が

邦題からどんどんずれていく。

そして行方不明者捜索の警察が、変な三段論法で居所は製氷工場と当ててしまって、火星

人追われて、そして恋愛していた火星人は恋人との悲しい別れの後、円盤に乗って帰って

行く・・・。

って、お仕舞いなのだけど、どうします?。

空想科学映画にかこつけたスケコマシ人の「女の攫い方」てな題名なら、元ネタも活きるん

だけど、監督が監督だけに笑いをシリアスな、シリアスをどんだお笑いに変えてしまう手腕

は、誰も真似出来ない。

いや、地球上で唯一、真似に関したら誰にも負けない民族を忘れていた・・・。


と、上の文章を読む限りにおいて、それに添う映画は、こんなのになる。


お笑い日韓決別宣言/テリー伊藤
¥1,404
Amazon.co.jp


                                  

                     といったところで、またのお越しを・・・。