死が迫る人の彷徨える魂・・「生きる」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

戦争における死も、ガンという病魔に襲われる死も、等しく命は途絶えてしまう。

病魔においての生きている時間の虚しさは、そこに迫る死にどれほどの価値を

見出せるか・・・。

不安と焦燥は、人間をどう変えてしまうのか・・・。

この映画も「禁じられた遊び」と同じ時期の公開であり、共にモノクロの画面が

よりその哀しみを印象的に映し出していた。




http://www.youtube.com/watch?v=Lc4y-asVh3c

五十二年公開作

「ガン」という病魔に冒され、余命三ヶ月の初老の男の不安と焦燥

を志村僑が、哀愁をもって演じていた。

平々凡々とした役所の職員は、定年退職を間近に控えて病魔に冒され

たことを知る。するととたんに今までの人生はと振り返り、虚しい気持ちで

彷徨い始める。

今まで経験のない低俗な遊びに身を浸してみても、何をやっても意識的な

満足は得られない。

そして唯一拠り所の仕事での、「公園」造作に尽力する。

その公園が完成し、雪が降り続ける中で、男はブランコに揺られながら、

唄を歌い涙を流す、そして・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=0xsqJnZcyi8

ここ最近の投稿に、こんなのがありました。

「生きる」の解説もある、映画の中で主人公が歌う「ゴンドラの唄」を初音ミク

によって編集したものである・・・。


この映画の中で主人公は最後の奉公、あるいは自分の形見として「公園」造成に

尽力することで、「今を生きる」を意味を見出していくのだが、この映画には残酷だが

その後の生きている者達による、公園作りに尽力した人がいつの間にか、変わって

しまって、主人公を知る者たちは憤りを覚える場面がある。

これに似た事柄で、柳川の「掘割り」が思い出される。

一課長が何より郷土の誇りを甦らせようと尽力し、どぶ川と様変わりしてしまった掘割りを

何とか昔みたいなものへと、そして甦ってそれが評判を呼び全国から視察を兼ねた見学者

が殺到する。一躍時の人になってしまった一課長は、しかし役所を去らねばならない立場へ

追い遣られてしまう。で、結局は退職するのだが、この映画の場面にオーバー・ラップする

人間の浅ましい思惑を見る思いだ。

ここに金でもかければ、組織的な仕組みが出来上がり批判も中傷も小さくて済むが、一個人

の業績には、組織が許さない面が多々ある。

「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、こと環境問題を似非で金をむしりとろうとする

やからの多いこと・・・。そして思惑で口にする偽善者の悪辣さは・・・。

今に始まったことでなく、四十年以上も前の映画でも描かれている人間の性悪な一面・・・。

それが未だにはびこっている。あの反捕鯨の団体が環境保護・動物保護というのだから、

エゴイストはエコロジィーも食いものにすると批難を浴びて当然な人々の集まりだろう。

それでなくとも紙の偽造を報道するマスコミの如何わしさも根は同じで、自分の懐が潤うもの

しか、文字にせずその偽造紙で印刷された「押し紙」は、環境負荷を追わないのか・・・。

第一、古紙を再生するのに、どれほどの環境負荷がかかるか理解していないで、「偽装」

の馬鹿の一つ覚えでは、「もったいない」精神の食糧危機が訪れた時、賞味期限など守って

いたら、餓死する人も出る・・・。

と、「今を生きる」人達は、こんないい映画に触発されねば・・・。

すれば「環境」が金儲けの道具でないのが、分かってくる・・・。



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             と、今回は「禁じられた遊び」からテレビで見ていたら再生紙の「偽造」

             報道に接して、ああこの国のマスコミは、駄目だと改めて思ったので、

             この映画の、醜い大人の仕業を書いてみました。

                        といったところで、またのお越しを・・・。