特撮が描く「戦争」 その二「日本海大海戦」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

日露戦争における日本の海戦勝利を描いたものには、新東宝が

「明治天皇と日露戦争」という映画を製作して大当たりしていた。

ただ海戦のありようでなく、この映画では明治天皇を役者に演じさ

せたこれまでの常識を打ち破ったところに観客の目が行ったもので

海戦の醍醐味は、やはりこの東宝特撮に軍配が上がる。



japan001


六十九年東宝公開作

http://www.youtube.com/watch?v=-4gMgWIfMnQ&NR=1

「日本海大海戦」パート一


http://www.youtube.com/watch?v=vf1EA0rzxvA&feature=related

「日本海大海戦」パート二


日本軍とロシア軍の海上での「シップ・バトル」の迫力は、やはりこの

映画が一番である。

「明治天皇と日露戦争」の映像では、モロな笑いがでてしまうのだが、

ミニチュアと分かっていても、この映画のバトル・シーンは面白い。

戦艦とはいえ当時は蒸気船である。

速度も遅く、転回もそれなりに時間が掛かるものである。

その点が特撮には味方している。

高速であればとても描けないミニチュアの動きの緩慢さが、逆に当時の

能力を現しているようで、迫力を伴っていた。

にしても、世界最強の呼び声高いロシアのバルチック艦隊を、当時では

後進国とされた日本の連合艦隊が打ち破った上、艦の無力化後は攻撃

を止めていたのである。

これがもしアメリカであったなら、勿論沈没するまで攻撃したであろう。

この海戦でのロシア軍の捕虜六千名が物語る正々堂々とした海軍の攻

撃と終了と同時の航行不能あるいは沈没船から脱出し海に漂流するロシ

ア人を救出したものの数字である。

ついでに付け加えれば、バルチック艦隊を最初に発見し通報したのは、

沖縄・宮古島の漁師で、それを伝えるべく不眠不休で舟を漕ぎ石垣島へ

渡り、そこから東京の大本営へと通報したものである。

通信手段がなかった時代のエピソードであるが、「皇国の興廃、この一戦

にあり、各員一層奮励努力せよ」のゼット旗の意味を、日本人全員が意識

していたもの何だろう。

で、特撮の神様「円谷英二」の最後の特撮監督としての仕事になったのが、

この映画であり、公開後七十年に亡くなっている。

特撮という技術をもって映画に描くのが困難なものを再現して見せ、また空

想科学を映像に活写した日本の時代の寵児の死は、以後の特撮の盛り上が

りを見るに付け、先人の偉大さが偲ばれる。

だけに日本の唯一といっていい「日本海海戦」の完全勝利を描くのが最後の

仕事だったのは・・・。


                     といったところで、またのお越しを・・・。