差別との戦いを描いた「ミシシッピー・バーニング」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

今日四月十五日は、黒人の大リーガーが誕生した日である。

名をジャッキー・ロビンソンという。六十一年前の今日である。

その当時は黒人に対する差別・迫害が熾烈を極めた。

だけにジャッキーは野球のほかに、それらとも戦わざる得なかった・・・。

という記事を見つけて、思い出す映画といえば、ジーン・ハックマン

ウィリアム・デフォーの「ミシシッピー・バーニング」である。



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http://www.youtube.com/watch?v=rmAqrMtB-Qg&feature=related

「ミシシッピー・バーニング」 八十八年公開作

監督アラン・パーカー


http://www.youtube.com/watch?v=Te9Qk83fDsE&feature=related

「kkk」と敵対するジーン・ハックマンの熱血漢ぶりのシーン

映画は連邦捜査官が、南部の田舎町に三人の公民権運動家の失踪を

捜査するという当時、六十四年であるが、最初こそ気乗りしないがやがて

失踪における根底に差別があると気付き、捜査にのめりこんで行く捜査官と

住民の意識の違いが鮮明になってくる。

で、熱血漢の破天荒な人物をジーン・ハックマンが、冷静で官僚的捜査官を

ウィリアム・デフォーが演じているのだが、キャラクターの対比も見事に、それ

でいて冷静であったデフォーも、徐々に事件の概要を理解するに従い、正義の

怒りにふるえと、映画としての醍醐味も、また差別意識の根底にある民度の低さ

を画面いっぱいに撒き散らすパーカーの手法は、観客に社会正義を叩き付けて

いた。で、ここには悪名高き秘密結社KKKをあぶり出し、差別主義者を追い詰め

ていくのは、捜査官の困難さと不屈の正義感というある意味ヒーロー的役割を二

人に託していた。それが見事に告発として結実するが、といって現実はそれ程、

差別する者には響かないという、切ないラストを持ってくることで、観客に終わった

後もその行いの卑劣さをかみ締めさせる・・・。

と、映画はとてもよく出来ているものだが、さて実際は・・・、それとはかけ離れて

捜査官も公民権運動家に対して、その場の雰囲気を呼んでほとんど見て見ぬ振り

であったが現実で、地道な公民権運動が続いて、やっとそれを成し遂げたものであ

った。

その公民権運動のカリスマ、キング牧師の言葉「私には夢がある。いつの日にか

子供達が肌の色でなく、人格によって評価される国に住めるように・・・」

暗殺されたから四十年が過ぎようとしている、今現在米国の大統領候補に

民主党はバラク・オバマが有力になった。黒人である・・・。

プロの大リーガー誕生から六十一年、早いのか遅かったのか・・・。

アメリカでは遠い過去になりつつある出来事かも・・・、そこに日本の「靖国」を重ねると

溜息が出てきてしまう。これを評して「表現の自由」の侵害、弱い老人の人権は保護す

ることなく、中共中国の人権弾圧に抗議することなく、「表現の自由」って、差別主義者

がジャーナリストでは、偏向・捏造もkkk並に、通用してしまう。

六十一年の戦いで、大統領候補を輩出するアメリカと、自由を穿き違える日本とでは、

やはり戦勝と敗戦が影を落とすものなのか・・・。



ミシシッピー・バーニング
¥1,869



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                        といったところで、またのお越しを・・・。