その時歴史は動かなかった「宋家の三姉妹」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

一つの由々しき神話に対して、「そんなものはなかった」として、検証・討論
されるべきものであると発言すれば、丁寧に捏造を積み重ねてきた者達にとって
は一大事とばかりに、オットリ刀で「配慮が足りない」の合唱で封じ込めに躍起
となる。そんなものに戦中の「旧日本軍最強伝説」の拠り所として、「南京事件」
がある。

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河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が訪問した際に「南京大
虐殺は無かったのではないか」と発言した。その問題意識について、市長は記者
会見で「子孫のため(歴史認識を)真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)
の社会的、政治的使命だと思っとります」と述べた。
だが、市民を代表する市長として友好都市の訪問団に会った際に、歴史認識に食
い違いのある問題で自らの見解を一方的に公にしたことは配慮が足りなさすぎる。

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二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けてスタートした日中歴史共
同研究委員会は二年前、南京事件について「虐殺行為に及んだ日本側に責任があ
るとの認識では一致した」との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の
「三十余万人」、日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推
計がある」と両論を併記した。
小泉純一郎首相の靖国神社参拝で悪化した日中関係を改善しようと、双方が歩み
寄った知恵が共同研究である。それを両国で共有しながら、今回の市長発言であ
る。個人の信念と公職者としての発言はおのずと違う。
市長は「謝罪や撤回のつもりはない」と話した。日中間の討論会を呼びかけては
いるが、どれほどの実現可能性をともなっているのか。市として行うのか、一政
治家としての呼び掛けか。
南京市は「市民の感情を傷つけた」と反発している。会談の場で反論しなかった
訪問団に「弱腰だ」との批判がネットで相次いでいるという。市長の言葉がもち
ろんきっかけである。
歴史をひもとけば、名古屋生まれの松井石根陸軍大将は終戦後、極東国際軍事裁
判で南京大虐殺の責任を問われ処刑された。一九七二年の国交回復後、名古屋市
は当初、天津市との提携を望んだが、中国の提案に応じる形で、南京市との提携
をあえて決めた。(抜粋)

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022302000014.html
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戦闘中の「戦死」に対して「虐殺」とは言わないが、この南京での出来事の膨ら
まし方は異常で、そして後おいで綴る「ドキュメンタリー」と評する自国のマス
コミのそれも、証言と文章の目新しさと、その頃の農民での兵士の達筆ぶりには
誰でも違和感が生まれる類いのもの。
そんな学習がなされていた形跡は、当時の日本になく「貧困の農業従事者の次男
以下が戦争に狩り出されていた」という現実からは、後付の「作文臭」が立ち込
めるものとなっている。
たとえば以下のような動画にある、南京の住民の避難の様子と、中国という国の
内戦の歴史を紐解けば・・・。



戦乱の続いた中国では、兎に角旗色が悪くなれば「逃げる」が最善の策とされ
農民は田畑を捨てて逃げるのに躊躇がなかった。
相手に利する「資源」は焼き払いが原則で、その昔の「史記」の中にも描かれる
「歴史の認識」は、伝統の「戦い方」の一つ、それが「逃亡」である。
それに対しての「後ろめたさ」は、日本と違ってない。

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当時の南京の人口が二十万人で、「逃げた住民」の数など正確に把握していない
だろうに、南京での犠牲者数は「うなぎのぼりに増える」のはいかばかりか・・。
その上抵抗を試みる兵士とかよりは、投降する兵士と、そして何よりの蛮行が「ト
ーチカ」という反撃のためのコンクリ塹壕での抵抗には、兵士が逃げられないよう
に「外から鍵を掛け、足枷」では、パニックから反撃に邁進してしまうのは、「恐
怖の対価」であるだろう。



当時の日本の敵は「国民党軍」という蒋介石率いる軍隊であり、この蛮行はこの軍
の「自国民への、いや兵士への当たり前のやり方」である。
生きて先へ進めるのは、「権力にある一部の者」で良く、後は「作れば良い」という
長年の「しきたり」から、発想がなされている証左である。

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大東亜戦争以後、中国は内戦へと続くのだが、その「近親憎悪」は長年の歴史が物語
る「殺戮」の連続で、とうとうここでも敗戦をする「国民党軍」は台湾へと逃げるの
である。
さてそうなると「南京」の犠牲者は一体どこから「生まれたのだろう」
素朴な疑問は、内戦の時国民党軍の首都は「南京」であった。
それを日本軍に追われて重慶へ、そこで日本軍の敗戦で、再び戻る南京・・・。
そしてまたも戦火にくすぶる南京・・・。
とまぁ、「歴史認識」を政治的に紐解けば、敗戦したところに「責任」を押し付け
自国民を愛する「共産党」はそんな蛮行は犯さない。
何しろ農民の党である・・・、政治的飢饉で「自国民が大量に餓死」しても、「すぐ
に作れる」思想は万全で、「歴史が語る」あって都合の悪いものは壊し、都合よきも
のはないなら新たに作る。中華思想にブレはない。

そうそうこの当時の背景に花を添える女達もいて、それについての掲示板からの
拾いを・・・。

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045 名無しさん (2012/02/22(水) 22:43:44 ID:MgrPq13uzE

