人を癒すか、はたまた・・・「グーグーだって猫である」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き


近頃のペットブームでは、過剰と思える「お世話振り」がなんとも・・・。

もっともそれらのお世話振りは「犬」に多くて、猫といえば大概、気ままな生き物として

「そっと好きにしておく」が基本かも・・・。

猫を主題にした映画も、古くは「ハリーとトント」なんてのがあったり、日本じゃもっぱら

「怨念の塊」として化け猫ってなものが・・・。

でもって、この前テレビでやっていたのが、まったりとした主題のわからぬ猫と人間の

かかわりを描いた映画だった。



流浪の民の囁き

http://www.youtube.com/watch?v=i8axZTPOQTE&feature=related

「グーグーだって猫である」 〇八年公開作


飼っていた猫が死んで落ち込む漫画家と、その周辺の人々、そして新たに買ってきた

猫との心の交流が描かれているのだが、流石に私小説的展開の「間延びした」映画は

疲れるものである。

まぁ、猫好きだから見ていられるし、そこの登場人物が「漫画家」やら「ギターリスト」や

らと、にやりとしてしまう場面があって、それなりに見てしまった。


流浪の民の囁き

擬人法で猫の魂との会話とか、一応ファンタジィー的心温まるものもあるが、何しろ

盛り上がりには欠けるから、分からないではない「心の癒し」なのだが・・・。

やはりというか、映画としての出来は・・・。

ただ自由に外に出れる猫は、幸せかもな・・・。

そして「玄関で待つ」姿勢が、猫にあるのかはなはだ疑問もあるが、一人暮らしだったら

そりゃ飛び上がって喜ぶだろう。

と、生きる伴侶的扱いは、はてさて猫にとって幸せなのだろうか・・・。


グーグーだって猫である ニャンダフル・ディスク付き [DVD]/小泉今日子,上野樹里,加瀬亮
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Amazon.co.jp                   といつたところで、またのお越しを・・・。