猫が犬並に人間の伴侶として描かれる映画は少ない。
やはり人間に忠実に従うイメージと媚びを売るかのような
犬の仕草に人間が勝手に解釈して・・・。
その点、猫は全くといっていい程、餌の時だけの愛想を
振り撒き、用がなければ鼻も引っ掛けない・・・。
さて、これがいいか悪いか、好きか嫌いか・・・。
で、猫を相棒にしたとてもいい映画があった。
「ハリーとトント」という七十四年の映画である。
画像で紐に繋がれているのは犬ではない。
ハリーの相棒の「トント」猫である。
初老の男ハリーと老猫のオス、トントのロード・ムービー
残念ながら、よーつべには投稿されていない。
日本でも高齢者問題として、一人暮らしの老人がってなことが
話題に上り、人情話的ドラマは生まれているが、この映画も
やはり少し偏屈な老人になった父親と息子、娘を頼ってそれぞれの
住む土地へと、トントとの旅に出てこれまでの付き合いでは決して
触れ合うことがない人々との交流から、生甲斐にも似た気持ちに立ち
戻させるという、ロード・ムービー特有の「気付く」が主題なのだが、
ここで連れ合いが犬でなく猫なのに、この映画の監督ポール・マザー
スキーの思いがあるように思う。
べったりと懐くでなく、一定の距離を保つ猫の立ち居地が心地良い。
で、猫は性格的に女性、それも周囲を振り回すと置き換えれば、この監督が
これまで描いてきた女性を考えれば、納得出来る。
夫婦交換をテーマに上げた六十九年の二組の夫婦の物語やウーマン・リブ
既成の価値観の打破を女性の行動に映し出した「結婚しない女」「ブルームの恋」
とか、とかくキリスト教的規範の逸脱を映画で示していた。
また自伝的映画「グリニッチ・ビレッジの青春」なんて、ほろ苦い青春群像とか、
なかなか派手でないが、それまでの価値観からずれた・・・。
まぁアメリカン・ニューシネマと一くくりにされる範疇物が、高齢者へ向かうと、
老人の相手が犬でなく猫になるのは必然でって感じる。
にしても猫の名がトントである。
ここらに監督自体の郷愁を感じる。「ローンレンジャー」というテレビ・ドラマの主人公
の相棒がインディアンのトントであると、老人に語らせるところは、過ぎてしまった美
しい思い出にあるテレビという媒体の人気を博した人物の名を当てる、それも相棒で
ある。といってもローンレンジャーでのトントは、どちらかというと「使い走り」と見る向き
なきしもあらずではあるが・・・。
ここでのハリーは、トントの意を汲むみたいに中古車購入時にはトントの色に合う車を
選んだりとか、バスに乗ればおしっこに止めさせるとか、他の人にすれば迷惑じいさん
である。そこに見ている人はこの老人の胸中を感じて、ほろりとさせられる。
デビュー作であるこの映画で、アカデミー男優賞を獲得する演技ではある。
にしても、孤独とか寂しいという語句が一人暮らしの老人には付きまとうが、一旦旅に出
れば、前向きに生きる力を得られる、いや気付くのは・・・。
映画というジャンルも宣伝が大きく物をいい、次々公開され消費され、忘れられていく。
ただこういった映画は、心に残る一作である。
そこらに商売抜きにして、本と同じでいいものを残していく気概が欲しいと販売に携わる
あるいはレンタルする人には、流れ行く日々に一時の安らぎを与える作品を売り込んで
貰いたいものだ・・・。 要するにDVD化すればってな、要望・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。