日本的不明瞭恐怖の極致「犬神の悪霊」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

便乗映画というものが、ともするとカルト的人気を博すのは、それらしく作る

過程と、その後の編集によっては観客が混乱する、あるいは怒り出す、また

辻褄の合わない作品のチグハグさを観客が、製作者を思いやりと博愛主義

的見方が出来てしまい、そこに愛着を持ってしまう。

この映画も、勿論時のオカルト映画のヒットに便乗したものだが、そこは監督

と製作者、編集者の入り乱れがあるのか、丹念に見てしまうと・・・。



犬神の悪霊


http://jp.youtube.com/watch?v=FzGYnrtiW-M&feature=related

「犬神の悪霊」 七十七年公開作


題名からしてもろ便乗のそれだが、そこに東映という映画会社の社風かはたまた

製作者の意向か、悪霊をたたりと読ませて、和洋折衷の曖昧さと、それを発注した

脚本担当の反体制的言動が絡まると、因習・差別的社会批判も手伝って、ごった煮

的カルトと相成って、恐怖という概念が更に増してくる。勿論映画の内容が恐怖なの

であって、作品自体のチグハグさにあるのではない。

実際、脚本が練られていれば、差別や因習の恐ろしさをもっと表現出来たはずであり

日本の湿った風土にあった芯に恐怖を覚える「怖さ」は出せたのではないか・・・。

しかしとれも中途半端だから、洋画の残虐さをパクリ、いたいけな少女を登場させ、犬

憑きに仕立て上げ、摩訶不思議な映画の出来上がり。

しかしその摩訶不思議さが、丹念に見ていれば「あれっ」なのだが、有無を言わせぬ

乱暴なカット割が、それらに息吹きを与えて、ただ単に恐ろしい現象として怖さを見せて

いる稀有な例になっている。

ここらにカルト的人気も集まる余地がありそうで、怪我の巧妙かと思える。

それにしても今では、こんな「村八分」を扱うのは憚れそうだが、七十年代は大らかだった

とも取れる扱いの酷さ、にしても「犬神」とは、狐憑きの変形か?。

東映の製作者を調べたら、これの前はポルノまがいのものばかりの人だからこそ、女優は

そちらの演技も要求出来る人を当て、怖さに潜む色気もと欲張っている。

野犬の群れにやられる人なんても出てくるのだが、どう見ても雑種の犬の群れに見えず

といってドーベルマンは怖い・・・。なんて・・・、ねっ。

犬神の悪霊
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