追い詰められた惨劇「丑三つの村」「八つ墓村」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

起こるべきして起こってしまった惨劇とでもいう、寂れた村での実際の事件を題材にして

推理小説にしたためた人もいて、片やノンフィクション小説として犯人の心情を綴った

小説にしたためた人もいて、それがどちらも映画となった。



丑三つ


「丑三つの村」 八十三年公開作


実際に起こった戦時下での三十人惨殺事件を、西村望が小説にしたためたものの映画化

こちらはノンフィクションと銘打つだけに、犯行を企てた男の心情に迫り、惨劇への道程が

克明に描かれている。

だけにともすると、描写は過激になり特に「夜這い」という大らかな性への因習が、この男に

とって一種の安らぎとなるものが、戦時下での「結核」患いにより兵隊失格という烙印から、

村八分に追い遣られ、まして性と恋愛を区分けできる聡明さが、血の伝統性を尊ぶ古い

価値観への破壊へと向かい、追い詰めていくさまを暗い映像に良く描いていた。

因習と羨望にも似た村人の囃し立てと、一転する白い目の迫害。

それらが追い込んだ惨劇として、人生を諦め怒りを込めて次々村人を殺害していく。

そしてその行為が、本人にとって戦争に行けなかった者の戦い・・・。

もろ理不尽な行為が、丹念に男の心情を追って行くと、頷ける凶行となってくる。

今では不法侵入・強姦である犯罪行為が、夜這いというオブラートに包んだフリー・セックス

には、性に対する大らかさが垣間見られ、知っていながら沈黙する奥ゆかしい心配りとも

見ることが出来る人間の豊かさも感じる。

閉塞した村での生活と、種の存亡には個人がなく、公的な役割として「夜這い」という暴発を

防ぐ因習、そう捉えれば村人は暗黙の了解事項をわざわざ口にしない。

そんな精神性の豊かさと、相容れない世知辛い告発という・・・。

しかしこの男の村での立場は、「兵隊になれない男」で一気に失墜し、全く無視を決められて

保つ精神に異常をきたす、これを因習・怨念では解析出来ないものだろう。

ただ、血の濃さによる正反対の価値観が、以前は存在しそれによって人権も保たれていた。

それが言い悪いでなく、自然に生き、そして集落を形成し、そこから落ちこぼれれれば生きて

いけぬ残酷さも持ち合わせた村社会を理解させてくれる。




八つ墓


http://jp.youtube.com/watch?v=9iiVpa4pvmg

「八つ墓村」 七十七年公開作


こちらは横溝正史の原作の映画化で、上と同じ事件を題材にミステリーに仕立てたもの。

こちらは勿論、上のようには赤裸々な性は扱わず、そこに落ち武者狩りというそれ以前の

事柄を綴って、オカルトチックな映画にしたためてしまった。

ここらは原作を尊重することなく、より観客にアピールする手法とも取れるいかがわしさが

鼻につく。

サクラ満開の下、山崎努演じる狂人が、上と同じように惨劇を繰り返すのだが、こちらは

そこへの道程はどうでもよく、怨念・祟りと一くくりにして、凶行を演じさせる。

まぁ、映画にするに脚本によっては、原作イメージは、書き換えられ作品としての映画。

それが色濃く出ているものだが、怖がらせるに拘りすぎた陳腐さは否めない。


人間の集団からの疎外感、そして国民が一方向に向かった時、それから落ちこぼれる

個人の焦燥感、それが文化流通の途絶えがちな村落であれば、孤立感は相当に際立ち

その鬱積がどこかに向かう原動力となる。

人生を諦め自暴自棄に陥った人にとって、殺害という行為が自分を立証する手立て・・・。

あの「元厚生次官殺害」には、広い社会になったとしても、同じような孤立感が感じられ、

こういった映画に、そういった原点がありそうで考えさせられる。

丑三つの村 [DVD]
¥3,032
Amazon.co.jp                  といったところで、またのお越しを・・・。