教師はかくあるべきか?・・・、「いまを生きる」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

「生きる」からその言葉のみで思い出した映画「いまを生きる」

こちらは余命とかでなく、単に窮屈な寮生活を送る高校生と、

そこに赴任してきた英語教師の啓蒙とも励ましとも、そして何より

自我の目覚めを促すかのような・・・、多感な時期における教師像

のあるべき姿の一例を示している・・・。


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http://www.youtube.com/watch?v=s8UL_9R_W-Y

九十年公開作

ロビン・ウィリアムスの教師が、厳格な寮生活を送る高校生との

触れ合いの中で、お仕着せの規範からの目覚め・・・。

五十九年のイギリス、古風な寮生活を送る高校生達の自我への

追求に「詩」が深く関わり、という現代的には古風な作品というか、

イギリス的映像は、「炎のランナー」でもそうだったが、どこか格調

高いというか息苦しいというか、見ていて退屈な格式美が鼻につく。

で、物語もどちらかというと陳腐な「ベタさ」が溢れている。

だが、その雰囲気にどっぷり浸かると、居心地良くそうなんだなぁ、

「こんな教師がいれば・・・」の願望も生まれる。

規律の厳しい時代、それへの反発、親という脱皮の出来ない者への

不満、そして未来への絶望から命を絶つ・・・。

年代から、それも理解するが、いささか今となってはこんな子供はいねぇ

と、「理由なき反抗」の優等生的不良を見る思いだ。

もっとも心の弱さ、「やさしい時代」はこの映画でも、涙を流させる威力を

持っている。 ラスト・シーンは優しい気持ちにさせる映画であった。


ここでの教師は、自分が育った境遇を忘れず、それを教え子となる者たちに

伝えていくが、この「子供だったことを忘れてしまう大人」の仕草にも、それは

それで理解できてしまう。「星の王子さま」で告げられる語句だが、教師像には

自分が育った境遇を素直な見方をした目を曇らせては、教師とは言えない。

日本の教員には、あまりいないのだろう。

だからこの映画を見た者達の書き込みが、教育の現状を物語っている。

曰く「こんな教師に教えて欲しかった」である。

日本の現代の諸々の問題の根源は、この感想に尽きる・・・。

教育改革が、絶対的に必要な日本になってしまった。

何しろ教育現場に、この感想を書き込む学生はいなかった教師像として、書いて

いるのだから、「団塊の世代」の教師が、早く定年でいなくなることを願う。



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                       といったところで、またのお越しを・・・。