スタンリー・キューブリックの映画は、とかく言葉へのこだわりが多い。
舞台設定が貧弱でも、言葉のやり取りで現場を熱くする、そして翻訳の
あやにも異常なこだわりがあり、「フルメタル・ジャケット」も日本語翻訳は
自分で確認し、何度もやり直しを命じたらしい。
そして本編の「博士の異常な愛情」も、その言葉によって笑えない冗談を
連発している・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=XVPduOOODzo
「博士の異常な愛情」 六十四年公開作
ピーター・セラーズの三役も見ものだったが、やはりこの映画の
ブラック・ジョークのリッパー将軍の言動には、いくら映画の中とはいえ
戦慄を覚える。
大量破壊兵器をバックして、その機能も発射の方法も熟知している人間が
異様に偏向していく精神であったなら、起こりえる事態と思える設定は、
米ソ冷戦を茶化す目的も、また際どい狭間で人々が生活しているのを如実に
映像化していて、笑いながらも見ている人は、こんな人間が司令官であったなら
笑えない冗談に・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=wxrWz9XVvls
今でもこのエンディングはショッキングである。
機械に頼りすぎると人間が信じられなくなってヒューマン・エラーの全く無い情報に
頼っていると、今度はその正確無比に人間が追い詰められてしまう。
この映画の問題は今でも解決出来ない事柄である。
軍を掌握しているはずの政治も、軍の暴走を押さえるのに躍起にならざる得ない事態
に追い込まれたら、それを上回るカリスマ性がなければ、押さえつけられない。
という危惧を抱くのは、今回チベットで露呈した人民解放軍の弾圧である。
中央政府の指示・・・、他の国からすれば政治が押さえ込んでいればそう取れるものだが
果たして・・・、と疑ってみると、後繕いに奔走する中共政府とも見える。
何しろとってつけたような報道規制も、ことが起こって二日後である。
知らせないあるいは知らないことが、軍の地方軍部の決断で軍が動き、弾圧をした。
後、報告を中央に上げた。で、報道規制を行い、暴動の映像は切り取られた一部のみ、
発端は何かさえ、はっきりしない暴動、軍部制圧、一斉に収束に向けた政府広報の働き
に地方はついていけず、コメントがチグハグで、死亡した人数も容易に判明しない。
中共の私兵である人民解放軍の地方軍部の不満が、一丁問題を起こして中央に無言の
圧力を加え、兵士の賃金アップの取り付け・・・の思惑と、不満を爆発させるチベット人の反発
の見誤りが、取り返しのつかない事態へと発展して・・・。
中共の発言力の背後には強力な軍部の力が作用している。
その軍部も、今の中国の発展で置いてきぼりの存在になりつつある。
一部の富裕層を形成している経済発展の恩恵を受けない軍部、不満が内在していておかしくない。
だから軍の高官は、アメリカとの会談で太平洋の覇権の半分を、なんて言葉も飛び出してくる。
だからこそ中央政府は、今回の暴動で武装警察官としきりにまくし立てる。
軍部を前面に出しては、世界の世論が・・・、またシビリアン・コントロールが出来ないを露呈しては
顰蹙だけでなく、政府ががたがたになる。
と、強大な軍力を持つ私兵である人民解放軍は、暴動鎮圧という圧力を中央政府に掛けている。
何しろ無抵抗に近いチベット人である。そこに銃火器を持ち込み、と、得意な情け容赦のない殺戮
軍団である。そこはいとも容易く鎮圧出来る。要するに漢民族でない自国民など虫けら、いや共産党
軍であった時でさえ、国民党軍には情け容赦なく殺戮していたのだから、伝統的に血に餓えた軍隊
なのかも・・・。
何しろチベット人の殺戮で名を上げたのが、今の国家主席となれば軍部は容赦なく行動出来る。
それをとめる術はない。
チベットの騒動でこの映画を思い出したのは、そういった軍部の少し精神に異常をきたすものが出れば
さて、止める手立てがあるやなしや、結局ミャンマーの軍事政権と変わらずとなる要素は、世界広しとい
えどもこの人民解放軍が一番有力である。
その人民解放軍は悪いことに核も保有している。
映画は米ソであったが、あれから四十年、やはり「ドクター・ストレンジラブ」は、この中共の軍事力の抑制
に掛かっているだろう。
世界が注目するオリンピックだからこそ、力ないチベット人も立ち上がった。だからこそオリンピック後も、
チベットには関心を払わないと虐殺は今以上に激しいものになる。
歴史的に言えば、チベットには大恩がある日本なのだ。 だからやはりフリー・チベットを願う・・・。
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といったところで、またのお越しを・・・。