特撮映画に神話を持ち込み成功した「大魔神」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

「ガメラ」の成功により、次に大映が放ったのが特異の「時代劇」

として、圧制に苦しむ庶民における怒りを代弁させた「大魔神」である。

人間世界への怒りとして破壊行為を繰り広げる魔神、愚かな人間に

猛威を振るう自然界に似て・・・。



dimajin001

http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoID=652363520

よーつべになく、ここのサイトにあったのでリンクしておきます。

この六十六年公開三部作、「大魔神」「大魔神 怒る」「大魔神の逆襲」

一年で三本を公開する早業だが、時代劇のコンセプトはしっかりと守り、

いつも苦役を強いられる信仰の厚い庶民の窮状に手を貸す埴輪は、

怒りの神となり、権力に胡座をかく者を壮絶な破壊と痛めつけで懲らしめる。

圧倒的破壊力で、天に唾吐く強欲な権力者に鉄槌を食らわせ、社会正義の

実現に、天の怒りとなってのっそりと登場する場面は、観客のフラストレーショ

ンが高まった時だけに、心底喝采を上げたい気持ちになる。

大魔神のモデルとして「ゴーレム」が上げられるが、それを日本の埴輪に移植して

苦しむ人々には優しく、権力に奢れるものには容赦のない鉄槌は、時代劇としての

下地もしっかりしているから、なんら違和感がない。

のっぺりとした埴輪が、怒りの表情になる瞬間の変化は愛嬌があり、また役者のへ

の字に結んだ口と、割れている顎、そして目の表情と言葉を発することのない演技に

惚れ惚れとする。

と、まとめると大体そうなるが、これを一本一本に分けて行くと、変遷がわかる。

山の森の鎮守様であった第一作では、庶民の守り神をも葬り去ろうとする尊大になる

一方の権力者の醜さに、額に突き刺さった杭もそのままに暴れまくる。

それは自然界の掟のように、善悪のみならずである。

二作目の水のほとりの物語は、モーゼーの十戒に倣って湖を割って出てくる斬新な

登場シーンであるが、良い人間と悪い人間を識別して懲らしめていく。

第三作は雪の化身となって、子供達の願いを聞いて・・・。

一年に三作は幾らなんでも早業過ぎるから、残酷な守り神がどんどん正義の味方へ

変貌していってしまっている。

これらはやはり凶悪な「ゴジラ」や「ガメラ」がいつしか弱い人間に優しくなる過程に

相通じる興行的視点なのだろう。

第一作の延長線上への続編とならない。独立した作品群となる。

ただ「ゴジラ」でおなじみの伊福部昭の音楽は、こういった作品では良くあっている。

この映画も来年リメイクされるらしいが、願わくば飛躍的に特撮技術が向上してしまっ

たが、当時のたどたどしいが勇壮な歩行と、権力者の最後はもっとも醜い死に方にし

て貰いたい。そしてこの映画にはスピードは要らない。

丹念に怒りの表情で破壊する様を見せ付けてもらいたい・・・。


                       といったところで、またのお越しを・・・。