ヒット映画に寄生して、似たような物語で「商売」をする胡散臭さと同様に、妄想全開の
空想物語に熱中するのも、そこにやたらめったら政治を持ち込むと、単に映画としての
価値の低下というより、製作する姿勢の「胡散臭さ」と思考回路の「停止」が引き起こす
時代錯誤に哀れみを感じる・・・。
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・女優・韓英恵主演『アジアの純真』(片嶋一貴監督)が第40回ロッテルダム国際映画祭
スペクトラム部門で上映され、韓と脚本家の井上淳一が現地入りした。同作品は2年前に
製作されたのだが過激な内容から映画館側が躊躇(ちゅうちょ)し、いまだ公開が決まっ
ていない 問題作だ。現地でも観客に衝撃と戸惑いを与えた。
同作品は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致被害者5名が帰国した2002年
が舞台。北朝鮮バッシングが渦巻く中、チマチョゴリを着た女子高生が不良に絡まれ
て、白昼に大勢の目の前で殺害される事件が起きる。その死亡した少女の双子の姉
妹と、少女が絡まれているところを目撃していながら助けられず自責の念に駆られた
少年が仕掛ける復讐劇だ。2人は、旧日本軍の製造したマスタードガスを盗み出して
の無差別テロを繰り返しては逃亡生活を送る。やり場のない怒りと悲しみを世間にぶ
つける少女役の韓の熱演もあって、そこまで彼女を追い詰めてしまったわれわれ日本
人はこの物語をどう受け止めるべきか? を深く考えさせられる内容だ。
片嶋監督と井上は共に若松孝二監督のもとで育ち、アナーキズム精神を叩き込まれ
てきた。その若松監督に本作を見せたところ「お前らも相変わらずバカなことをやるな」
と言われたという。
上映後の質疑応答でもオランダの観客から「政治的なメッセージをダイレクトに表現す
るのではなく、婉曲に伝える方法もあったのでは?」という意見も出た。
しかし井上は「この映画は2003年に書いた僕の脚本が先にありました。当時は、9・11が
米国のアフガニスタン戦略に繋がり、日本では拉致問題が過剰な北朝鮮バッシングとな
り、そして米国のイラク戦が始まりと、世の中に対して腹が立って仕方がなかった。
この怒りをどう表現すべきか?
とこの脚本を書いた。日本では、ここまで政治的な話は嫌われるが、それを旧友の片嶋監
督が『面白い』と言って映像化してくれた」と製作の経緯を説明した。
続きはソースで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110203-00000002-flix-movi
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とまぁ、どこぞのスポンサーにても喜ばれれば映画の健全性しっちやこっちゃない姿勢で
酷すぎる妄想をしたため、懲りない人ってのは「人間の品格」を持ち合わせていないのか
も・・・、そういえば極端な願望を映像化してみれば、その後の現実世界とのギャップに
あからさまな嘲笑が沸き起こるなんてのも・・・。
今の朝鮮半島の情勢から言えば、まさに妄想逞しくとも、それがあまりにも哀れとなって
しまうのが「韓半島」という映画かもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=85r7obfA_zY&feature=related
「韓半島」 〇六年未公開作
映画の妄想話は「なぜか朝鮮半島の統一に日本が横槍を入れる」となって、
休戦している半島とはちがって、日本と対峙する内容となって卑屈なナショナリ
ズムで「ご商売」を敢行するという極めてみっともない精神性で作られた映画。
これの後の朝鮮半島がそれを物語り、沈没させられて、大砲を打ち込まれて
なんらの反撃も出来ぬ腰抜け国家が、映画の上だけで妄想全開で、装備の
著しく違う他国に勝ってしまうという、あらまの現実逃避では、それをまた真に受
ける国民がいたら、それこそ悲劇だになりそう・・・。
好戦的趣旨はそれなり分かるのだが、土台「井の蛙、大海を知らず」的無茶な
設定では、あきれ返ってしまう。
それでなくとも休戦協定をどしどし破る同民族に対して、さっさと再開して「白黒」
つけりゃ「悲願の統一」が出来るだろうに・・・。
と、自分達の卑屈な精神性に「妄想で満足」するなどでは・・・、正しく哀れ・・・。
だろう。
映画自体はそれなりに見ていてあきないものだが、金があるならもそっとましな
ものに・・・。まぁ「商売上手」だけは見習うべきか、それともはたまた・・・。
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- Amazon.co.jp といったところで、またのお越しを・・・。