往年のセンシー女優の艶姿 ニ | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

セクシー女優という範疇でアメリカからヨーロッパに目を移せば、やはりすぐに

思いつくのはフランスの「B・B」である。

といっても、別段好きでもないが愛称をつけられて、それなりの名の売れ方で

思い出すだけで・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=A1ydCI-XybM&feature=related

「素直な悪女」 五十七年公開作

この映画で、特にアメリカで持て囃されて、名を売った訳だが取り立てて

素晴らしい映画でもなく、自由奔放な女に振り回される男どもの、てめえの

かあちゃんを売り出す算段がこれからよの、フランスならではの倒錯した

思考能力のなせる技、小悪魔的肢体と奔放に振舞う素の天性が、映画の

フィルムを通して躍動しているのだが、これで「れっきとした人妻」である。

となると、さてさて「他人のかあちゃん」を金を払ってみたいか?、的、どうでも

いい映画なのだが、ただこの時の若々しさと躍動する肢体は、後のふてぶて

しさがなく、こちらを先に見れば、また違ったものの見方になったのかも・・・。

ただレンズを通して、自分のかあちゃんをとなると、そのセクシー演技もいささか

ただ演技でなく、素のままを出しているだけってな、感想に落ち着いてしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=BV5p4ERHx2E&feature=related

「華麗なる対決」 七十一年公開作

こちらはマカロニ・ウェスタンに登場と相成る、クラウデァ・カルデナーレとの「キャッ

ト・ファイト」が見ものの映画で、こちらから先に見た者とすると、すんげぇねぇちゃん

対決で、肉弾戦が繰り広げられる・・・。

と、バイオレンスを持ち込み、セクシーさとは縁のない西部の女を演じている。

で、アメリカの二人と対して見ると、なんだかすれっからしのあばずれ的イメージが

どうしても湧いて来る。

それは私生活の乱れという現象からも窺い知れる。

共演した男と結婚・離婚が繰り返されると、奔放な自由な生活者、反面貞節のなさが

疎まれる存在って、相反する現状を生み出す・・・。

まぁ、そこが魅力といえば、その通りってことで・・・。




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http://www.youtube.com/watch?v=cDgyynHwctQ

「昼顔」 六十七年公開作

これまで「シェルブールの雨傘」等、どちらかと言うと清純派的存在であ

った女優が、一転して「昼は娼婦」てな役どころに挑戦したもの。

で、主役のカトリーヌ・ドヌーブの妖艶な雰囲気が映画全体を包み込んだ

「団地妻、昼下がりの情事」のフランス版。

ただ妖艶なのだが肢体が貧弱ってのは、マイナス・ポイントで当時の感想は

「こんなだだっこみたいな女が、貞淑な妻かよ・・・」で、幼少期のトラウマとか

なんとか、自分の卑猥な欲望には、それなりの訳があるって、フランスらしい

自己弁護が裏に隠れていて、これだものフランスなんて戦いに勝てる訳がな

いし、戦場で戦っている兵士の妻でも、その下地があるとなれば、おちおち戦

っていても、帰った時は自宅に誰もいないってな、具合が待ち受けている。

と、これがベニスの映画賞を取ったものとしてみると、その当時の規律から

逸脱した物のみが、評価されたっていう解釈も出来る。

「心の闇」に迫るってな、殺し文句は、「詐欺師の常道」って言葉があるくらい、

いまでは使い古された自己弁護である。


と、フランスの二人の女優の作品は、それこそ辛辣なものとなってしまうのは、

ただの「スケベ映画」なものを、高尚な作品みたいにするところに、憤りを感じる

からである。この二つの作品を崩せば、それは単に「ポルノ」であり、見る側の欲求

を満足させるもの以外は、なんら持ち合わせていない。

これであったら日本の「ピンク映画」の低予算をアイデアで工夫する作り方の方が

何ぼかましである。

ただ、ここでは「セクシー女優の艶姿」で取り上げているから、その点は作品でなく

その天性か演技かは定かでないが、映像の中では光って見える女優はいい・・・。



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                   といったところで、またのお越しを・・・。