愚行に翻弄される庶民「芙蓉鎮」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き


日本の左翼報道機関「朝日新聞」などが、中国の「マオの大虐殺」なの

に絶賛していた文化大革命という「粛清」によって、それまでの平穏な

生活を狂わされる庶民の暮らしと引き裂かれる夫婦、それらに翻弄さ

れる女性に焦点をあてて描いたのが、この映画「芙蓉鎮」である。



芙蓉鎮

http://jp.youtube.com/watch?v=ZzYW4dQicjg

「芙蓉鎮」 八十七年公開作


一人の女性の暮らしに焦点を当てながら、徐々に変わる国の体制変化が、

善良に懸命に働くだけではどうにも出来ない庶民の悲哀と共に、その中で

も必死に育む愛情と、その思想を隠しながら「アホ」を演じ力強く生きる理

想主義者と、ともすれば体制批判も交えながら、中国の文革当時の農村

地帯での庶民の生活を活写している優れたものとなっている。

物語自体は田舎の淡々とした地味な暮らしぶりの中に、あの愚行が入り込む

恐怖を静かに、しかし端的に描いて見せ「文化大革命」と表される虐殺の様を

極々一般の庶民の扱いにおいても、平穏を乱したのが何であったかを、静かに

訴えかけてくる。

これを書くにあたって、思いだしたのが漫画「カムイ伝」である。

「カムイ伝」は、日本の封建時代の非人と呼ばれて蔑まれた人々の苦難と反発

の中から、自由を求めて強さを身につける「カムイ」の人生を通して描いた白土

三平の漫画で、七十年代に特に左翼系の学生に人気のあったものである。

そう差別とか権力とかへの反発が、その描かれている境遇にシンパシィーを

感じて・・・、なのだが、この映画にもそれと同じものを感じる・・・。

で、横道へずれるが、それを書いたのがあったので、再掲載。

一年半以上前に書いたものだが・・・。


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今の中国の国内事情は、民の大部分を占める農業世帯に
格差が拡がり、政府の強引な施策に不満が溢れている。
そして争議の直訴が、増えている。それは「カムイ伝」の百姓一揆に似て・・。


sogi001


報道規制がある中国の国内事情を、良くレポートし民主化を
推進しようと、がんばっいるサイトがある。
「大紀元・日本」という下記のサイトだ。

http://jp.epochtimes.com/

この中国の動向は注目していかねばならない。
とてつもなく環境汚染が拡がり、包み隠さぬこのサイトのお陰で、
現状が良く把握できる。
そして脱党行為推進が、静かに広がりを見せている。
一党独裁の弊害は、著しい貧富の差を生み、人権がないがし
ろにされている。
この日本だってあの「天安門事件」以後、西洋諸国が非難を
続けているのに反して、天皇陛下を利用して訪問させ、中共
の立場を擁護するような、あの事件で傷つき挫折を味わって
いる人々をも、反日へ傾かせてしまった。
そして民衆の不満は、膨れ上がり武力、締め付けで押さえ込
む共産党の支配意識は、より強烈になりつつある。
あの「南京大虐殺」は、自国民の憎悪を日本に向けさせる。
しかしこの「大紀元・日本」のような、情報公開が続けばやが
て抑圧された人々は立ち上がる。
あの「カムイ伝」の百姓達の憤りと、中国農民の怒りはとても
似ている。しかしなんという時代格差だ。
日本の江戸時代と、現在の中国農民が一緒などとは・・。
しかし早く民主化されねば、環境汚染はとどまることなく広が
り続け、日本にも食の加工品として、病弊させる結果が・・。
マスコミの力が期待出来ぬ現状は、微力ながらも危機を訴え
なれば後世に・・。

http://erath0515.at.webry.info/200701/article_26.html
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映画が描く権力構造が、共産主義というだけで江戸時代の封建

的制度と変わらぬ構図は、いかがしたものだろう。

文化大革命当時持て囃した日本のマスコミの結局、安全地帯からの

わめきにも似て、今では顧みる人も、第一自分達で当時を振りえるこ

ともなくで、いまだに「戯言」を垂れ流す姿勢では、いかんともし難い。

ただ視点を変えると、あの当時日本のマスコミが囃し立てたのは、

中国でなく国内の混乱を嬉々として喜ぶ勢力があったと解釈すれば

すっきりする。

ようするに日本でも中国でもなく、最貧国であった朝鮮半島の不満分子

の混乱運動とすれば、より分かり易い。

先日亡くなったニュースキャスターの日本憎悪も解釈出来るし、その他

不満分子の策動にまんまと乗せられた善良な市民・・・。

そうでなければ、この映画に共感は出来ないだろう。

中国の擁護する人々は、結局権力志向がなければ、まさかこの映画の

庶民を救う運動をするはずもなく、権力にすがる・・・。

それが日本でなくて、中国・朝鮮であるという点で、結局は文化人とかの

仮面をはげば、権力に吸い寄せられる、あるいはそこにしか興味がない

人々・・・、でなければ、あの権力が転がり込み、そして流転のはて「発狂」

してしまう共産党幹部になった男と同じ精神構造は共有出来ない。

発狂するのも、自分の立ち位置が、あるいは人間の生き方が定まっていな

い純粋な人と見ることも出来る。

しかるに発狂もせず、ぬくぬくと生きていける精神は、どこか人間的な欠陥が

あるからとね解釈出来る・・・。

流石にブン屋は、昔も今も人々に嫌われる職業、そこで培う精神構造は、まと

もな人には、到底真似が出来ない・・・、という結論が、この映画でも如実に描

かれている、権力に擦り寄る穢れ者・・・。

芙蓉鎮 全長・公開版
¥4,536                          といったところで、またのお越しを・・・。