現政権の不作為が後々、「赤松口蹄疫事件」と呼ばれるかも知れない宮崎県畜産の惨状
は、とうとう六万頭の「食べられるだけ、あるいは利用されるだけの生き物」の殺処分へと
拡大してしまった。
「食べられるだけに成長させる」職業であっても、そこには金銭以外の意識も働くから、
無為な殺処分には、その不条理な無作為の「怠慢行為」には、相当に怒りも巻き起こる。
それでもなお「国民の生活が第一」という戯言に騙された国民は、「自分達で選んだ政権」
と我慢をすべきだろうか・・・。
それは否である。「生存権」という最低の人権において、政権は民のためにあるのであり、
政権のために民がいるのではないである。
そんな不遜な者たちの不作為で「殺生」されてしまう「食べられる生き物」に対して、天に
唾する行為を、ニタニタ笑っているだけの担当大臣には憤りを通り越して、あの虐殺の
「クメール・ルージュ」並みの冷血を感じ取ってしまった。
さっさつぶれて欲しい現政権である。
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「ついにうちでも」「一般車両も消毒を受けて」。口蹄疫の感染疑いが確認された農場の
約9割が集中する川南町で“見えない敵”との戦いに神経をすり減らす畜産農家らが8日、
宮崎日日新聞社の電話取材に応じ、感染への恐怖や殺処分の精神的苦痛を口々に訴えた。
そうした声の一方で、外遊から帰国後、10日の来県を決めた赤松広隆農林水産相には
「今更どんな顔で来るのか」と怒りの声も上がった。
「注射を打たれた豚は鳴くんです。あんな鳴き声を聞くのは初めてで、胸が詰まった」。
感染疑いの豚が確認された養豚農場に勤める30代男性は、殺処分の様子を切々と語った。
今も畜舎の防疫作業は続くが、「(何も生み出さない仕事を続けるのは)むなしい」と話す。
別の養豚農場では埋却場所の選定が遅れ、殺処分が始まっていない。補償を受けるには
1頭ずつ評価を受ける必要があり、それまでは豚を生かし続けなければいけない。
30代経営者男性は「処分されると分かって飼い続けている。今は餌を食べられるだけ
食べさせてあげたい。味わったことのない気持ちだ」とつぶやいた。
▽宮崎日日新聞
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=25894&catid=74&blogid=13
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事故で死んでしまう「食べられるだけの生き物」もいる。それを見るだけでも卒倒してしまう
こちらにすると、育て上げそして「出荷」というもの扱いにされるけれども、そこには生き物を
取り扱う人々の日々の苦労・・・、我が家のペッである「ネコ」でも、その食事を欠かすことは
出来ないのは当たり前であり、生き物に対しては「飼育する」は食事の面倒と同義語になる。
さすれば上の記事には、どうしても同情を禁じ得ない。
そして必死に疫病を押さえ込むのに懸命になる人々と、外に遊びに行き休日を堪能してから
視察と表して「呼びつける」不遜な態度の政権には、怒りしか湧かないものだ。
自分達が選んだ政権が、全く政権の名を成していない無能力・冷血集団であったを思い知ら
される・・・。そうなのだ、こんなデタラメな政権でもある程度の支持を得て政権を獲得した。
その目の「節穴ぶり」は、反省せねばならないが、同じ過ちを犯したくはない。
それは肝に銘じなければ、宮崎の惨状は、明日はわが身である。
で、映画といえば「食べられるだけの生き物」を、子供向けに童話らしい物語に仕立てて、
「命の食べ方」を優しく諭したものを、再掲載することにした。
〇八年三月にて、豚の農夫夫婦の愛情物語「ベイブ」
童話というのは時に、お話の裏に隠された残酷なあるいは辛辣な批判が
込められたりしている。
表面上は、幼い子供でもわかる平易な物語が、裏を返せば・・・。
で、お子様向けの映画である本作「ベイブ」も、生まれ持った宿命?、という
難題を、平易に映像化している。
さて、家畜とは・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=myyb4FUUMwI&feature=related
「ベイブ」 九十五年公開作
主人公は子豚の「ベイブ」で、賞品として貰われた心やさしい農夫夫婦
いや、妻は勿論、食料として大喜びする賞品であり、決してペットあるいは
牧羊豚ではない。
ファンタジィーの王道の、動物が言語を話すから、食料用の家畜へのそれ
以外の動物との心持は違って辛辣な言葉が並んでくる。
ここは食料と考えないベイブにとっては、完全な「いじめ行為」で、食べられ
ないようにするにはという、生存を賭けた戦いを繰り広げる。
画面は特撮を使い、本当に動物が喋っているようにするとか、三匹の鼠の
歌声とか、牧歌的映像とほんのり家族的映画で、とても辛辣な言葉が飛び
交っている。童話の持つ社会に対する批判が、可愛らしいキャラクターに薄
まると「豚肉は食べない、ベイブが可哀想」と、それなりの効果を観客にもた
らす。にしても、真剣に考えれば「ありえねぇ設定のファンタジィー」なのだが
「ドジで間抜けのカメならぬ子豚」は、ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
で、とうとう牧羊豚として優勝してしまい、家族の一員として迎えられる・・・。
めでたしめでたしである。
http://www.youtube.com/watch?v=OrjKkQG1djs&feature=related
「ベイブ 都会へ行く」 九十八年公開作
初作の大ヒットによって、作られた続編は食料としてしか考えられなかった
妻の気持ちを変えようとする設定で、妻は自分の肥満の体から、はたと優
しい気持ちに気付き、より以上にベイブを寵愛し、それまでとは変わって嘲
笑にも毅然とした態度をとるし、ベイブを擁護する。
もっともそれらは都会に出たことによって起こる災難から、それを身に沁み
させるものだ。
映画の裏側では、主人公のベイブはやはり宿命でどんどんでかくなり二十何
頭かが変わりばんこに演じている。
さて、では大きくなったベイブは、どうした・・・。と、そこらに考えを至らせては
いけない。アイドルがいつまでたっても「十七歳」だったら、そのまま時間は止
まっている。成長はしないのだ、のび太が小学六年生のままと同じ、あるいは
ちびまる子である。
都会に行ったおばさんとベイブ、さんざに田舎者扱いはされる、ベイブは犬に
ネズミに、猫にととことん嫌われ、その度に危機一髪で難を逃れる。
一作目よりスピード感があり、展開が楽しめた・・・。
と、なかなかに考え付かない豚の物語だが、家畜の運命・・・。
生きるものは「殺生」をして生き延びている。この自然の摂理を思わずにいら
れない映画でもある。
そして製作者側の思惑、子豚を笑い、反対に笑われる人間、そうそう意地の悪
い猫の性格の歪みは、やっぱりなぁ、猫は大体にしてそういう性格付けをされる
存在と「ハリーとトント」の後に書くと、トントもあの意地悪猫の性格を有している
とも・・・。
それにしても子豚を主人公でその目線で描くと、子供の目線と同じで薄汚れた
大人の醜さも、笑いに包んで皮肉っていると感じられる。
家畜と野生動物とも、宿命的には同じ・・・。
ここで「鯨」問題が思い出される。家畜は殺していい、だが鯨はいけない。
子豚のベイブは「そんなのは人間のエゴだ、豚だって鯨だって同じ生き物」
と、差別を叫ぶ・・・、かな。
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といったところで、またのお越しを・・・。