過信と慢心が悲劇を作り出す「ブラックホーク・ダウン」 | 流浪の民の囁き

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「飛びます、飛びます」映画みたいな心地良い喪失感が得られるものからすると、アメリカにとって

恥辱的でとても悲惨な戦いをこれでもかと映像にしたためた、こんな映画もあった。

アフリカ・ソマリア紛争に投入されるアメリカ特殊部隊の手痛い敗戦を描いた実話の映画化

「ブラックホーク・ダウン」だ。



ブラック


http://www.youtube.com/watch?v=AUJ6cxWdZwA

「ブラックホーク・ダウン」 〇一年公開作


ミッションの終了予想は一時間、だけに特殊部隊の隊員も表題のように「過信・慢心」が

なかったのか、作戦において相手の民兵に、重装備の兵隊、それも特殊部隊となれば

「ちろい相手」と映っていたのは間違いないだろう。

ここらにベトナムでの陸上戦の教訓が生かされることもなく、ヘリコプターで降り立った

隊員の壮絶な戦いが始まる。

そして映画はこの戦いがメインだから、いつ果てるともなく戦況の悪化をじりじりと撮っている。

印象的なヘリコプター「ブラックホーク」の撃墜などは、巧くコンピューターを組み入れ、迫力

ある映像となっている。

そして悲しい事に、いくら重装備で最新の銃器であっても、撃つのは人間、そして対する旧式

であっても殺傷能力は対等である。この点を銃器を過信した兵隊の哀れさが、延々と綴られる。

また投入された兵隊にとって、仕事の範疇がどんどん嫌気を催される。

対した相手は自国の国民である。

もろベトナムの時の「おせっかい」で悲劇に巻き込まれたアメリカ兵がダブってくる。

女子供でも銃を取り、攻めて来る敵に対峙するのは民族意識の強さであり、それと遠く祖国を離

れた兵士の意識の違いは歴然としている。

で、このアメリカ単独の作戦行動は窮地に陥り、なんと国連軍に助けを求めるという散々な結果

とはいえ、その国連軍さえも敵と見なしている人々にとっては、一切関係がない。

結局、この特殊任務はさんざの結果で「尻尾を巻いて逃げ出す」醜態を晒して終るのである。

この映画のラスト・シーンの、逃げるアメリカ兵が町のあちこちから出てくるソマリアの民衆を見詰

めるところなど、よくぞ撮ったものだと喝采を浴びせたいものだ。

要するに自分の正義が絶対である。それに従うのが論理である。

しかしそれを暴力に訴えた場合、反発する人々の人心をどう捉えられるかを怠ると、「惨めな結果」

が待ち構えているの教訓である。

民兵だから旧式だからは、市街戦にはまったく無力である。

より憎悪を剥き出しにしたものが犠牲を厭わず、歯向かって来るのはベトナムの惨劇を見れば、もう

明らかなものであった。

だからこの映画、良くぞアメリカで公開出来たものだと、見ながら感心していた。

これは究極の反戦映画の側面を持っている。

何しろ実際「核」が使えれば、結果は一目瞭然である。

しかしその究極の兵器を、どこの国であっても今では使用できないであろう。

だとすれば、地域紛争は理想では解決出来ない事柄である。

日本のお花畑は「平和」を唱えていれば、日本にいる限り平和であろう。

このソマリアの紛争解決を意図した作戦を描いた映画は、とても示唆に富んだ上出来な映画である。

これを「エイリアン」「ブレードランナー」「飛びます、飛びます」を撮った監督がと思うと、やはりイギリス

人は心底、イギリス人で風刺とやっかみ好きなけったいな人なんだと、にやけてくる・・・。

これも悲劇は起きるのでなく、作られるものであるを物語っている。

まぁ、どちら側から見たらの注釈はつくが・・・。

ブラックホーク・ダウン スペシャル・エクステンデッド・カット (完全版)
¥3,591                 今日の一曲にリンクしている「雨を見たかい」も、
                      とても示唆に富んだベトナム戦争批判の歌である。
                      「誰か晴れた日に雨を見た人はいるかい?、そんな
                       不思議な出来事が起こっている・・・」
                      これはアメリカ軍のジュウタン爆撃を「雨」に喩えたも
                      の、この作者ジョン・フォガティーは「フール・ストップ
                      ザ・レイン」って、雨を止める人は誰?なんてのも歌っ
                      ている・・・。
                      といったところで、またのお越しを・・・。