台湾の国国民党党史館の邵銘煌主任が、「当館が保存している資料に、蒋介石の
宋美齢に対する求愛の過程が記録されている」と語った。中国新聞社香港支局は
16日付で報じた。
蒋介石の活動や心情が書かれているのは、蒋中正(蒋介石)日記抄本。蒋介石が
初めて宋美齢に会ったのは、上海市内の孫文の旧居で、「一目ぼれ」だったとい
う。蒋介石は国民革命軍を率いて北伐を遂行したが、転戦のたびに手紙を書き、
「江西省の南昌に行くので、会ってほしい」など、デートの申し込みもした。
1927年3月と5月には、「一日中、彼女のことをおもっていた。心が離れない」な
ど、情熱的なことばもあるという。
同年9月には、宋美齢が結婚のプロポーズを承諾。蒋介石は11月、日本に滞在し
ていた宋美齢の母親に会いに行った。日記には「お母さんはうれしそうだった。
喜んで(結婚に)同意してくれた」と、むしろ、母親の了解を得たことで有頂天
になる、蒋介石の心情がうかがえる記述がある。
蒋介石は、孫文にならって、日本で結婚式を挙げる意向だったという。当時の日
中関係は比較的安定しており、日本での挙式は実現可能だった。ただし、中国で
は1919年の五四運動などで、対日感情が悪化していた。
蒋介石・宋美齢の日本での挙式は、母親の反対で実現しなかった。
ふたりの結婚式は上海市内で1927年12月1日に、上海市内のホテルで行われた。
招待客は1000人で、「政治目的の結婚」との批判もあった。しかし、結婚して
から半年後の蒋介石の日記には「北伐成功は、妻の助けがあったから。(妻に
は功績の)半分がある」と書かれており、邵主任は「蒋介石は結婚したことで、
賢夫人による精神的な支えを得た」との見方を示した。

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◆解説◆
上記記事内容には、すでに知られている部分もあるが、中国本土で改めて「人間
味ある蒋介石像」が紹介されたことが注目に値する。
中国本土ではかつて、蒋介石に対して「無能で冷酷、しかも強欲」、「軍国主義
日本の侵略に対して、さしたる抵抗もしなかった」など、悪意に満ちた評価が定
着していた。
風向きが明らかに変わりはじめたのは、中国共産党が「独立派」と警戒する民進
党の陳水扁政権が誕生した2000年ごろから。現在でも「中国を救うことができた
のは、共産党だけだった」との主張には変化がないが、蒋介石に対して「平和な
時代だったら、よき国家指導者になれただろう」などと評価する文章も、発表さ
れるようになった。
蒋介石は対日戦にあたり、米国を巻き込むなど世界的視野での日本軍駆逐を企図
していた。共産党勢力を警戒し、自らの兵力を温存する意図もあったとされる。
宋美齢は米国内で反日感情を盛り上げる活動を盛んに行った。
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この激動の時に、三姉妹が果たす役割は大きかったのだろう。
そしてアメリカに対しての働きかけが、捏造映画となって結実する。
それを批判する動画も、都合の悪いものは削除が定石だから、何度となく削除の
憂き目を見たものが下の物。



これはもうかれこれ三四年前から知っていたのだが、相当に都合が悪いのか
削除がなんと度なくなされ、投稿者が何者と一時期都合の悪い人々にとっては
詮索の話題だった・・・。

で、この南京となれば、国民党軍の首領蒋介石、そしてそれ以前の革命の父と
しての「孫文」に嫁いだ娘が姉妹であったことから、激動の時代の中の姉妹
物語として「宋家の三姉妹」という映画が出来た。

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「宋家の三姉妹」 九十七年公開作

激動のとかというと、自分の意思が相当に固くとなりそうなのだが、そこは
「都合が悪ければ、逃げても差し支えない」お国柄わ考慮にしないと、大河
ドラマが、かの国と同じファンタジィーへと斜め上に飛んでいってしまう。
確かに三姉妹は「激動の時代に投げ込まれた」ものだが、そこにいる父の存在
抜きには女が名声を得てはいけないし、リーダー達への接近も適わない。
まず長女は経済の要の金融の元へ、ここらはその父の戦略も含んでいるから、
そして利発な長女の「金勘定の上手さ」も手伝って・・・。
大河ドラマだから、容姿端麗な女優を当てて三姉妹のキャラクターを上手く
引き出していて、金融を握るという権力は後々にも影響を与える。
そして次女は夢想の革命家孫文の元へ・・・、そして感化され、いや洗脳に近
いものがありそうだが、夢想の革命に共に生涯を捧げる。
そして三女は、孫文の後釜になって「権力をほしいままにした蒋介石」へと・・。
で、上の書き込みは、この三女のものだが、末っ子のあまったれが一番始末に悪い
典型とも取れる。
私怨ともとれる反日工作なのだが、次女の結婚式とかまでの「日本の援助」に対す
る思いは、あちらでは「そんなものでは生きていけない」を地でいき・・・。

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こういった日本軍の「配慮」に、心動かされることもなく、自分の立場の延命の
ためには、恩をあでで返して差し支えないと、行動を見せてくれる。
まぁ大河ドラマだから、そこは「汚く描くのは憚られる」のは理解できなくもない
が、悲劇的に取り扱うヒロインではげんなりしてしまう。
と、歴史抜きにすれば「女性の一代記」は華々しく「女として生きた」伝記として
それなりに見られる映画ではある。
ただ、香港・日本合作映画らしいのだが、要らぬシーンも多々アリとどこから金が
出ているのかと訝しくなる場面もあった。


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               といったところで、またのお越しを・・・。