絵空事の平和よりは・・・「皇帝のいない八月」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

自衛隊によるクーデターという、ショッキングな想定を軸にして展開される政治

及び軍人と似非平和を謳う業界紙記者を対立軸にして現状に不満をもつ人と

それを利用する人、そして狭間に翻弄される人と群像を描ききれなかった映画が

この「皇帝のいない八月」である。



皇帝


http://jp.youtube.com/watch?v=VUFwZS6G4jU

「皇帝のいない八月」 七十八年公開作


原作をベースにして脚本では、それに色を膨らませて、陳腐な恋愛を織り込み

クーデターを行なうのに、こんなお粗末はないだろうと、呆れ返る分ブルートレイン

を占拠した部隊のサスペンスとみれば、それなりに楽しめるものとなっている。

計画の発覚がトラックの事故で、パトカーへの発砲では、そりゃすぐに発覚するわな

とか強姦とか、それとの恋愛とか、殺ぎ落とせば緊迫した革命に命をかける青年の

生き様として、観客の共感を得る・・・。

ただ映画を作る会社、そしてそれを監督する人、あるいは宣伝を担当する人からの

注文を聞けば、「なんだ、この映画」のぐたぐたさは出てきてしまっても仕方がない。

そのぐたぐたさの最もたるものが、山本圭演じる記者の「平和主義」

ここには意図してこういう登場人物を挿入して似非反戦をアピールしているかのようだ

が、この記者という人物、女を盾にしていたり、確信のない平和を盾にしたり、そして

何よりなのが戦うのではなく、逃げ回り挙句の果ては「他人のせい」が顕著になりと、

卑怯極まりなく、ああこういう人物が、普段は似非平和を語るのかと、このぐだくだの

映画の一番の収穫・・・、配役もいかにもインテリといったキャラクターで、一人前の

言論を駆使するのだが、危機が迫れば・・・。

もっとも脚本にヒーローたりえる要素を加えたくないのか、どこかピンボケのクーデター

として、主役に喋らすのに、抽象的言論のみで決起したとしているのだが、命をかける

人物がそんなはずはある訳ない。

まぁ、クーデターを引き起こすにも杜撰な計画とか、武器の軽重とか、最初から破綻し

ている物語であり、起こり得ないと見終われば思えるが、ただ自衛官の置かれている

境遇には、忸怩たる思いもあるのではは理解出来る。


とまぁ、この映画は杜撰な脚本と製作者の思惑が、映画自体をぐたぐたにしたものだが、

敏感なものに対する日本人の腰の引け形は良く分かるもので、記者の「他人のせい」

には、マスコミの社会不安を煽る醜悪な面をひけらかしていると、見て取れる。

自衛官の「言論統制」での発言が、マスコミによって一斉攻撃を受け、論文が稚拙だと

かと、知ったかの言い方が多かったが、実際に「核武装」とかの議論に発展しても、現状

は特亜から「なめられた状態」であるなら、議論をすることも有意義ではある。

それが逃げ仰せなら女を盾に、そして姑息に生き延びようとする物陰から叫ぶ「平和」

には反吐が出てくる・・・。

と、反体制だったら、タイのように実行すればいいものを、ぐたぐたと文字にするその

卑怯さに、この山本圭の卑劣な記者が重なった・・・。

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Amazon.co.jp                   といったところで、またのお越しを・・・。