何かが終わり、一つ学んでいく時期「ラスト・ショー」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

五十年代のアメリカの田舎町、そこでの高校生の出会いと別れ

そして唯一の映画館の閉店、そこにある終焉するものへの決別と、

青春の終焉が折り重なって、失うものの哀しさが・・・。


last show001


http://www.youtube.com/watch?v=ZUA6EcwVwfM

「ラスト・ショー」 七十一年公開作


高校生という多感の時期における友情と恋と、諍い

それぞれの旅立ちに、痛みが伴って見ている者に

共感させる、青春グラフィティとして、移ろいやすい

心と、それによって傷つく脆い心・・・。

そして田舎の青年の将来が、片や兵隊で「朝鮮戦争」

へと出兵し、街を出て行ってしまう。

そして少年達の憧れの老人の死、それに伴った溜まり

場だった映画館の閉店が重なり、一つの時代の終焉

を物悲しくも、美しくモノクロで描いた秀逸の作品である。

で、この映画がヒントになったのではと思えるのが、

下にリンクした歌である。


http://www.youtube.com/watch?v=1k_zqB3kDbE
森田童子 「センチメンタル通り」


この歌も、寂れ行く映画館と屯した喫茶店が、

そして喪失する物悲しさが、全編を包んでいる。

街を出て行くのが、裏哀しいものであるという、

信じていたものへの決別、この時代背景は

全共闘終焉が重なり、敗北感や喪失感が

当時の若者達、今の団塊の世代であるが、

蔓延していただけに、この映画には、「泣ける」

要素が詰まっていた。


今では厄介ものみたい立場が迫っている団塊

の世代だが、こんな映画で青春の終わりを、

実感した人々も多かったろう・・・。


  といったところで、またのお越しを・・・。


関連記事
「センチメンタル通り」は今もあるのかな



banner001