善良な好奇心がいつかしら・・・「狂へる悪魔」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

「ジキルとハイド」という古い小説は、変身という人間の願望と善人と悪人という

相反する性格を人間が併せ持つ、それを善良な医師と粗野で野蛮な人間の

対比として、しかし人間はその相反する性格に憧れも抱き、「ばれなければ、

変身した自分が嬉しくて・・・」という、一枚の上着を脱ぐかの軽い変身に心躍る

ものである。と、あちらの生活の中にある、ある種のジレンマを描いて大評判を呼び

それが映画創生期に映像化、題材の面白さで何度も映画化された作品である。

そんな中で、小説という活字文化に映像という形で「目に見える変身」を苦労しながらも

無声映画なのに、バックの音楽と共に「変身願望」の行き着く哀れさと悲劇として描いて

活字の世界を映像というもので巧く表現していたのが、この「狂へる悪魔」ではないだろうか。



流浪の民の囁き-狂へる悪魔


http://www.youtube.com/watch?v=cwpnqy7iHzI

「狂へる悪魔」 二十年公開作


善良で皆から慕われる名士としての存在と、場末の飲み屋でごろを巻く低俗な女達の

放つ「劣情」や、その周りを気にすることなく暮らす怠惰な生活への願望が、「変身」という

もので叶えられるとしたら・・・、その誘惑は計り知れず、薬開発へと邁進させてしまい、

とうとうその薬を開発し、変身を遂げた時の「喜び」には、善悪で言うえば「悪貨が良貨を

駆逐する」という喩えが、如実に現われていて善悪表裏一体の存在が人間である。

という、普遍の邪悪な心を誰もが持っている・・・。そして全く違う自分に酔いしれてしまう。

勿論、結末は大概の人が知っているように悲劇的な終わり方をしてしまうが、そこに流れ

ていた音楽は、うら悲しくも格調高く、声のない映画を飽きさせることなく、最後まで見せていた。

今見れば、退屈である物語も苦労の後が伺える変身シーンなどには、はっと驚かされるし、

何より九十年近く前に、こういった発想で小説を忠実に映像化したのは、人の知恵と好奇心の

なせる業であろう。

それに付いて、以後に続く人々に多大な影響を与えたと思うだけに敬意を表する・・・。



流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=L2qOW3R3fus&feature=related


仔細は分からないが「変身」に対する特撮が微笑ましいもの。




流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=sS_LsiQJIfw&feature=related

「ジキルとハイド」 

スペンサー・トレイシーとイングリット・バーグマンという共演もものだが、

ここでのバーグマンの配役は、ミス・キャストだろう。



http://www.youtube.com/watch?v=_W1yjbxUyRE&feature=related

「ジキルとシスター・ハイド」 七十一年


映画化が多くなれば、変な解釈もありとなって変身するが、それが「女性」へと

なって、男性の「スケベ心」に足を運ばせる、いやエロチックなものとして、人間の

俗悪な性根とは、こんなものであると品もなく描く・・・。

発想は面白いのだが、それを大真面目にやっていると、いい加減ウンザリ・・・。



流浪の民の囁き



http://www.youtube.com/watch?v=VDAtBPn3arY

「ジキル博士とミス・ハイド」 九十五年公開作


同じような発想でも、こちらは笑いを取ることに終始する「御馬鹿映画」

であるだけに、白人らしい笑いの発想が随所にちりばめられている。

こういった後に残らない「笑い」であれば、上の「同一性乖離障害」的思惑

を孕むと、原作の人間の二面性からの新展開には無理がありそう。

やはり小説を書いていた時期、妄想するに善良な人でも「悪」に対する憧れ

があり・・・、勿論そこにはキリスト教の教えも根底に見え隠れするが、時代が

流れても、あまり突飛な解釈をされると、ついていけない・・・。

そういったものは笑いで誤魔化す、あるいは笑いに変化させる。

それが小説のイメージを傷つけることなく、見て貰えるものでは・・・。


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