第二次大戦末期、ドイツのヒットラーは占領したフランスからの撤退時
ワルシャワと同じように、首都パリを廃墟にするように指令を出す。
それをそのまま題名にしたのが「パリは燃えているか?」である。
ヒットラーの問いかけが、フランスの抵抗を描いた映画となった。
http://www.youtube.com/watch?v=-wKY_JQufPo&feature=related
「パリは燃えているか?」 六十六年公開作
ドイツに占領されたフランスで、抵抗運動を続けていた中に、この映画の
監督ルネ・クレマンもいて、それだけにどうしても描きたかった映画。
モノクロに拘ったところにも、臨場感を良く伝えている。
オールスター・キャスト映画というのは得てして、見世物的側面が幅を利
かせ内容の乏しいものになる傾向があるが、この映画はそれらに一切配
慮のない役に没頭させる出来であった。
リンクした動画は、サイコのアンソニー・パーキンスのアメリカ兵がパリ解
放に突き進む役を演じ、最少の犠牲者の一人となっているものである。
http://www.youtube.com/watch?v=a4HrLiNuxOQ
当時のニュース映像
フランス・レジスタンスの暗躍と、連合軍の進撃でパリが解放されるまで描
いた映画には、ヨーロッパ戦線を従軍したカメラマンによって、資料として
のニュース映像が残り、今に伝える役目を司っている。
もっともフランス・レジスタンスと一口に言ってもまとまりのない抵当運動は
ドイツにとってはそれ程脅威ではなく、やはり戦況の悪化が早期にパリ解放
を推し進めたもので、自らが勝ち得たものではなかった。
第一アメリカにすれば、パリを解放する目的で上陸したものでなく、あくまでも
ドイツとの戦争勝利が目的である。
だから映画でも、パットンが出てて来るが、その口からそのことを告げさせている。
パットンにすれば、連合軍が進撃すれば自ずからパリは元に戻る。
それと抵抗運動するレジスタンスとの温度差は、あって当然であったろう。
ここらに屈辱を味合う国民と、戦争をしている兵との関心の方向が違っている。
この映画のラスト、垂れ下がった受話器から聞える「パリは燃えているか?」の
ヒットラーの声が、殊更解放を、それも無傷での解放を印象付けていた。
で、そのパリが、四月七日は激しい抵抗で「燃えていた」
北京オリンピック聖火リレーで、「人権擁護」を旨とする人権団体が「チベットの人権
侵害」を糾弾する目的で、聖火リレー阻止に抵抗をしている姿は、妨害でなく人権擁
護のアピールであった。さすが占領されていても抵抗を繰り返す国民性・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=KQbXDc1P-Js
フランスでの「チベット弾圧抗議」の模様。
昨夜遅くでのビュー・ポイントは僅か四十一だったのだから、驚きの数字になっている。
これを見ると確かに別の意味で「パリは燃えている」
といったところで、またのお越しを・・・。