真贋を見誤るマスコミの危険性「靴をなくした天使」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

災難に遭遇した人々を救ったヒーロー、それを大々的に報道するマスコミ、しかし

そのヒーローが偽りのものであったなら、そんなマスコミを裏でおちょくり、ヒーロー

という概念に対してのアンチテーゼを巧い具合に織り込んで描いたのが、この映画

「靴をなくして天使」である。



靴をなくした天使


http://jp.youtube.com/watch?v=P6E75bbW5O8&feature=related

「靴をなくした天使」 九十二年公開作


主演はどんな役でもそつなくこなし、名優の呼び声高いダスティン・ホフマンで

これがドジなこそ泥で仮保釈の身で、息子を動物園へ連れて行く約束を履行し

ようと車を走らせていれば、つくづくつかない男は、ここでもエンストしてしまって、

その上、そこに飛行機が墜落してくると、絵に描いた出来事から始まる・・・。

で、ここからこそ泥がとった行動がヒューマンな物語を牽引していく。

先を急ぎながらも放って置くことが出来ず、川に落ちた飛行機から、乗客を助け

出し、それでありながら礼を求めず、気が気でない息子との約束に気が急いて

現場を離れてしまう。片方の靴を残して・・・。

ここらからはシンデレラの男版みたい、それも格差の象徴のような軽犯罪者で

あっても人間性は稀有に清らか。

そして巧い具合に助け出された乗客の中にテレビレポーターがいて、「男版シン

デレラ」を報道で公開捜査すると、一躍視聴者にはシンデレラ・ヒーロー、そして

その人物に百万㌦の賞金もで、片方の靴を持つ人物が名乗り出て・・・。

またその人物がホームレスでありながら、ホームレスの惨状に対して窮地を訴え

るとこちらもそれこそ善良な人物だが、自分で偽りの人物に祭り上げられるのに

いたたまれず自殺未遂をと、そしてレポーターもこのホームレスに心寄せながら

ニセモノを感じてしまって、その報道と虚偽と実相に苦しむ。

そこに真のヒーローである男が起こした行動は・・・。

と、空恐ろしいヒューマンなファタジィー・ドラマで、すべての人が善良でありながら

真贋に躊躇することなく報道してしまったマスコミの力によって、それぞれに悩みを

抱えてしまう。

最後はこのダスティン・ホフマンがアンディ・ガルシア演じるホームレスに、救いの手

を差し伸べ、偽は偽のまま・・・。

そして真相を知るのが息子だけで、いくら頼りなくとも息子にとって父親は、いつもヒ

ーローであると、泣けるラストを用意して、ほのぼのとしたストーリーを締めくくってい

るものである。アメリカらしい映画になっている。


で、ここでの視点はやはり、マスコミの対応がやはりというか、アメリカにおいてマスコミ

人はあまり信頼されていないで、嫌う職業の一番にジャーナリストが上がっているのだ

が、それを観客は笑いながら納得している。

これが日本となると、こんなヒューマンでなく捏造・偏向・情報操作と、何でもありで、

美談に仕立て上げるのは、卑しめると同じくらいにしたたかに行なってしまう。

もう誰でも朝日・毎日の報道に信頼を置く人はいないだろうが、こういった映画でも真贋

について、さぁ報道してしまった後に、これは違う・・・、その時、マスコミは・・・

誤報を真摯に打ち明けるか・・・、勿論日本では否であり・・・、と、低俗な人物が書く低俗な

読み物と化している。

ネットの発達が、真贋のさまや作られた美談を糾弾して、それなりにマスコミのいかがわし

さは広まり、その広がりがマスコミを正していくだろうが、これまで長い年月をかけた事柄に

対して、さて真摯に向き合うことが、今のマスコミに出来るか・・・、これも否であろう。

そうなると日本の国民は、物事の真贋は自分で判断しなければならなく、それがマスコミの

いかがわしい思惑を粉砕する原動力になるしかない・・・。

と、こんなヒューマンな心温まる映画からも、心を冷えさせるマスコミの危険性が浮かんでくる。

ヒーロー 靴をなくした天使
¥1,799                         といったところで、またのお越しを・・・。