カフカという作家の作品から汲み取った物語を、モノクロとカラー
とに分けて描いて魅せた九十一年の映画である。
http://www.youtube.com/watch?v=-atlmwaZV8c
映画で扱われているフランツ・カフカのトリビュート動画
っていうか、この映画、評判も良くなくいろいろと力量不足を露呈し
中途半端に終わっていて、一度目は途中で寝てしまった。
(これは映画館でなく、自宅での鑑賞である、ほとんどの作品が
今では販売されているしレンタル出来る状況だから、以前見逃した
ものや、改めてみるものも出てくる・・)
気を取り直して、再び見たものである。
するとおかしなことに、退屈だった映画の違った面、民族音楽とか
モノクロの色彩とか、そして大きいのがカフカの作品の香りが匂う
とか、「城」をテーマに「審判」を土台にと、映画に入り込めた。
http://www.youtube.com/watch?v=PIxpOe_T5mw&feature=related
こちらもこの映画と関係のないオーソン・ウェールズの「審判」だが
これが根底にあり、銀行が保険会社と変わっているのだが、実際
カフカは保険会社勤務を経験しているものだが、さて映画では、保
険会社で主人公とされるカフカが何をしているものかさっぱり分からない。
もっともそんなことはどうでもいいのかも・・・。
中に特徴的な人物、この従業員の監視役、密告者のキャラクターが
なかなかに面白い、軽蔑され疎まれていても怯むことなく、小言の
オンパレードに、女性が切れるのは、ちょいと痛快である。
そしてその女性はアナーキストってんだから、お笑いだ。
共産主義者のイメージとかけ離れた肢体であり、カフカの作品なら
もっとこう官能を演じさせたら、味が出たものを・・・。
ここらにも中途半端が顔を出す、サスペンス的には一応カフカ役が
顔で演じられる役者だから、それなりに盛り上がるのだが、如何せん
すべてを「城」におっつけて展開を進めるから、だらだらの印象は拭え
ない。ただカフカの不条理という概念が、管理社会へのアンチテーゼ
であるというコンセプトを、語らせるのにはちょびっと光っていた。
曰く自分についた部下も監視役であり、整然と並ぶ従業員の構図とか
徒党を組もうとする共産主義者達にノーを言ってのける。
「城の中も知らないで、批判ばかり・・・」というセリフには、実証主義の
感覚とそれから生み出される妄想とを、軽く描いていた。
モノクロの世界は抑圧された実社会、そして「城」に入るととたんに、カラ
ーとなる管理されたものからの飛躍、あるいは管理者世界との差異
で、ここには妄想こそが世界の博士が出現し、カフカの悪夢の源泉が
脳の中での妄想に対して、それを覗こうとする好奇心いっぱいの権力者
として扱われている。
「脳を顕微鏡で見たって、分かるわけない」と、至極真っ当なセリフに、
カフカの作品から人物を炙り出そうとした雰囲気が感じられる。
で、ほんの少しちっやちい特撮での瞳が登場し、雰囲気を出そうとするの
だが、フランケンシュタインでぶち壊しで、脆くも「城」は爆発・・・。
おいおいそんな脆いものに実社会は支配されていたのかの、突っ込みが
漏れる、とても疲れる映画であったが、カフカを主人公に据えてその作品を
たどり、カフカの性格へと迫る手法は面白かった。
もっとも前に記した通り、すべてが中途半端なのが、惜しまれる点ではある。
それでもモノクロとカラーの変化には、抑圧された色のない実社会とそれを
監視する世界は、全く別の空間として、また脳の中の現実はモノクロ、そして
妄想世界は天然色の彩りってな、理解が成り立ちそうだが・・・。
この映画を見終わって、思い出したのは「夢野久作」であり、幻想小説あるいは
怪奇小説という呼ばれ方をする日本の作家だ。
特に博士との対立軸は「ドグラ・マグラ」の裏返しとも、思えた。
この本を読破すると「発狂」するらしいが、何とか読み終えた・・・。
今ではすっかり内容が思い出せないが、「人間腸詰」「少女地獄」「瓶詰地獄」
なんて題名も思い出す・・・。
そういえば「ドグラマグラ」を映画化していたと思うが、その人達は「発狂」したの
だろうか?、なんてね・・・。
そうそうこの映画での共産主義者に「城を知りもしないで、そこを悪く言う根拠」に
噛み付くところは、先日の大江健三郎の「あったと考える」発言の、沖縄集団自決
名誉毀損訴訟を思い出して笑ってしまった。
「見てもいないものを、精査せず想像で考えて文字に起こしてしまって、あの沖縄
ノートはフィクションあるいは妄想でした」と言えばいいものを・・・。
村上春樹なんぞは、最初からフィクションだから訴えられることはない・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。