破天荒な人間の死にざま「仁義の墓場」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

終戦という日本にとっては「敗戦」の戦いの前後に、国思うでなくただ単に自分の生き様

だけが、いや生来の「暴力性」のみが価値観の男が、任侠という縦社会を無視して暴れ廻り

そして最終的に麻薬中毒から自分自身に絶望して、自殺を遂げる「実録」と銘打った暴力

礼賛とも映る物語を、バイオレンス一辺倒の美学を持つ深作欽二が撮った作品が、この

「仁義の墓場」である。



仁義の墓場


http://jp.youtube.com/watch?v=Nyw0OW6tQ7o&feature=related

「仁義の墓場」  七十五年公開作


東映の「任侠」ものの衰退を受けたあとは、「仁義なき戦い」の実録ものが大ヒットして、

この映画も監督の撮りたらない人物として、再登場したもの。

前作は菅原文太だが、今回は渡哲也が演じている石川力夫は、生家の茨城を離れて

新宿に流れつきそこでテキ屋の厄介になる。

「俺はヤクザになる」の言葉通り、十六才でその道へと・・・。

この石川の「無軌道」ぶりを、乾いた暴力が好きな監督、ここでの乾いたとは、これま

での仁義という日本的湿り気の「我慢に我慢を重ねたが、もう限界だ」のある程度理性

のある暴力とは相容れない理不尽・不条理な個の人間の「欲望・嫉妬・恨み」と、八つ

当たりでも、また妄想でもその人間が暴力という行動に駆り立てる原動力が常人には、

いや個々人にあってそれを押さえ込む理性の欠如が限りなく「他人を傷つける」ことに

こそ、発散があるとする論理がまかり通ってしまう完全な「アウトロー」同じ暴力犯罪で

も、湿気と渇きの違いが、画面に踊っている。

題材として、この主人公の破天荒で狂犬になぞらえる「自分」の無軌道さは、結局は自

分自身で「身を滅ぼす」まで続く。

この精神性が、暴力に対する思い入れが強い監督にすれば、相当に魅力的な人物、

性格は破綻しているのだが、その「生き様」には憧れにも似た感情が伺える。

「見えない鎖」に繋がれたまま、それへの不平・不満を押し隠し生活する至極く真っ当

な社会人とは、まったく違った自分の権力構成には「暴力」しかない。

無軌道というより、こんな自分自身の「信条」で、なんにでも噛み付くのを画面に映し出

すのは、ある意味暴力礼賛、とそれを反面教師としての人間の惨めさを内在して、観

客に強烈に訴えかける・・・。

そしてこの主人公の辞世の句「大笑い、三十年の馬鹿騒ぎ」にこそ、人間性が溢れている。

自分の生き様は結局は「笑うしかない、惨めなものであった」の豪気のうちにある弱さを吐

露している。と、読める。


と、この映画を思い出すのは、「年金テロ」と報道が過熱しているが、それらを見ている度

に、人生に絶望した人間の自分ではもう切り開けない人生を終えるに当たって、他人を傷

つけても賞賛されるには・・・。

と、うがった見方も出来るからだ・・・。

もっともそれとは全く違って、金のためなら無関係の人間だが、依頼があれば無慈悲に

殺害出来る神経の持ち主、こちらの方が余程戦慄しなければならないが、経済的に追い

詰められ、「ヒット・アンド・ウェイ」が出来る人達もいて、差別主義で洗脳されていれば、社

会正義を取り戻す警告と警鐘・・・。

まぁ、想像するのは自由だから、そんな考えも頭に浮かぶ。


にしても「実録シリーズ」と銘打った東映の映画には、湿気が少なくなり乾いた空気がスク

リーンを覆い始める端緒となって、これ以降どこか付いていけなくなった・・・。

仁義の墓場
¥4,053
Amazon.co.jp                といったところで、またのお越しを・・・。


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