許されぬ行為を行ったのは誰「許されざる者」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き


冬季オリンピックが始まって、話題はこれに集中している感があるが、その中でえらく集中

的にマスコミに取り上げられるのが、選手の服装問題。

一人の選手の服装のだらしなさが報道されると、その姿と会見の不遜さが国民感情に火を

点けて、集中砲火を浴びる結果となった。


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開会式を欠席することになったスノーボード・ハーフパイプ男子代表の国母(こくぼ)和宏

(21=東海大)は、その態度も問題だった。
入村式後の会見で服装について質問されると「チッ、うるせーな」とつぶやき、「反省して

ま~す」と笑顔すら見せた。
日本オリンピック委員会(JOC)には12日朝から「スポーツマンらしくない」「国民の代表

としてありえない」など電話約50件、メール約500通の抗議が殺到。
SAJにも約30件の抗議電話があり、内容はバンクーバーの選手団本部に伝えられた。
林監督は「SAJとしての処分ではない。(国母は)今回の件で精神的に参っている部分

もあるし、反省の意味もあるんじゃないかな」と説明したが、開会式欠席は事実上の

“懲罰”。 しかし、スノーボード陣は06年トリノ五輪でも態度の悪さが指摘されており、

コーチ陣の選手管理が甘いと言われても仕方がない。

http://www.sponichi.co.jp/sports/flash/KFullFlash20100213015.html


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それでも試合が始まりと同時に、サイドストーリーがマスコミに披露されれば、とたんに

その雰囲気が変わり、「頑張れ」と、結果は残念なものとなってしまったが、それでも

バッシングからの好感度はマスコミのお陰、しかしそのバッシング端緒の元もマスコミ

にある・・・。

さて、この場合騒動を引き起こし本人のイメージを、上げたり下げたりを操作出来たのは

どこだろう・・・。

騒動の時は、「許されるものでない服装や会見」は、誰が仕掛け見るものの感情を左右

させるか・・・。

で、このバッシングの「許されざる者」は一体誰か・・・。

というところで思い出すのが「許さざる者」という映画である。

邦題のつけ方には「許さざる行為」を行った者はという意味も込められていようが、果たし

て誰が「許されざる者」だろうと、見終わった後にも考えさせる深い意味のある映画では

ないかと思う。

ただ今回の騒動について言えば、服装は頂けないし会見も芳しくない。

何より「税金」によって派遣されているという前提が、人物の行動も規制してしまう・・・。

自費で参加しても「国の代表」にはある程度、制約が課せられるものだろう。

と、自分自身、国際大会の時の思いを振り返れば、国旗を付け試合をし勝てば、普段と

全く違った高揚感があり、より感激する・・・。

と、まぁ、うん十年前を振り返ると、税金によって派遣されたという事実には、「駄目な行為

は誰にも明らか」である。それこそモラルの問題はスポーツの成績を超えると思う。


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http://www.youtube.com/watch?v=j3ZaeAq8ImY

「許されざる者」 九十二年公開作


昔のアウトローの生活から足を荒い、堅気として貧しい生活を送る

ガンマンの元に、賞金風気の若者が尋ねてきて、現実の貧しさへの

嫌気と生活の向上に金の存在から、昔取った杵柄で賞金稼ぎに再び

舞い戻る老齢のガンマンと、その相棒が賞金首を追いかけてやってきた

町には、法という正義を振りかざして履行するには暴力も辞さない保安官

がいて、その強権にガンマン達は内心面白くない感情を湧きあがらせる。

それでも賞金首を撃ち殺し、金を受け取る。

だが本来がフウトローの行動が、この保安官と対立するのは仕方のない

正義と裏家業の精神性・・・。

それによって相棒が殺されてしまうと、ガンマンは復讐をと当然な感情囚わ

れ、対決へと・・・。

と、物語も良く練られたものだが、ここは配役の妙がこの映画を際立たせ

てくれる。正義を押し捲る保安官にジーン・ハックマン、そして相棒はモーガ

ン・フリーマンと役者が揃えば、西部劇の面白さに社会的敗者と取られそうな

「売春婦」の被害と開き直った強さやら貧困から来る精神の弱さやら、そして

何より正義という暴力は許されるか、といってアウトローは社会的に認知され

るか、そうすると物語の「許さざる者」は一体誰か・・・。

と、イーストウッドは社会的欺瞞と底辺にあえぐ人々の不満と心意気、そして

家族の絆と、アウトローでも家族には心優しいし、また正義を貫く保安官も普

段は「日曜大工を楽しむおっさん」として描けば、誰にも「許される」行為が存

在し、しかし軋轢は起きて、生死が分かれる・・・。

単純明快な西部劇からすれば、ややもすると思いテーマを扱っているのだが、

それを感じさせないテンポと展開に示されるエピソードで、当時の雰囲気は

こうであったのかもと思わせる構成は素晴らしいし、西部劇の醍醐味もたっぷ

り味わえる申し分ない作品である。



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それもこれも、イーストウッドがスクリーンで感謝するような「荒野の用心棒」の

セルジオ・レオーネやら「ダーティーハリー」のドン・シーゲルとの出会いが、後々

のこういった作品へと発展していったものだろう。


で、今回の騒動もそうだが、火をつけて騒然とさせ、そしてそれが過ぎれば「火

消し」をしてしまう「洗脳」を試みたようなマスコミの薄汚い手法もには、空恐ろしい

空気を感じてしまう。

この場合には「許さざる者」はマスコミであるで良いように思うが、それでも情報源

としてのマスコミもまた必要不可欠である。

そこに答えの出ない設問が存在するを認識させる・・・。


許されざる者 [DVD]/クリント・イーストウッド,ジーン・ハックマン,モーガン・フリーマン
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Amazon.co.jp                   といったところで、またのお越しを・・・。