童話というのは時に、お話の裏に隠された残酷なあるいは辛辣な批判が
込められたりしている。
表面上は、幼い子供でもわかる平易な物語が、裏を返せば・・・。
で、お子様向けの映画である本作「ベイブ」も、生まれ持った宿命?、という
難題を、平易に映像化している。
さて、家畜とは・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=u5FOfyNInj8&feature=related
「ベイブ」 九十五年公開作
主人公は子豚の「ベイブ」で、賞品として貰われた心やさしい農夫夫婦
いや、妻は勿論、食料として大喜びする賞品であり、決してペットあるいは
牧羊豚ではない。
ファンタジィーの王道の、動物が言語を話すから、食料用の家畜へのそれ
以外の動物との心持は違って辛辣な言葉が並んでくる。
ここは食料と考えないベイブにとっては、完全な「いじめ行為」で、食べられ
ないようにするにはという、生存を賭けた戦いを繰り広げる。
画面は特撮を使い、本当に動物が喋っているようにするとか、三匹の鼠の
歌声とか、牧歌的映像とほんのり家族的映画で、とても辛辣な言葉が飛び
交っている。童話の持つ社会に対する批判が、可愛らしいキャラクターに薄
まると「豚肉は食べない、ベイブが可哀想」と、それなりの効果を観客にもた
らす。にしても、真剣に考えれば「ありえねぇ設定のファンタジィー」なのだが
「ドジで間抜けのカメならぬ子豚」は、ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
で、とうとう牧羊豚として優勝してしまい、家族の一員として迎えられる・・・。
めでたしめでたしである。
http://www.youtube.com/watch?v=nfEYXffu9fE&feature=related
「ベイブ 都会へ行く」 九十八年公開作
初作の大ヒットによって、作られた続編は食料としてしか考えられなかった
妻の気持ちを変えようとする設定で、妻は自分の肥満の体から、はたと優
しい気持ちに気付き、より以上にベイブを寵愛し、それまでとは変わって嘲
笑にも毅然とした態度をとるし、ベイブを擁護する。
もっともそれらは都会に出たことによって起こる災難から、それを身に沁み
させるものだ。
映画の裏側では、主人公のベイブはやはり宿命でどんどんでかくなり二十何
頭かが変わりばんこに演じている。
さて、では大きくなったベイブは、どうした・・・。と、そこらに考えを至らせては
いけない。アイドルがいつまでたっても「十七歳」だったら、そのまま時間は止
まっている。成長はしないのだ、のび太が小学六年生のままと同じ、あるいは
ちびまる子である。
都会に行ったおばさんとベイブ、さんざに田舎者扱いはされる、ベイブは犬に
ネズミに、猫にととことん嫌われ、その度に危機一髪で難を逃れる。
一作目よりスピード感があり、展開が楽しめた・・・。
と、なかなかに考え付かない豚の物語だが、家畜の運命・・・。
生きるものは「殺生」をして生き延びている。この自然の摂理を思わずにいら
れない映画でもある。
そして製作者側の思惑、子豚を笑い、反対に笑われる人間、そうそう意地の悪
い猫の性格の歪みは、やっぱりなぁ、猫は大体にしてそういう性格付けをされる
存在と「ハリーとトント」の後に書くと、トントもあの意地悪猫の性格を有している
とも・・・。
それにしても子豚を主人公でその目線で描くと、子供の目線と同じで薄汚れた
大人の醜さも、笑いに包んで皮肉っていると感じられる。
家畜と野生動物とも、宿命的には同じ・・・。
ここで「鯨」問題が思い出される。家畜は殺していい、だが鯨はいけない。
子豚のベイブは「そんなのは人間のエゴだ、豚だって鯨だって同じ生き物」
と、差別を叫ぶ・・・、かな。
といったところで、またのお越しを・・・。