異形の悲恋「ノートルダムのせむし男」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

フリークスをメインにして、社会の格差や人間の尊厳、醜悪な影の部分とか横暴な

振る舞いに翻弄される人々と、外見の醜さと相反する純粋な性格を持つ者の、悲恋

を見せ付けて、観客に「痛い」という感情を想起させる映画が、この「ノートルダムの

せむし男」ではないだろうか。



ノートルダム


http://jp.youtube.com/watch?v=phxsDnRUoKo&feature=related

「ノートルダムのせむし男」  二十三年公開のサイレント映画


http://jp.youtube.com/watch?v=D6CbAi9Evik

「ノートルダムのせむし男」  三十九年公開のモノクロ映画

ジーナ





http://jp.youtube.com/watch?v=rPtMu8ofUEU&feature=related

「ノートルダムのせむし男」 五十六年公開作


主演のカシモドをアンソニー・クィーンが、悲恋の相手ジプシー娘を画像のジーナ・ロロブリジダ

が演じたもので、この映画しか見ていない。

で、主人公の醜いカシモドをクィーンが演じているのだが、上の映画みたいな特殊メイクでおどろ

おどろしたフリークスではなく、その点は怖いという感じは受けないのだが、やはり演技の秀逸さ

は光っていて、篭城からの動きや言動には「うまい」となってしまう。というかここらまでくればその

醜い姿にもある程度の親近感を持って見ていられるから、心の動きが映像に投射して見える。

もっとも前半のシーンでは、ジーナ演じるエスメラルダの妖艶な肢体が飛びぬけていて、カシモド

との対比では、あまりにも際立っていて映画の主題はどこに行くのかてな感じになってしまう。

まして結局はカシモドの思いは受け入れられることなく、必死に守ったエスメラルダは露と消えて

邪悪な聖職者を殺害・・・、と、あのアニメになったディズニーのものとは違って結末は哀しいが、

カシモドの純粋な気持ちは観客に理解された・・・、と、思う。

で、これを思い出したのは日本でこのカシモドを演じさせて表現出来るのは、鬼太郎で妖怪に扮し

た緒形拳だろうなぁと、先のエントリーを書きながら思っていたからで、クィーンの演技に引けを取

らないものが出来上がるのではと想像した。

にしても、この時代も陰謀がはびこり、聖職者が邪悪な心の持ち主とか、他人を蹴落とす・・・。

とか、人類の進歩とは労働代替の機械以外、それ程の変化を見せていないを感じさせる。

この時代の露骨な行動や野蛮な行為は、それなりに許さない社会となってはいても、より陰鬱な

行為へとエスカレートしているのも散見出来るし、何より濃密な人間関係は薄れているから、無関心

へと突き進んでいる。


http://jp.youtube.com/watch?v=ez7SiUS0BlE&feature=related

「ノートルダムのせむし男」 七十七年公開作


http://jp.youtube.com/watch?v=oGNXZA40AsM&feature=related

「ノートルダムのせむし男」 八十二年公開作


こんなものもよーつべにあったが、見ていないので・・・。


アンソニー・クイン/ノートルダムの傴僂男
¥3,990                                 といったところで、またのお越しを・・・。