分岐点に揺れる女二人「愛と喝采の日々」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

二人の女性のそれぞれの生き方において、ターニング・ポイントとは・・・。

ここでの点とは分岐点としての捉え方なのだが、いつ頃かか女性の自立

イコール一人で暮らすことになったものだろう。

そこらにとても違和感がある、自立とはさて・・・。




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http://www.youtube.com/watch?v=2UzsYXD2_k0

「愛と喝采の日々」  七十七年公開作

この映画、アン・バクロフト、シャーリー・マックリーンという芸達者を配して、

それぞれの生き方を

対比させ、一応の女性の人生の歩み方ってな、問題を膨らませて描いている。

そしてアンがバレリーナとして成功した者、シャーリーは結婚でバレエを諦めてと、

選択の結果としての境遇だが、互いに自分にないものを羨ましがりながら、それ

でいて今の自分にも満足で、相手を批難することで体面を保つ。

ただことバレエについていえば、それのトップを夢見た二人には、なったものと挫

折したものという線引き出てきて、建前と本音みたいに、当り障りのない会話から

棘が見え隠れ、そして自分の娘の夢が同じバレエという時、相手はいまだ現役で

踊っているというジレンマと、ふつふつと夢を諦めた自分への鬱積が相手に向かい、

また一人で暮らす者は、家庭の温かさへの軽蔑とここでも羨ましさを隠して・・・。

そして互いに鬱積していく不満が、娘のバレエ好演と自分が踊っていてもおかしくな

いアンナ・カレリーナを鬱積の相手が踊りとで爆発、また一人身の寂しさに結局は仕

事を選び、踏み切れなかった時間の経過が仕事以外に向いた時、対峙する二人は

すさまじいケンカへと発展していく。

腹にあるすべてをぶちまけあう二人は、やがて腹に何もなくなると自然な笑みがこぼれ・・・。

と、女性にとっての結婚が分岐点として捉えた映画だが、ここで特殊なのがバレエだ

からであろう。日々、壮絶な訓練をしないと技が錆付いて、使い物にならないという設

定では、選択肢はより絞られてくる。

まぁ、プロデューサーがバレエの経験者であり、バレエ賛美に女性の結婚を結びつけ

たから、選択肢は狭まってとなるものだが、これらがすべての選択肢のではない。

ましてバレエの経験、それに向かう人が一体人口の何パーセントと考えると、映画が

普遍の問題を提議していないってなことになる。

これが人口に占める割合の多い職業で、結婚が是非を問われる転換点では、女性の

範囲はとても狭いものになってしまう。のだが、映画というのは影響力のあるものだ。

以前、自立する女は結婚しないとか、で女性誌がキャンペーンを張ったら、それを真に

受け二階に上がったはいいが、突然はしごを外されて途方に暮れ、婚期を逃し未婚に

なったってな、話題が出たことがあるが、ここらになんともな人生の目的と、彷徨う精

神が見て取れる。

人生に目的はないし、生きていくのに励みとなるから目的が生まれる。

そして人間の感情で、つがいになり、子孫の誕生に単純に喜び、いつしか老いて、終

の棲家は・・・。

その時間経過は人それぞれであり、雑誌の影響もまたありで、その時間も止めれない。

まぁ、この映画でもそうだが、夢を欲望とすれば、そりゃ天まで上りそうだ。

そうそうこの主演のシャーリーは、とても親日家で日本の宗教にも傾注しているそう・・・。

際限ない欲望の裏に、宗教がありとなれば、また慎ましやかな健やかな暮らしも、

人は満足・・・。といったところに落ち着く。

人はなんにでも影響されやすい、ただすべては「自己責任」と、納得出来れば、事件も

起こらず・・・。書いていて、なんか投げやりになってきた。

勿論、それはこの映画、確か「飛行機」の中で見たものだと記憶しているが、あの「ジェ

ンダー・フリー」みたいでは、すべてにおいて救いのないものになる・・・。

愛と喝采の日々
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Amazon.co.jp                  といったところで、またのお越しを・・・。