今朝の報道で「緒形拳」さんが亡くなったのを知った。
飄々として穏やかな雰囲気の普段と、映画で見せる演技の見事さは映画に息を吹き込む
かのように、演じるキャラクターを際立たせてくれる。
流石に年齢的に、見合った役をこの所、演じているとは思えなかったが、以前はそれこそ
どんなキャラクターも演じられる、映画の印象が強ければ、それがその人のイメージに
ダブってしまって、その役しか出来ない、あるいは違和感が生まれるものだが、これまで見た
映画では、役が固定することなくキャラクターの変化が実にうまい・・・。
役の固定といえば、渥美清が「寅さん」以外演じても、すべて寅さんになってしまう見たいなものだ。
それが顔は固定だが、役のキャラクターによっては全く別の顔を見せられる・・・。
そんなものの中でも、とても印象に残る作品をいくつか・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=ywoV2AsrCLM&feature=related
「復讐するは我にあり」 七十九年公開作
この性格破綻をきたした主人公は、この男以外では演じられぬかのような
凄みがあり、レイプと詐欺に明け暮れる男の韻を踏む演技は秀逸だった。
もっともこの原作のおかしさが気になってはいたから、「そんな奴はいない
だろう」の反発もあるのだが、演じている人によっては、それがありとなって
しまう、いや演じている人の凄さで納得させられる。
幼い頃のトラウマからという設定はとても弱いのだが、犯罪を犯すとかレイプ
のおぞましい巧さは秀逸だ。
作品の良さでない演技で見せるというものがあるの作品に思える。
http://jp.youtube.com/watch?v=KO2V7Jdkrnk&feature=related
「鬼畜」 七十八年公開作
こちらは松本清張原作の父子愛をミステリー仕立てにしたもので、二人の強い
女の間で、右往左往するスケベだが気の弱い男を、上の作品とはあまりにも違って
いるものを演じて、ラスト・シーンでは観客を感動の嵐にしたもの。
この主人公、宗吉の狼狽振りと子供の親思いの対比は、上の作品と違って原作者
の社会性と普遍的な家族のあり方を描いているから、映像化が難しくやはり緒形拳
ならではの演技と唸るものである。
http://jp.youtube.com/watch?v=-5owh1euEco
「砂の器」 七十四年公開作
これも松本清張の原作の映画化作品。
この映画は、何しろ差別に逃避する父子の彷徨いの海岸線の美しさに泣けてくる。
ミステリー小説を完璧に映像化すると、こんなになるのかと・・・。
ここらは橋本プロの力量だが、ここで緒形拳の三木謙一の演技もそれこそ田舎の
巡査の純朴で人間愛に溢れたものは、ちよいの間だけても映画の主題に沿った演技
だった。
これら三本は、この「砂の器」をレンタルして見てから立て続けに見たもの・・・。
というか松本清張関係でなのだが、緒形拳の演技がやはり光る。
というか映画がなんだか締まる感じだ。
この他にも「わるいやつら」でもそうだった。
そうそう「砂の器」をテレビドラマとして再現していたが、願わくは「止めて貰いたかった」
陳腐な役者を使って「お涙頂戴」は、いい加減視聴者を馬鹿にしている。
http://jp.youtube.com/watch?v=4vQ8iENiGNE
「楢山節考」 八十三年公開作
この作品、主役は捨てられる、いや自ら捨てられるのを望む坂本スミ子で、もう熱の入り方は
鬼気迫るものがあり、圧倒される。
そんな婆をおぶり、山に捨てに行く倅が緒形拳で、年老いた母と貧困で不甲斐ない倅の忌わしい
風習・・・、しかしこの行為を野蛮とは呼べないだろう。
動物では象がやはり、自分の死期をさとり集団を離れてひっそりと息絶える・・・。
で、お話しは横道に逸れるが、我が家にも愛猫がいた。
三年前、どこで捨てられたのか家の軒先にいたものだがオスなのに「いちご」と名づけ、まぁ、これは
アニメ好きの娘が「ブリーチ」とかいうものからとったらしいのだが・・・。
少し目の周りがおかしい茶トラなので、動物病院で診て貰えば「免疫不全」でネコ・エイズだそう。
一年持てばいいと宣告された。
しかし一年経てば、身体は完全なデブ・ネコと相成り、いつも家にいるときは寝ている。
そのくせ夜遊び大好きで朝帰りと、放蕩息子みたいになりやがった。
だから誤診ではないのかと獣医師を疑って三年が過ぎ、六月になって極端に様子がおかしくなった。
息も絶え絶えで、全く動こうとしない。目もうつろとなりトイレも連れて行かないと足元もおぼつかない
すわ大変と、動物病院にいけば「風邪」ではと注射を一本打って、一晩寝るとけろっとして家族が安心
したのもつかの間、盛んになき出してその度、餌を与えても食べない。
三日間は外出させないようにとしていたから、欲求不満かも・・・。
それで三日後、外に出していいように窓を開けて、しかしここからが少しおかしかった。
これまでは軽々と飛び乗った窓に登れないのだ。足腰が弱っているのか、縁側から外に出て行く。
しかし元気な様子に心配もしていなかったが、動き回れるようになって二日後、外出したまま帰ってこ
なくなった。その状態が今も続いている。
他の家で飼われているという人もいるが、とても臆病でなかなか懐かない「いちご」が・・・。
何しろ外に行く時は、ないて知らせ帰ってくればやはりないて挨拶する礼儀正しい愛猫だ。
そんな時、思い出したのが「死に目を見せない」の言い伝え・・・。
今ではそう信じたい・・・。
それにしても初代「ナルト」「いちご」「サスケ」「アムロ」と毎年捨てられていた猫が、今年はなく、
今ではサスケのみになってしまった。
どれも捨てられる訳があり、拾えば動物病院直行で、特にアムロは家に来て二週間で亡くなっている。
そして初代ナルトは不慮の事故なのだが、片目が見えない猫で元気良く駆けずり回っては壁に激突して
いた・・・。
と、猫の話だが、特に三年過ごした「いちご」の最後はと思っている・・・。
これが「姥捨て山」の言い伝えとダブると、人間の哀しみも動物のそれも、生きているもの達にとって、
いずれ訪れる死と、どう向き合うか・・・。
で、緒形拳はこの「楢山節考」を演じているのだから、もう自分の身体のことはわかっていたのだろう
直前まで仕事として「ライラの冒険」の吹き替えをしていたらしい・・・。
そんなところは、稀代の名優のキャラクターと、死に対しての・・・。
- 楢山節考
- ¥4,252 ご冥福をお祈り、致します。