何の隔たりもなく、教育に勤しむ「チップス先生、さようなら」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

そろそろ卒業シーズンである。

学び舎を巣立つ子供達の感慨も一塩だが、教える側の教師にとっても送り出す生徒が

自分のこどものような気がして・・・。

もっとも日本には、そんなことに頓着せず「国旗・国歌」にえらく反発を強め、旅立つ生徒

の思いも踏みにじる「トンデモ教師」もいて、生徒の中には不愉快になる人もそして保護者

にもと波風をたてる聖職者もどきも紛れ込んでいるが、学び舎でどのような先生が生徒に

好まれるか・・・。

というか記憶に残るのは、やはり自分を持つ人間としての教師・・・。

くそ真面目で冗談一つ言わない面白みのない先生が、実は大変慈愛に満ちていて、そして

何より生徒に対する思いやりが人柄に現われてと、生涯一教師として過ごした男の物語が

この「チップス先生、さようなら」である。



流浪の民の囁き-チップス


http://www.youtube.com/watch?v=npMlOePl0aY

「チップス先生 さようなら」  六十九年公開作


主演のチップス先生をピーター・オトゥールが演じて、前作の三十九年版と趣旨を

かえてミュージカル仕立てにしあるものだが、そこは原作の雰囲気は踏襲して、ストーリー

途中の戦争を、第一次から第二次に変更しているが、その大戦の犠牲に最愛の人が・・・。

ここの場面は、このピーターの人格が躁鬱と切り替わるとても切ない場面に仕上がっていた。

厳格で教育熱心なったく面白みのない教師像が、女性との出会いから本来の性格を現せば

生徒の見る目も違って慕われる先生と・・・、ここらは元々持っている資質を知り合った女性が

開花させてやった功績、その最愛の人を失ってもなお、一教師として八十歳になっても、朝の

挨拶に学校へ向かう・・・。

ここで流れる自戒の歌みたいなものに、このチップス先生の誠実な性格が現われている。

「誠実であったか・・・」教えるという行為のその裏に隠された相手の理解度とのギャップにも

考えは及び、人と人の繋がりがなにによって育まれるかを、静かに教えている・・・。

と、この映画は地味なのだが、有り触れた日常からの学びにはそれも幼い時期の学びは、生

涯に渡って、その人に影響して行く・・・。


と、誠実だった「チップス先生」とは、相容れない自分の思想・信条を押し付けて教師でなく、

教育労働者であるとのたまう人は、呑気に訴訟を起こして自分を顧みない・・・。

そんな者に教わっていた生徒こそ、えらい迷惑だろうに・・・。

というのが、下の記事。



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東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制に従わなかったことを理由に処分された

都立学校教職員六十六人が、処分取り消しなどを求めた裁判の第四回口頭弁論が

十八日、東京地裁(中西茂裁判長)で開かれ、精神科医の野田正彰・関西学院大学

教授が原告側証人として証言に立ちました。裁判は第一次分(原告百七十二人)に

続くもの。野田氏は、一次、二次の原告十三人への面接等を通じた鑑定意見書に基

づいて日の丸・君が代」の強制で原告が受けた精神的苦痛について証言しました。
同氏は、強制によって子どもの納得のもとに教育をすすめるという「教師としての職業

倫理」が打ち砕かれているとし、「家族や自分の命を失うのと同じぐらいの喪失」だと

説明。 職業倫理の喪失感は、君が代斉唱時に起立した人も不起立の人も同じだとの

べました。原告全員にたいするアンケート結果から、卒業式、再発防止研修が極度の

精神的重荷となっていると指摘し、それが毎年繰り返されることから原告の精神的苦

痛は激しく、「君が代症候群といえる」と語りました。
■卒業式祝辞「不適切」 一審判決を踏襲 教諭の請求棄却

前任校の卒業式での祝辞で「いろいろな強制のもとでも自分で判断し、行動できる力を

磨いてください」と述べた都立高校教諭(60)が、東京都教育委員会に「不適切」だと

され「指導」の措置を受けたのは言論・表現の自由に反するとして、都に損害賠償を求

めた裁判の控訴審で東京高裁(柳田幸三裁判長)は十八日、教諭の主張を退けた一

審判決を支持し、を棄却しました。
判決は教諭の発言について
「卒業式に国旗・国歌をめぐる対立状況の一端を持ち込むかのような印象を与えかねな

い」とした一審判決を踏襲。「以前に同校に勤務していた現職教員の立場での発言であり、
校長の監督権限が及ぶ」としました。
報告集会で原告側弁護団は「なぜ監督権限が及ぶのか、表現の自由が制約される法的

根拠は何か、まったく答えていない」と批判。
原告の教諭は「こちらの主張をまともに検討した形跡がない。本当にひどいと思う。
あたりまえの一言をねじまげてとらえている」と述べました。
教諭は二〇〇五年三月、前年度まで勤務していた都立高校の卒業式で来賓として祝辞

を述べました。都教委は勤務校の校長を通して「来賓としてふさわしくない」
とする「指導」を行いました。

しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-19/2009021914_03_0.html

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この記事を読んでいると、年の割りにさばけない人に哀れさを感じてしまう。

「君が代病症群」だと自らいい募り、それでいて公金である税金で禄を食む。

「派遣切り」で行き場がない人と、税金を食みながら「私は病気だ、強制させられて

病気になった、思想・信条の自由がないと、家族を失ったみたいな喪失感が全身を

覆う・・・」って、高校生は「あきれてるぞ」と、そっと耳打ちしたなる。

それが教育とは、自分を律してから教えやらなければ、覚えるものも覚えないで、

反面教師ならまだいいが、「あんなことしても、クビにならない職業」は羨ましいでは

労働否定を教え込んでいる「税金泥棒」呼ばわりされるだろうに・・・。

それでなくとも、勉強に限らず「教える」のはとても神経がいるはずだ。

自分が正しいか、自答しながらの教育者は多い。たそんな人の教えの方が良く伝わる。

こういった教師像は、もうその「教えることに誠実だったか」はないのだろうから、転職して

派遣になって、叫べばよい・・・。そうすれば「君が代病症群」とも別れられる・・・。


と、まぁ、この記事で「チップス先生」を思い出したわけではないが、厳格でありながら自答

自問する姿こそ、教育者の「鏡」ではないのだろうか・・・。

何しろ人間は、馴れたことには神経を配らなくなる・・・。しかし生徒は「一期一会」な存在で

その期間だけなのだ。



関連エントリー 「いつも心に太陽を」

http://ameblo.jp/django0116/entry-10040855095.html


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