徹底的に共産主義嫌いが率いた「パットン大戦車軍団」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

「ヒンデンブルグ」で主役を演じていたいかついジョージ・C・スコット

が、ドイツに「ロンメル」あれば、アメリカに「パットン」ありと言わしめた

ジョージ・パットンを演じた映画が、この「パットン大戦車軍団」である。



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http://www.youtube.com/watch?v=7qoJGNtBvmQ&feature=related

「パットン大戦車軍団」 七十年公開作

この邦題からいくと、まるでしょちゅう戦闘場面ばかりの戦争アクションを

想像してしまうが、この映画、アカデミー七部門を獲得したのでも分かる

ように、パットンという稀代のリーダーの伝記映画である。

そのカリスマ性と強引なリーダー・シップが批判の対象にもなりえたが、

戦争という狂気の行いの場合、そこに人間的優しさは必要なく、少しでも

それらを見せてしまえば、敵に付けこまれる結果がまっている。

「若者が何人、死のうが構わない、要は戦いに勝てばよいのだ」

平和ボケした日本の平和市民団体が聞けば、卒倒しそうな言葉を演説し

一気に隊員の士気を引き締めところから、この映画は始まる。

巨大な星条旗をバックにした演説から、砂漠の戦場への展開は音楽と共に

観客を、そこがどういうところで、どういうことが行われるかも、瞬時に理解さ

せる。といっても激しい戦闘シーンの連続でなく、士気を高める役割を担った

ものの役目をきっちりとこなし、連戦連敗を続けていたアフリカ戦線の連合国

軍を一気に鼓舞して、挽回を図ってしまう。


http://www.youtube.com/watch?v=_bxn5EQwJIk&NR=1

ただ、闇雲に突き進む猪でないパットンは、厳しい行軍から躊躇することなく、

休憩に入り英気を休めるという英断も敢行している。

ここらは神がかり的決断で、反抗を企てていたドイツは、この英断でずだずだに

壊滅へと追いやられてしまう。というところのシーン・・・。

この英断は、パットンの第六感らしい。反抗の企ても当時では情報は入ってい

ないところで、相手がどう出るかは神のみ知る領域である。

ただこのアフリカ戦線、ロンメルが病気で退いた後であるだけに、「狐と狸」の化し

あいとはならなかった物である。


パットンを演じてアカデミー男優賞を取ったスコットだったが、それは返上している

で、その辞退理由がパットンではないからとなっているが、商業主義的色合いが

強いアカデミーに反旗を翻した気骨の男となると、まるでパットンで地で演じている

かのようである。

愛国的差別主義者というよろしくないレッテルを張られるパットンだが、何も差別は

していないのである。戦いに勝つが大前提の場合、それが最優先で図られければ

犠牲はより増える。と、冷静な分析をすれば当たり前のことを口にしただけで、士気

を鼓舞するには、嫌われるという選択肢も、また有効というのを身にしみて理解して

いたのではないか。

そして極端な共産主義嫌いは、映画にもきっちり描かれていて、戦勝のパーティー

場面では、隣にソビエト軍と肩並べても、にこりともせずパーデイーをやり過ごし、

辛辣な言葉を吐いて憤慨させる。

http://www.youtube.com/watch?v=3DUEj_GL9gY&feature=related

このシーンなのだが、これの前に上層部の配慮により、ベルリン侵攻を止められて

いる伏線があった。結局ソビエト軍が侵攻していくのだが、止められたことより、後だ

しじゃんけんのようなやり方を取るソビエトの姿勢が、我慢ならなかったという解釈の

方が、性格を表しているように思う。

で、当時から共産主義が嫌いだったのは、正しい思考ではないだろうか。

ソビエトではスターリンの権力維持に大規模な粛清という自国民虐殺が起こっている

中共中国でも、毛沢東の権力維持に自国民虐殺、思想犯という反逆罪で・・・。

もっと恐ろしいのはカンボジアのポルポト、大人は敵だで二百万人の虐殺を年端も行

かない子供に行わせている・・・。

パットンに言わせれば敵としての相手は、やるかやられるかになるが、自国民では、

虐殺以外には考えられない。

ここらはとても正常な思考で、戦争という狂気を理解していた優れた軍人であった。

というのが、良く表現されていた映画ではなかったかと思う・・・。



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                       といったところで、またのお越しを・・・。